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老兵は黙って去りゆくのみ

2016-07-08

じじぃの「人の死にざま_1705_赤石・元二郎(陸軍軍人・台湾総督)」

06:05

日本人大好き台湾の謎 日台友好 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=IIKk1ASkGso

台湾 日月潭自転車道 (taiwantoday.tw HPより)

日月潭自転車道」、世界10大自転車道に選出 March 19, 2012 Taiwan Today

南投県魚池郷の台湾最大の湖、日月潭の湖畔を一周する自転車道日月潭自転車道」がこのほど、米CNN傘下の旅行情報サイト「CNN Go」で、世界で最も美しい10本の自転車道として紹介された。

日月潭の周囲に設けられたこの自転車道は、台湾最大の湖を一周し、自転車で約3時間の道のり。同サイトによると、静かで青々した湖面が魅力の日月潭は、台湾のみならず日本などからも観光客が訪れるほか、詩人や画家の創作にインスピレーションを与えていると指摘。また、先住民のサオ族の文化や地元の生態環境が、日月潭をより特色豊かな景勝地としている。

http://taiwantoday.tw/ct.asp?xItem=188060&ctNode=2321

明石元二郎 ウィキペディアWikipedia) より

明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864年9月1日) - 大正8年(1919年)10月26日)は明治・大正期の日本の陸軍軍人。

陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。福岡藩出身。夫人は国子、後妻に黒田信子(黒田一葦の娘)。

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台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい』 蔡焜燦/著 小学館文庫 2015年発行

台湾の土になった明石総督 (一部抜粋しています)

1918年(大正7年)、発展を遂げる台湾陸軍大将・明石元二郎が第7代台湾総督として、やってきた。

明石元二郎とは、日露戦争時に欧州各地でレーニンら革命運動家と接触し、豊富な工作資金を巧みに利用しながらロシア革命を扇動することで、ロシアを後方から攪乱させた日露戦争勝利の影の立役者である。

あの時代、現代のCIA顔負けの情報戦を展開し、日露戦争を勝利に導いた明石元二郎は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム皇帝をして「明石1人で、大山巌率いる20万の日本軍に匹敵する戦果をあげた」といわしめるほどの傑物だった。

そんな日露戦争の”英雄”が、台湾総督として赴任してきたのである。

明石総督の代表的な事業として、日月潭(にちげつたん)の水力発電所が挙げられる。このダム建設は、最大10万キロワットの電力を台北から高雄まで送電するという大型プロジェクトであった。さらに、基隆から高雄までの縦貫道路の着工や鉄道交通機関の充実を図るなど、いわば児玉・後藤コンビによるインフラ整備の総仕上げともいえる大事業に取り組んだ。

私の岳父が学生の頃、国語学校の受験勉強のために台湾から5日間もかけて台北にやってきたが、こうした南北縦貫道路や鉄道が完成するとたった1日で台北まで行けるようになったと聞いている。日本統治時代に行われたインフラ整備は、台湾の住民にとって歓迎すべき事業であった。

また、こうした産業基盤整備のほかに明石総督は、司法制度改革や教育改革にも取り組んだことを忘れてはならない。

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欧米列強諸国の植民地経営は、愚民化政策の下に一方的な搾取を行うばかりで、現地民の民度向上、教育など考えの及ばぬところであった。しかし日本の台湾統治は、「同化政策」の下に、外地(台湾)も内地と同じように教育系統を整備し、その民度を向上させるべく諸制度改革などあらゆる努力が払われたのである。

明石総督は赴任に際し、台湾に暮らす日本人よりも台湾島民を第1義にして統治を行なわなければ、平等政策は行なわれないと語っていたという。

このような日本式統治は、世界史上他に類例をみない。

明石元二郎台湾人の間でいまも語り継がれている理由は、こうした総督時代の業績、あるいはその成果ばかりではない。

明石総督は、19人の台湾総督の中で、唯一台湾に埋葬された総督なのである。

1919年(大正8年)7月、明石総督は原因不明の発熱で倒れるも、一時様態は回復の兆しをみせたため、この年の10月に内地で行われる陸軍大演習陪観(視察)にために船で帰国する。しかしその途上、船中で再び容態が悪化。すぐさま郷里の福岡で療養するが、その甲斐なく同月26日に帰らぬ人となってしまった。

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