今までを振り返ってみて、すばらしい人との出会いが、自分の人生に一番大きな影響を与えてくれたことがわかります。
まずは矢内正一先生との出会い。
自分にとって初めての菩薩クラスの人との出会いでした。
矢内先生とは、わずか2時間しかお会いしていないのですが、自分の人生は「矢内前」「矢内後」と分けて考えてもいいぐらいです。

たった2時間で、少年の生き方を根本的に変えてしまう教育の力というものが、現存するのだということを、私自身が実体験したわけです。
関西学院中学部を日本一の中学校に育て上げた偉大な校長が、2時間たっぷりと時間を取って、一人のアホの中学生(私のこと)にお話くださったわけです。
矢内先生のお話を聞いた次の日から、私はモーレツに勉強しだしました。

高校時代に読んだ、吉川英治の『宮本武蔵』からも大きな影響を受けました。
高校時代は柔道部で、文武両道で頑張っていたのですが、『宮本武蔵』から学んだ「克己(こっき)」という言葉を、常に胸に抱いていました。
本の著者の中で圧倒的に影響を受けたのは、渡部昇一先生です。
学生時代に渡部昇一先生の本と出会ったのは、まことにラッキーでした。
渡部昇一先生のおかげで、あとあと物心共に豊かになれたように思います。

ちょっと判断に悩むような社会現象でも、渡部昇一先生の本を読むと、その本質が簡単に理解できてしまいます。
原理原則を教えてくれる人を持たなければいけないと言いますが、渡部昇一先生と、あとで述べる鍵山秀三郎先生、そして大川隆法さんが私にとっての原理原則です。

私は大川隆法さんのデビュー(一冊目の本)の時から知っています。
私よりも3つ年下なのに、その深い洞察力には心底驚かされます。
私は何でも本から入っていく方なのですが、渡部昇一先生と大川隆法さんの本は、それぞれ200冊ぐらいが書斎にあります。
量もすごいですが、内容もそれぞれ(超)一級品です。

お待たせしました。
わが師、鍵山秀三郎先生です。
鍵山秀三郎先生との出会いは、私が38歳の時にファンレターをお出しした時から始まります。
思えばその時、鍵山秀三郎先生は58歳だったのですね。
今73歳におなりです。
鍵山秀三郎先生とお出会いしてからの15年間、掃除だけは手を抜かずに続けてきました。

鍵山秀三郎先生から学んだ一番大きなものは、やはり謙虚さでしょう。
鍵山秀三郎先生を知って以来、大袈裟でなく1日たりとも、鍵山先生のことが頭から離れたことがありません。
私の人生の師であり、経営の師でもあります。
鍵山流経営はムリがありません。
私のような凡庸な経営者でも、鍵山流なら何とかやっていけます。

ほかに尊敬する人には、尾崎八郎先生、寺浦實社長、野坂弦司社長。
また信頼できる人は社員を始め、友人知人の中で何人もいます。
以前結核で4ヶ月入院した時、ハガキや手紙が途切れずに、毎日いろんな方から届きました。
自分が思っているより、ずっと「人持ち人生」なのかもしれないと、今これを書いていて気がつきました。

人物以外に影響を受けたもの。
それは柔道です。
中学、高校、大学と10年間やりました。
柔道をやっていて本当によかったと思えるシーンが、社会人になってから何度もありました。
男はゼッタイ武道をやるべきだと強く確信しています。

今まで1万数千冊読んできた本からも当然影響を受けています。
読んだ知識や考え方が、自分の中で熟成され、自分の言葉として出て来た時、それらが自分と一体化したと言えるわけです。

何と言っても出口地所という会社を始めたことが、自分の人生で一番大きな出来事かもしれません。
25年ほど小さな会社を経営して、さまざまな事がありました。
一つ言えることは、もし自分で会社を経営していなければ、本当にイヤミでダメな人間になっていただろうということです。
「苦労したければ、会社を経営してみればいい」という言葉がありますが、その苦労のおかげで、人間が錬(ね)られていったことも事実です。
もちろん大きな喜びもいっぱいありました。

いろんな反省点は多々あるのですが、振り返ってみたら、けっこう頑張り、そしていい人生を歩んできたような気がします。
ありがたいですね。
「本を出して、世に出たい」という夢もあるのですが、これからは出来るだけ自然体で、一隅を照らす生き方をしていこうと思っています。