7月7日は忙しい土曜日となりましたが、翌日が丸々休みで、こうやってブログを書いています。
1時半から松嶋さん(京都大学研究員)からバザーリア法の作られるまでの精神医学の発展を詳しくお話いただきました。以下のような項目です。
1.近代における精神医療の歴史
①デカルト以降
②理性の障害としての「狂気」
③理性の使用と「市民になる」ということ
④治療可能なものとしての「精神の疾患」
2.イタリアにおける精神医療の歴史
①イタリア初の近代的精神病院
②精神病院と収容者の増加
③公立及び私立の精神病院に関する法律(ジョリッティ法)
3.フランコ・バザーリアの思想
①生い立ち
②批判的・臨床学的現象学
4.精神医療改革の実践
①ゴリツィア県立精神病院
②治療共同体の試み
③「現実」の否定
④〈施設化〉の場所としての精神病院の破壊
⑤トリエステでの試み
⑥生きることとしての働くこと
目次を見ただけで中身の濃さがわかると思いますが、全てを書ききる能力はありませんので、大雑把に私流にまとめたものを書きます。
17世紀デカルト以降に、心というものを人間の内部、主観として外部の客観と対比的に捉えます。それが18世紀カントの時代に、フランス革命に象徴される市民階級が生まれてきます。その内部の力が市民階級を形作る重要な要素として「理性」として認識されます。それをきちんと使えるものと、それを使えないものという仕分けがされて、理性が使えないもの=市民ではない、ということになります。人間に理性が加わって市民になるというわけです。それが使えないものを使えるようにするのが治療です。理性が使えないものは市民としては権利を制限するという考え方になります。
肉体ではなく精神を対象として治療するところが精神病院です。
後はイタリアではどんな具合に精神医療が発達して行ったかという話です。そしていよいよフランコ・バザーリアが登場します。彼は第二次世界大戦の時にレジスタンスとして活動し捕らえられ投獄されます。そのときの獄中生活が、精神医療に対する彼の考え方に影響与えたようです。
バザーリアはイタリアの精神医学会では冷遇されて、ユーゴの国境に隣接する病院の院長に追いやられますが、そこで色々と先進的な取り組みを行います。それが、患者を集団生活の中におくことで治療していくイギリスで試みられていた「治療共同体」を実践します。
そしてここがバザーリアの真骨頂であると思いますが、「治療共同体」で治療すことは、それが成功するというよりも、これまでの治療は「所与」の現実ではなく、違う治療を試みることで、現実は変えられる、現実は変わっていくとということを、精神医学会で実践したことです。
それからは、精神病院は社会から患者を隔離するために暴力的に作られた施設であり、医者はその役割を負わされているということを明らかにして、「施設化」からの解放、精神病院の廃止へと進みます。
社会のために作られた病院を廃止することで、普通の病気のように患者のための治療をする精神医学へと変えていきます。
実際はいきなり病院をなくすのではなくて、新たに病院を作らない、新たに収容する患者を作らないということから出発したようです。
1978年にバザーリア法が出来て、99年に全公立病院が廃止され、2013年に全司法精神病院が廃止されるというようになります。
バザーリアの考え方は、脱制度としての脱施設であり、病気の治療ではなく生きる力の涵養であるようです。それで言うと「近くで見るとまともな奴なんていない」ということになります。
後の質問では、日本の後進性が明らかになりました。とても刺激的でレベルの高い学習会でした。
土曜日の午後という時間帯で初めて学習会を行いました30名を超える参加、しかも半数が会員外という、新しい事態が生まれました。
そして、6時から松嶋さんも参加していただいて、新長田のベトナム料理店ハロンで七夕交流会です。
松嶋さんの「追っかけ」だという看護師さんと話をしました。