#285 "Talking New York"

ニューヨークを語る
"Bob Dylan" 1962

Bob Dylan
= ENGLISH =

大西部をさすらい出た
最愛の町々を離れて
上り坂も下り坂も味わった
ニューヨークの町にたどり着くまでに
地べたにひれ伏す人たち
空にのびる建物たち

ニューヨークの町は冬
風が雪を撒き散らす
行くあてもなく歩く
現に何人か凍死し
僕も芯から凍えていた
そしてニューヨークタイムズ
「17年ぶりの厳冬だ」と書いていたけど
その時は今ほどの寒さは感じなかった

僕はそこまで歩いていき
その一角にある軽食堂に行き着いた
ステージに上がって僕は演奏した
男は言った
「お呼びじゃないんだよね
君の歌みたいに田舎臭いのは
我々はフォークシンガーを求めてるんだよ」

そこで 僕はハーモニカを取り出し
日銭のため 肺活量全開で吹いてみた
とにかく目茶苦茶に吹いたんだ
男は僕の音が気に入ったと言ったよ
諸手を上げて絶賛した
僕は一日を生き延びるに足る金を得た

何週間もそこらをぶらついたあげく
僕はついにニューヨークの町に
もうすこし大きな場所でいくらか金になる仕事を得た
組合に入るための散在はしたけどね
かつてあるお偉いさんは言った
万年筆一本でお前を喰い物にするやつがいると
そんなに長くはかからなかった
彼が言ってたそんな手合いに出会うまでに
食卓にはそんなに多くの料理はないのに
連中はフォークとナイフはたくさん持ってる
何か切るつもりでいるんだ

そんなわけで 太陽が暖かいある朝
僕はニューヨークの町を抜け出した
帽子を耳まで下ろして
西の空を目指した
さらば ニューヨーク
こんにちは イーストオレンジ


デビューアルバム"Bob Dylan"に収録され、初めて広く世に出たディランの歌が、この『ニューヨークを語る』でした。時に、ディラン、満20歳。若い!
食べるべき料理がないのに、ナイフとフォークだけは山ほど持っている人間が巣食う大都会ニューヨークは、彼の生まれ故郷の北国よりも寒かった・・・・・・当時の東京にも、同じような思いでいた同世代の若者がたくさんいたのでしょうね。

読解力?

聞くところによると、お国は「児童・生徒に対する学力低下を踏まえ、小中高校の週5日制を維持しながら授業時間の総数を増加するため、夏休みの短縮や土曜日の補修など方策を検討」しているのだそうですね。ある世論調査によると、国民の46.5%が、授業時間の増加に賛成しているとか。ふ〜ん。

でも、不思議に思うのは、「学力」を定義する人がいないこと。学力低下を議論するなら、まず最初に「学力」の定義を明らかにしなくちゃいけないんじゃないのかな。それとも、あらためて定義する必要もないほど、わかりきってることなのかな。だとしたら、こんなことを疑問に思う私は、親失格、だ。

経済協力開発機構っていう国際機関が定期的に、多くの国で義務教育が終る15歳の学童を対象に、「生徒の国際学習到達度調査」っていうテストを実施してる。このテストで測定してるのは、「それまで学校やさまざまな生活場面で学んできたことを、将来、社会生活で直面するであろうさまざまな課題に活用できる力がどの程度身についているか」だそうだから、日本の大人たちが一般的にどう考えているかは別として、世界の主だった先進国では、義務教育課程で習得すべき「学力」を、「日常生活で出会う諸問題を処理する力」と捉えているようだ。

このOECDは、学力を4つの観点で捉えているんだけど、その中のひとつが「読解力」。「日本のこどもの学力が落ちてるぞ!」と大騒ぎになるきっかけは、実は、この読解力が下がったという結果だったらしい。2003年の問題は非公表だけど、2000年には、読解力を測定する目的で、例えば、こんな問題が出されてる。


図Aは、北アフリカのサハラにあるチャド湖の水位の変化を示しています。チャド湖は、氷河時代にあたる紀元前20,000年、完全に消滅しました。しかし、紀元前11,000年頃に再び姿を現しました。今日、その水位は、紀元1000年頃と同じくらいです。

図Bは、サハラの壁画(壁や洞窟で見つかった古代の線画や色彩画)とそこに描かれた野生動物の絵の変化を示しています。

問題1 今日のチャド湖の水深はどれですか?

  1. およそ2メートル
  2. およそ15メートル
  3. およそ50メートル
  4. 完全に消滅してしまっている
  5. 必要な情報は提示されていない

問題2 図Aのグラフは何年にはじまっていますか?

問題3 図Aの作者は、なぜそのグラフの開始年をその時点に選んだのですか?

問題4 図Bは、どのような仮定のもとで提示されたのですか?

  1. 壁画に描かれた動物は、その時代、その地域に存在していた。
  2. それらの絵を描いた作者は、高い技術を持っていた。
  3. それらの絵を描いた作者は、広い範囲を移動できた。
  4. 壁画に描かれた動物を家畜にしようとすることは試みられなかった。

問題5 この質問に答えるためには、あなたは図Aと図Bから得た情報を1つにまとめる必要があります。サイ(rhinocelos)・カバ(hippopotamus)・オーロックス(aurochs)がサハラの壁画から消えたのはいつですか?

  1. 最後の氷河期のはじめ
  2. チャド湖の水位が最も高かった時代のなかば
  3. 数千年にわたってチャド湖の水位が下がりつづけたのち
  4. とぎれることなくつづいた乾季のはじめ

別に、OECDの連中の「読解力」観が絶対的に正しいとは言わない。でも、この問題を見る限り、多くの先進国の人びとが認識している「読解力」と、日本人のそれとの間には、少なくとも質的には大きな開きがありそうだ、と言えそうな気がする。

上の「問題3」は、その差を象徴している。例えば、新聞に「去年の交通事故死亡者は○○○○人で、一昨年よりも○○○人減った」という記事が出たとき、おそらく日本人は、「去年の交通事故死亡者−一昨年の交通事故死亡者=マイナス」という計算の末、「ああ、減ったんだな」と納得して、それで終わり。でも、主だった先進国では、15歳のこどもたちに持っていてほしい基本的な読解力として、「記者はなぜ去年とおととしの統計を比較したのだろう」とか、「50年前の統計を持ち出さなかった記者の意図はどこにあったのだろう」などいう視点を期待している。統計に限らず、すべての情報は意図・目的があって提示されるものだからだ。

そもそも、このような視点を持つことを、日本の大人たちは日本のこどもたちに求めてはいない。こどもたちは、学校でも、家庭でも、そうした力は要求されないし、入学試験でも問われない。だから、このテストにおいて、日本のこどもたちの読解力が「下がった」結果が出ても、すこしもあわてる必要はないはずなのに、大人たちはパニックになってる。これって、ヘンだよね、どう考えても。

ゆとり教育」の結果、台形の面積の求め方を学習しなくなったり、円周率が「およそ3」とされるようになったり、3年生で勉強していた3桁どうしの掛け算を5年生で学習するようになったので、こどもらの学力は下がってしまった、のだそうな。っていうことは、大人たちは、授業時間を増やして、それらを元の状態に戻したほうがいい、そうすれば、学力は再び向上する、と考えているのかな? もし向上したとしても、そんな学力なら、私は自分の娘に備わっていなくてもいいし、その結果「いい学校」に入れないことになったとしても、いっこうに構わない。そんな学力なんか、ファックだ!