文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ジャック・ラカンの「鏡像段階」論について。

昨日から本格的な夏休みになった。我が家も立派な「地デジ難民一家」というわけで、テレビから完璧に排除されたので、これ幸いと、昔懐かしいラジオの「子供電話相談室」なるものを聞きながら、学生の一人が書いてきた大論文を読んでいる。東浩紀からデリダラカンフロイト・・・まで雑多にというか、強引にというか、引用文献や参考文献として並べられた大論文。荒削りだが、ちょっと読むだけでも大いに刺激を受ける。近頃の学生を舐めてはいけないと思う。論文の内容はsns時代の孤独と自殺を、ジャック・ラカン理論を使いながら、論じたもの。snsで、「つながり」があるように見えるが、実は、決してつながっているのではない。ますます孤立して、孤独になっていく。交通事故と自殺は異なると思われているが、実はそれほど違っているわけではない、と言う。ともに「他者による殺人」である。つまり、自己の投影でしかない他者、つまり自己という他者による殺人が自殺である、というわけだ。生きたいにもかかわらず、自己という他者が殺しに来るというわけだ。ここで、ラカンの他者論、つまり「鏡像段階」論が登場する。ラカンは自我の形成過程を「鏡像」で説明する。赤ん坊は、鏡に映った自分の姿を見て、初めて統一性を感受するらしい。そこでラカンは、自我の形成過程を三段階に分ける。想像界象徴界現実界の三段階である。僕が、このラカンの三つの概念を知ったのは、浅田彰の『構造と力』であったが、その『構造と力』が、探していたら、見つかったので読みなおしているところだ。ちなみに、柄谷行人の『世界史の構造』におぇる交換の三段階も、柄谷行人は明言してはいないが、ラカンの概念と連動している。(続く)


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ゲスト出演番組(電力中央研究所、東電工業む、東電環境エンジニアリングその他提供)
「環境問題のウソを見抜け」 より。
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