不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

レンズを通しても何も見えない


 アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生鑑賞。
 もし、ある写真家に興味を持ったのなら、その人の写真集や作品を眺めればいい。それが彼・彼女を理解する一番の方法だからだ。写真達から各々の疑問・命題の答えを探っていくのが、写真という芸術だ。ま、そんな事はわかりきっている事。
 ただ、それではあまりにも漠然としていて、ふわりとしたものしかない。もっと具体的に、彼女がどんな人物なのか知りたい。その為に、今作のようなドキュメンタリーやノンフィクション作品が存在する。
 しかし、この映画から、アニー・リーボヴィッツという女性がどんな人間なのかは、さっぱり見えてこなかった。上っ面をなぞっただけで、見終わった後に残るものは、何も無いに等しい。
 勿論、興味深い箇所は何個もあった。例えば、『ローリングストーン』誌編集長が「ストーンズに24時間以上同行するな、危険すぎる」と忠告した事。当時のストーンズがどれだけ巨大で危険な存在だったか、よくわかる。そして、忠告を受けても同行したアニーの行動力と度胸も。
 もう一つ。スターやセレブを相手に派手な仕事をしていたアニーが、戦火のサラエボに行った事によって、自分のバランスをフラットに戻せたと言っていた。平和・反戦などの思想を飛び越えて、あくまでカメラマンとしての発言をしていたアニーはすばらしくカッコよい。
 しかし、それだけなのだ。おそらく、聞かれれば誰にでも言うであろう発言ばかりを集めた印象を受ける。もっと、奥の方に秘めたものを、見たいのだ。
 彼女が体験したサマー・オブ・ラブとは。レンズの向こうのロックスターという存在は。サラエボに行った時の感想は。そして、スーザン・ソンタグとの関係は。
 ソンタグと恋人同士になったのはわかったけど、それ以上があまりにも少ない。彼女と何を話したのか。写真についてなのか。戦争についてなのか。彼女をどう思い、彼女はどう思っていたと思うのか。
 なにより、ソンタグが病気になったと知って、それからも彼女の写真を撮り続けた思い。レズビアンでありながら、子供を持った意味。
 全てが生ぬるい。駄目だ駄目だ、こんな映画。せっかくアニー・リーボヴィッツといういい対象がいるのに、上っ面だけの「アニーって凄いでしょ」と言っているだけ。気に喰わない。やるのなら、対象に肉薄し、ヒリヒリとした“真剣勝負”をしろ。宮崎駿じゃないが、作る以上は世界を変えるつもりで作れ。生ぬるさに加えて、編集・演出がちぐはぐなので、本当に浅い印象しか受けなかった。
 監督はどんなやつだよ、と調べてみたら実妹だった。だから、か。妙に納得。