「音楽美学」を読む【10】アストル・ピアソラ「ヴィオレンタンゴ」
Astor Piazzolla Libertango 野村 良雄 音楽美学 改訂 |
所詮、愛するものへの愛の表現として我々ロコ(=酔いどれ者)は愛するものを抱きしめる以外に力を持たない。ベートーヴェンのピアノソナタ第23番へ短調作品57の 「熱情(アッパッショナータ)」研究を端緒とした「トニックとサブドミナントマイナーの関係論」は([[アフリカ]]を経て、アルゼンチンへと向かう。そう。それはタンゴだ。愛するもの同士、2人が身体と肌をピッタリと寄せ合い、抱きあう踊りへと。 アストル・ピアソラ(Astor Piazzola)のヴィオレンタンゴ(Violentango)のコード進行。キーBbマイナーで、旋律をタブ譜にすると、
これがテーマであり基本はこれの反復。コード進行は Im-bIIIm-bVI-V7 の繰り返し。トニックマイナー→サブドミナントマイナー→ドミナントというコード進行を繰り返す。ドミナントはトニックへ戻るために必要とされているだけ。こうして「トニックとサブドミナントマイナー」の世界は、ベートーヴェン「熱情」から始まって、「野ブタ。をプロデュース」、宮部みゆき&大林宣彦監督の「理由」、ジョン・コルトレーン「アフロブルー」を経てアルゼンチン・タンゴの巨匠、ピアソラへと流れてきた。 愛するものが抱き合う踊り、タンゴへ。トニックとサブドミナントマイナーが抱き合って。サブドミナントマイナーとトニックが抱きしめあって。抱きしめあって。音楽と”抱きしめあい”は軽やかに国境を越えていく。何故「音楽美学」を読むのか? それはこの理由による。我々は次にもう1つの音楽的国境を越える! 越えてその「理由」を語る。泣くな。私はあなたを抱きしめる以外の力を持たない。あらゆるものは皆、タンゴを踊るべきだ。鴨川で、多摩川で、大井川で、隅田川で淀川で木曽川で etc、あらゆる場所で。 ■関連記事:前回 |