付加価値審査

この物語はフィクションです。実際の登場人物や団体は架空の物であり、実在の人物ではありません。
主な登場人物

そろそろ次の審査時期が近付いてきた。
審査時期が近付くと、私は様々なサイトを覗き、審査に対する準備を行う。
特に、ISO17021:2011の文章は必ず見直すことにしている。
経験則として、審査員が個人の主観を審査で述べるが、それが個人的な雑談なのか審査上の指摘なのかの判断がつかない為である。

「有効性のある審査を実施します」
「付加価値審査を行います」

審査員はオープニングミーティングでこのように発言する。
いつのころからこのような発言を言うようになったのかは不明だ。
私が環境管理の事務局に入ったころは、審査員からはこのような発言はなかった。
当時の審査員が、審査機関の職員ではなく登録審査員であったからで、昔から言っていたのかもしれないし、ここ数年、審査機関の経営方針が変更となった為なのかもしれない。

そもそも、「有効性のある審査」や「付加価値審査」とはなんだろうか? 
従来の審査との違いなどを説明されたことはない。今後の審査時に従来の審査との違いについて聞いてみてもよいかもしれない。

私はそんなことを考えた。とはいえ、隣に座っている相田はISO審査員補の資格を持つ。このあたりについて情報を持っているかもしれないと思いきいた。

「わかりません」

相田の回答だった。私はさらに相田が審査員の場合はこのような発言を行うかと質問を続ける。

「審査を行う行為そのものが組織として有益に繋がりますから、その観点から言うかもしれません」

相田のこの回答に対し、ISOの審査は、組織が価値があるから自主的に審査を受けるケースに該当しないのではないか、と感じた。
その理由は、組織にとってISOの認証登録を必要とするケースと、審査を望んで受講するケースとでは意味合いが違うためである。
組織にとって経営上、認証登録が必要な場合、サーベランス審査を受けたくないと思っても規格で必須となっている以上、審査を受けざるを得ない。受けたくないと考える会社にとって、サーベランス審査や再認証審査は、相田が述べた利点が発生する事はないだろうという感想である。


付加価値審査とは本来なんだろう?

JABで対訳が一次公開されていたようだが、現在は参照できない(検索には出てくるのだが参照先に行くとページがない)状況になっている。
仕方がないので、公開されている別の所のデータを参照してみた。
そこでAGPというISO 9001 審査実務グループが公開している審査プロセスにおいて価値を付加する方法を参照してみた。

“付加価値”とは何を意味するのか?
品質マネジメントシステム(QMS)審査では、“価値の付加”が大切だという話題が非常に多いが、それが真に意味するところは何なのだろうか。審査の完全性を危うくすることなく価値を付加できるのだろうか、又はコンサルティングをせずして価値を付加できるのだろうか。原則として、すべての審査に価値を付加するべきではあるが、これは常に真ではない。
この文書は、関係のある色々な当事者に対して、また、第二者又は第三者審査の場合に遭遇する可能性が高い各種状況に対して、審査が、どのようにして、価値を付加できるのかについての指針を提供する。

まずここまででを考察してみると、付加価値を行うことの危険性に触れている。
そして、指針により、コンサルティングにならない及び本来の「審査」としての在り方を阻害しない範囲を提示しようとしているのがわかる。

“価値を付加した”品質マネジメントシステム
辞書によると“価値”の定義は幾つかあるが、どれも、何か役に立つものという概念に焦点がある。“価値を付加する”とは、したがって、何かをより役立つものにするという意味である。
組織によっては、ISO 9000 シリーズの規格を利用して、彼らの業務の方法の中に統合され、彼らの戦略的事業目的の達成を支援する際に役に立つ、逆に言えば、組織に価値を付加している品質マネジメントシステムを開発してきている。他方、官僚的な一連の手順や記録を作るだけで、組織が実際に動いている実態を反映させていない組織もあり、単に費用を付加するだけであり、役には立っていない。言い換えれば、それは、“価値を付加”していない。

訳注:文中にでてくる「ISO9000 シリーズ」は2000 年版より前の版を指す。現在は統合されISO9001 となっている。
それは、アプローチの違いの問題である。
付加価値のないアプローチは、“我々はISO 9000 認証を取得するにはどの手順を書かなければならないのだろうか?”と問う。
“価値を付加する”アプローチは、“我々のISO 9001 をもと元にしたQMS をどのように使えば我々の事業を改善するために役に立たせられるのか?”という疑問を投げかける。

ここでわかる点は、ISOは役に立っているか。使用されているか?という点である。
より役立てるために「こうしてください、あーしてください、これを追加してください」というのは、付加価値審査の範囲外となる。

審査プロセスにおいてどのようにして価値を付加するのか?
QMS を維持し、改善する中で、組織に役に立つ審査を確実にするにはどうすればよいのだろうか。(しかしながら、これ以外にも考慮に入れる必要のある見方があるかもれしれないことを認識したほうが良い。)
“価値を付加する”ために、第三者審査は、次のことにより役に立つものであることが望ましい。

  • 認証を受けた組織に対して、
    • 戦略的目標を達成するための組織の能力に関して、トップマネジメントに情報を提供する
    • 解決されるなら組織のパフォーマンスを向上させるような問題を明確にする
    • 改善の機会及び起こり得るリスク箇所を明確にする。
  • 組織の顧客に対して、適合製品を提供する組織の能力を向上させる。
  • 認証機関に対して、第三者認証プロセスの信頼性を改善する。

“価値を付加する”ためのアプローチは、ISO 9001 の要求事項に対しての組織の品質文化の成熟度とQMS の成熟度の関数で表すことができそうだ。

少し具体的になってきた。

「戦略目標を〜トップマネジメントに情報を提供する」
トップマネジメントが組織の能力を把握していないのは非常に残念な状況であるなと感じた。しかし、組織において実際このような状況が起こり得るのだろうか、という疑問がある。当社の様に、部長以上、社長や取締役役員含めて大手メーカーや国営法人の天下りによって占められる組織であればわからなくもない。しかし、当社のようなケースでも、情報を彼らに渡したところで理解するだけの力量がないので意味がないのもまた事実だ。たいていは数値のみにしか興味を示さないだろう。
この内容の背景には、規格でいう所の「必要なリソースを提供する」に繋がるのだろうが、現実として審査の場でこのような指摘が出来る審査員がいるとは考えにくい。
なぜなら、この指摘をする場合、トップマネジメントに対してしっかりと時間を取ってレビューを行い、どのようなプロセスでリソースを分配するのか、その評価方法まで審査員は確認しなければ片手落ちになるからだ。

「解決されるなら組織のパフォーマンスを向上させるような問題を明確にする」
ここでは具体的な事例を示すことを求めているのだろう。少なくとも環境側面の抽出をしっかりしてパフォーマンス向上に繋げろなどという不明確な指摘ではないのは「問題を明確にする」という点からもうかがうことが出来る。
この点についても、そこまで踏み込んで事業活動や製品の運用状況を理解し、適切な指摘することが出来る審査員がいるとも考えにくい。中学のクラブ活動しかしていない部員が、プロ選手にトレーニング指導するようなものだ。それでも、さまざまな組織を審査してきた審査員なら、その経験を生かすこともできるかもしれない。しかし、コンサルティングも他者の審査で得た情報を他で使用する事は審査会社としてはやってはならない事でもある。やはり厳しいとしか思えない。


「改善の機会及び起こり得るリスク箇所を明確にする。」
やはりここでも「明確にする」という具体的な事例を求めている。つまるところ、改善の機会というものに対しても、改善結果を明確に出来なければならないことであり、リスクについては発生の可能性も含めて提示する事を審査員に求めている。これも審査員が実際にできるかと言えば難しいだろうとしか思えない。
この箇所で唯一審査員が出来そうなのは、リスクの一つである法令違反の指摘ぐらいだろう。


「組織の顧客に対して、適合製品を提供する組織の能力を向上させる。」
この件に対して私が思い浮かんだのは「MSDS*1」だ。法的にも労安法では情報提供の義務を謳っていたと記憶している。しかしこれも、先のリスクの一つの範囲に収まる。その製品がメイドインチャイナであるか、メイドインシンガポールであるかなどの製造国を知りたいとは個人的に思う所もある。しかし、その情報の提供範囲について、顧客要求がなければ際限がない。
個人的に着なる点として、MSDSの提供方法に会員登録しなければ閲覧できなかったり、メールで請求しなければ得られなかったりする場合がある。HPがあるのだからそこで簡単に閲覧できるような形で提供してほしい、と要求したことがあるが、却下された経験がる。こうった提供される側もする側も手間をかける仕組みを取っ払い、簡潔になる方向で提供側組織に能力を向上してほしいと思いはある。
ぜひとも審査員にはこの点を指摘してほしいと思うが、審査員が審査対象の会社の顧客がどういった人たちで、何を望んでいるかなどの考察やレビューを行うまたは被監査側にそのような仕組みがあることをきちんと確認するとも思えなかった。

ほとんど、又はまったく“品質文化”のない、また、QMS がISO 9001 に適合しない組織にとっては、審査がどのようにして価値を付加するかの期待は、品質マネジメントシステムを“どのようにして”実施するのか、及び/又は指摘された不適合をどのようにして解決するのかについての助言がもらいたい、ということを意味するのかもれしれない。

ここでは、審査員は、十分注意をしなければならない。なぜなら、第三者審査では、そのような助言は、間違いなく利害の衝突を引き起こし、認証機関の認定に関するISO/IEC17021 の要求事項に違反する可能性があるからである。しかしながら、審査員ができることもある。それは、不適合に遭遇したときはいつでも、規格が何を要求しているか、なぜ不適合が指摘されたかを被審査者に明確に理解させることを確実にすることである。組織が、これらの不適合解決により、パフォーマンスが改善されると認識できれば、認証プロセスを信じ、それにコミットする可能性が高くなる。しかし、確認されたすべての不適合を報告することが大事である。それにより、組織が、ISO9001 の要求事項を満足するためには何をする必要があるのかを明確に理解するからだ。

ここでは不適合を閣下が出した場合だろう。これは改善の機会や観察事項も同様と思われる。*2
この内容で1点不明なのか、不適合が解決されるとパフォーマンスが改善されるとしている点だ。現実では審査員による不適合には根拠がない物が多いし、本当に根拠を提示することが出来た場合でも、組織経営ではなくシステムが整理されるだけの範囲で終わるだけのケースも存在するという認識だからだ。この前提が成り立つためには、組織の運営とシステムが完全に一致する理想的な関係にある場合のみであろうという感想を得た。

審査の結果、認証が得られなかった場合、それに全く満足できない組織もあるだろうが、その組織の顧客(その組織の製品を受け取る顧客)は、彼らの視点からすれば“価値のある”審査だときっと考えるであろう。
認証機関の視点からは、検出された不適合のすべては報告しないこと、及び/又は品質マネジメントシステムの実施方法についての指針を提供することは、審査という職業又は認証プロセスの信頼性に対して価値を全く付加しない。

上記の議論は、主に第三者(認証)審査に関わるものであることを認識しなければならない。第二者(供給者評価)審査が、組織にその品質マネジメントシステムの実施方法を提供することにより“価値を付加”すべきではない、という理由はない。実際、このような状況では、そのような指導(正しい根拠によるものであれば)は間違いなく組織及びその顧客にとって有益なはずである。

内容的にはよく理解できないが一点理解できた点は、正しい根拠による実施方法の提供が出来れば顧客にとって有益という意見はとても皮肉であるという事だ。また、審査ではすべての不適合を報告し、被監査組織と審査組織の見解が分かれた場合は認証機関に提示し回答を得るというルールであったと記憶しているが、まるで審査側が意図して不適合を報告しなくてよいように見える部分には眉をひそめる。

成熟した“品質文化”があるが、QMS は未成熟であり、ISO 9001 要求事項に適合しない組織にとっては、審査がどのようにして価値を付加するかの根本的な期待は、ゾーン1のそれ(根本的な期待)と多分似ているだろう。しかし、組織は、審査員にずっと大きな期待を抱く可能性が高い。
価値を付加するためには、審査員は、組織の既存の慣行が、ISO 9001 の要求事項を満たしているその方法を理解しなければならない。言い換えれば、審査員は組織のプロセスをISO 9001 の脈絡の中で理解しなければならないし、例えば、組織が、そのプロセスや文書体系を規格の条項構造に整合させるようにすることを押しつけてはならない。

例えば、組織は、ビジネスエクセレンスモデル、又は、Hoshin Kanri(方針管理)のような総合的品質管理ツール、品質機能展開、故障モード及び効果分析、“シックスシグマ”手法、5S プログラム、体系的問題解決法、QC サークルおよびその他に、そのマネジメントシステムの基礎をおいているかもしれない。審査プロセスにおいて価値を付加するためには、審査員は、少なくとも、組織の方法論を知っているのが望ましいし、それら(組織の方法論)が、その特定の組織にとって、ISO 9001 の要求事項を満足させるにおいてどの程度効果があるのかを理解するのが望ましい。

この内容は正直、相当厳しいのではないかと思う。審査員はおろか管理事務局ですらきちんと評価する為の力量があるかという不安があるのが実情だ。現場としても審査員より分析手法のみを提示されても困るだろうし、これらの分析を現場の担当者に理解させ実施させることは不可能だろうとも思う。意味がない。
分析が必要になった場合は分析専門の職員が派遣される又は分析のための緊急チームが結成されるだろう。ISO事務局の組織上の役割に関係なくチーム員に組み込まれるのが筋であろうが、解決能力(力量)を有する事務局がいる場合は、そもそもそのような指摘を必要としない状況にあると、私は思った。

また、審査員は、組織の一見高度な洗練されたやり方に“おどおどさせられる”ことがないことが大事である。組織が、そのツールを全体の総合品質哲学の一部として使用している可能性があるが、そのツールが使用されている方法にはまだギャップがあるかもしれない。したがって、審査員は、システムの問題を明確にし、適切な不適合を指摘できなければならない。このような状況では、審査員は杓子定規だ、さらには官僚的だとさえ非難されるかもしれないが、だからこそ、指摘する不適合の関連性を実証できる(示して見せる)ことが重要なのである。

この内容に、現実として実証できている審査員を見たことがないと、私は感じた。
この内容が正しいのであれば、審査員は付加価値審査をやると宣言した以上、不適合を証明する証拠を提示しなければならない。それが、改善の機会であっても観察事項であってもである。

ISO 9000 シリーズの規格に対してある有意な期間認証を受けてきた組織は、ISO 9001 への高度な水準の適合を実証できるかもれしれない。しかし、同時に、組織全体を通して“品質文化”を真に実施してはこなかったこともあり得る。通常、QMS は、組織の自らのニーズや期待にもとづく場合より、顧客の圧力の下で実施してきたかもしれないし、規格の要求事項を中心に構築されたかもしれない。その結果、QMS は、組織が冗長性と非効率を生み出しながら、その定常業務を実施する方法に対応して運用しているかもしれない。

このような状況の中で価値を付加するために、審査員の最も重要な目標は、組織が、そのISO 9000 準拠の品質マネジメントシステムを構築するための、そのシステムを日々の運営と統合するための、触媒の役割を果たすことが望ましい。第三者認証審査員は、ISO 9001 の要求事項を満たす方法の助言はできないが、組織に、規格を越えてその先に行くことを奨励し、刺激を与える(ただし要求はしない)ことは、容認されるし、それが本当に良い審査のやり方である。審査員の質問(及びその質問の仕方)は、QMS がどのようにしてより効率を高め、役に立つものになり得るかについて、組織に貴重な見識を提供できる。審査員による“改善の機会”の特定には、QMS の有効性を向上させる方法が含まれることが望ましい。しかし、また、効率改善に関する機会について述べてもよい。

この内容について私は理解するのに時間がかかった。要求事項を満たす方法を述べることはできないとされながら、要求事項にないが規格の求める先について述べることは許容されるとある。
QMSが製品製造などの効率を高めるための改善の機会を述べてもよいと言っている。

これが正しい根拠によるものであればという但し書きもない。………ここに書かれていることをどのように受け止めればよいのか、いまだ私には答えが見つからない。
少なくとも刺激であろうと改善の機会について述べるについても、その主張に対しての責任は存在しなければならないのでは、と考慮する。
審査員の主観が正しい物であるかの証明を被監査側に要求するというのは酷だろう。


同にも腑に落ちなかった為、英文の方を確認したら、「規格の要件を超えることを促進し、推奨することのは容認される」と読めた。
「含まれることが望ましい」ともあるが原文を「含まれるべきである(含まれる必要がある)」ではないのか?という疑問も持った。*3

成熟した“品質文化”のある組織で、有意な期間ISO 9000 シリーズの規格のどれかの規格に認証を受けていた組織の場合は、審査がどのようにして価値を付加するかの期待は、審査員にとってもっとも挑戦的なものであるだろう。この種の組織でのよくある不満は、審査員による“定期サーベイランス訪問”は無用であり、組織の目からはほとんど付加価値がない、というものである。
このような場合は、トップマネジメントが、認証プロセスの大切な顧客になる。したがって、審査員が、組織の戦略目標を明確に理解すること、及び、QMS 審査をその状況の中に置くことができること、が重要となる。審査員は、トップマネジメントとの詳細にわたる議論に時間を割く必要があり、QMSに対するかれらの期待を明確にし、その期待を審査基準に組み込む必要がある。

マネジメントインタビューに相当の時間を割くとあるが、いつも30分程度で終わっていたように記憶している。これはここでの内容と現実との差異が激しい。

あとは「審査員が価値を付加するための幾つかの秘訣」とあり、内容的には私の認識と大きく差があるところではなかった点もあるが、おそらくこれらはかつてJABの対訳公開されていたものそのままと思われ、その翻訳の内容に対して私は疑問を持ったが、一部、懇意的な意訳が含まれているように感じたが、全体を通じてJABの出している報告書とこの内容とでは、やはり方向性がかなり違うように見受けられる。なぜなら、JABは審査により有効性を向上させることを常に前面に出してきていためだ。
*4

このような状況では、改善の機会や観察事項で審査員が主観による放言を報告書に記載したとしても容認するだろうというのも予測内に収まった。




ここまでをまとめると、システムの利用状況と活用状況を確認し、会社の経営ツールとしてキチンと運用しているかどうかを審査する事と、トップマネジメントに対して相当の審査を行う事が、付加価値審査というものであると理解した。

また、“改善の機会”についても、リスクを明確に提示することか明確な根拠を伴う事を必要としていることがわかる。


ここまで調べ、ある程度の回答が出そろった時、昼休みを告げる鐘がスピーカーから鳴った。私は立ち上がって食堂へと向かうことにした。


いつも食べるメンバーが仕事で出払っている為、今日の昼は一人である。私はカツカレー(350円)の食券を買い、カレーコーナーで並んでいると後ろから話しかけられた。
「よう、柾」
振り向くとそこに板は、精度管理部 品証課の山口だった。
私は時計を見て時間を確認する。昼休み少し過ぎたくらいのいつもの時間であった。私が何を確認したのかわかった山口は
「たまにはいいだろ」
といった。彼の場合、昼休み中ごろから食堂にやってくる。基本的に私とは時間が合わないのだ。
話を聞くと、いつも食事が遅いのは同じ課の一人に皆が合わせている為らしい。今日は出張校正の為に客先に出ている為、早めに食事をとりに来たという説明を受けた。


お互い同じ席につき、他愛ない会話をしながら食事を勧める。そして話は品質の審査の話となった。
「付加価値審査、、、ねぇ」
彼も計測機器に関する品質管理をやっているため、ISO審査に関しては知識も経験もあった。
そこで私は午前中の話を聞かせ、従来のような付加価値審査によって組織に有益な影響を与えることはできないだろうという結論に至ったことを話す。すると彼は

「中国古代の話だけどな・・・

歴山というところの農夫がお互いの畦を侵しあってもめていたが、舜がその場にいって耕すと、たった1年で畦や畝が正しく治まった。
河岸の漁師たちは自分たちの漁場をめぐって奪い合いをしていたが、舜がその場にいって漁をすると、たった1年で年長者に譲るようになった。
東方の異民族たちの陶工がつくる品は粗悪品ばかりだったが、舜がその場にいって陶器を作ると、たった1年で品質が向上し堅牢な品ができるようなった。

という話があるのを知っているか?」

そう聞いてきた。私は知らないと答える。いや、それ以前にそんなことがあるのかと疑った。すると彼は得意そうな顔で
「この話から分かることはな。

耕すことも漁をすることも陶器をつくることも本来は舜の仕事ではない。しかし、舜がその場にいってそういうことをしたのは、はびこっている弊風を矯正しようとしたためである。
舜こそ、本当の仁者である。自分から人々と交わり親しくして苦労をともにしたために、民がこれに従ったのである。だからこそ『聖人の徳は人を感化する』といわれるのだ

という事を孔子が言ったわけさ」

なかなか興味深い話である。舜と同じことを審査員が行うことが出来れば、ISOの認証登録や第三者審査の価値は計り知れない。

私の反応を楽しそうに皆から彼は続けていった。
「でもな、これは『矛盾』の話なんだぜ」
矯正することが矛盾をはらんでいる、と彼は補足する。
「だってそうだろう? 水戸黄門暴れん坊将軍、遠山の金さんも同じさ。最初からそこに問題を抱えていたからこそ、正すことが出来たわけだ。なら、最初から問題がなければ正すこともない。時代劇なら水戸黄門の漫遊道中物語になるし、暴れん坊将軍や遠山の金さんは、遊びほうけている怠け者の話になっちゃうだろ」
まぁ、確かにと私は思う。番組のお約束は『悪人退治』だ。登場する『悪人』がいなければ物語は成立しない。
「ISOのPDCAやらスパイラルアップだって一緒さ。ネジを回しすぎるとネジが捻じ切れるか、止めている方、、板なら板が割れるよな。結局、用意されたネジの長さ分までしか回らないのさ。それ以上回そうとすると破たんする」
彼が言いたいことは、審査員は回らないネジを『回す余地がどこかにあるから回せ』と言っているという事らしい。
「付加価値、、というなら、まぁそのネジが緩んでいるところを探すのも審査員の仕事だろうぜ。そのゆるんだ部分を“改善の余地”としてネジを回してくださいと指摘するんだろ。自分じゃ回せないからな」
さすがに品質をやっているだけあってたとえがわかりやすい。校正作業をやるだけにネジの調整はお手の物だからだろう。
そして彼は続けて俺の考えであるがと断りを言ってつづける。
「日本にはISO9001は必要ないんだよ。だってそうだろ? ISOが来る前から日本製は高品質・高性能と謳われていたんだ。世界にゃ、ISO9001よりも『メイドインジャパン』の方がはるかに信頼性が高いぜ。つまり、ISO9001は日本の従来のシステムよりも遥かに格下だってわけだ」
彼の言わんとすることは理解できる。ISO9001を品質向上のシステムだと思っていればそうだろう。とはいえ、品質保証の面でも日本は高品質の為、やはりISO9001は必要としていなかったかも知れなし。
「結局、付加価値審査なんていってるのはISOというブランド名を上げたいがために連中が宣伝しているだけさ。だけどISOは国際規格だろ?つまり、『メイドインジャパン』だけじゃなく『メイドインチャイナ』も含んじまうわけさ。ブランドの価値も信頼性も、結局は悪いところに足を引っ張られる。欧州のユーロで言えば、イタリアやスペインがいい例だな」
なるほど、確かにドイツががんばってもイタリアやスペインによってユーロの価値は底値を漂い続ける。
「JABもISO本部も審査機関も、目的はISOというブランドと信頼性を高めることに躍起なんだよ。だた、あまりに理屈に合わないことはできない。だからこそ工業規格だから何事にも基準が必要となる。ISOの本質を犯さない程度に何とかする為の基準をAGPあたりが審査機関に提供しなければならない。審査機関が勝手にやるわけにはいかない仕組みだからな」
彼の持論はなかなかのものだと思った。もっと話を聞いてみたったが、昼休みの終わりを告げるベルがそれを許してはくれなかった。


参考1:ここ
参考2:APG審査の最適実施要領検討グループ


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*1:化学物質安全性データーシート

*2:JABは観察事項は指摘事項ではないと位置付けているが、観察事項を出している審査機関にそのような認識があるのかどうかは不明である。おそらく指摘事項として位置付けているだろう

*3: Identification of “Opportunities for Improvement” by the auditor should include ways in which the effectiveness of the QMS might be enhanced.

*4:「有益な環境側面」「有効性審査」その出所(一番初めの)はどこだろうか?(メモ書き)