房飾りのような笑い声:奄美自由大学体験記5(+言語哲学入門3)


すべては私の、そして結局は非人称の、意識への現れにすぎないとみなす薄っぺらな独我論(世界観)ではなく、決して消去できない「私」の経験に定位した、ウィトゲンシュタインの、いわば「存在論独我論」(野矢茂樹さんの命名)を学生たちに解説しながら(講義「言語哲学入門」)、私は奄美大島で出会った古老たちとの会話を想起していた。

ウィトゲンシュタイン存在論独我論からも脱出する出口を学生たちに分かりやすく示すために、私は私の奄美体験の核心を、1000枚の写真スライドショーのごく一部を見せながら、言葉を手探りするようにして、語った。その最中に、突然ある言葉が想起された、というか降臨したかのようだった。

Fact leaves ghoasts.

フランシス・ベーコン、近世の哲学者ではなく、現代画家のフランシス・ベーコンの言葉。10年以上もすっかり忘れていた言葉だった。私が経験する事実の総体としての世界だが、事実の格子から逃れる「ゴースト」が必ず存在する。それは未知の経験をも含む、存在論独我論を超えた世界観を示唆する。等々。
もちろん全員にではないが、学生たちには何かが確かに伝わったと感じた。授業が終わって、ノートパソコンやスピーカーを片付けていると、一人の学生が話しかけて来た。「自分を見失っている」という。「どうしたら、どう考えたらよいのでしょう」。私は自分のことのように答えられるだけのことを答えた。次の演習の時間に20分食い込んでいた。

10月8日(日曜日)午後、今福龍太さん主催の奄美自由大学、最後の「教室」は、ある海辺の集落の人たちとの響宴、饗宴だった。すべてが素晴らしかった。島の料理が、酒が振る舞われ、三線の音が流れ、唄が聴こえ、あちらこちらで会話が弾み、そのうち踊りが始まり、参加者のほとんどがその輪の中に入った。奄美大島滞在が非日常である参加者にとって、奄美大島に生きることが日常である島人たちとの間の深い断絶を飛び越えようとするかのような体ごと投げ出しての交流は、この上ない人生のレッスンになるはずのものだった。

しかし、もちろん、私はその断絶を断絶として深くしっかりと認識することしかできるはずはない。どんなに体が接近し、言葉を交わし、一緒に唄い、踊ったとしても、暗く深い淵は付いて回った。でも体のどこかが自然と反応し、踊っていたときに、私が触れていたのは、確かに奄美大島に生きる人たちの生きた記憶の一部だったのだと思う。それは「私」を遥かに超えた大きな記憶の一部で、しかしそのさらにごく一部は私の記憶に組み入れられた、と言えるだろうか。分からない。

一人の古老と話しているとき、といっても、実際にはその人の話しをただただ受け身に聞いていただけで、うなずくこと、一緒にどちらからともなく笑うことしかできなかったのだが、その聞いているだけで気持ちがよくなる、深くリラックスさせてくれるような声の抑揚、イントネーションと、ワンフレーズ毎に必ず最後に「房飾り」のようにつけられる独特の明るい天に向かい消えて行くような笑い声に、私は言葉というものの「奇蹟」を感じていた。こんな言葉を操る土地の人に生まれたかった。その人がさりげなく言った言葉が忘れられない。「生まれて来たんだから、いずれ逝く」。こんな無味乾燥で冷たい言葉では実際にはなかった。唄の一節のような、それはそれは不思議な姿の音のイメージで、その痕跡は今でも私の脳の中にはっきりと存在するのが感じられる。何なんだ?これは。

私は奄美自由大学最後の教室で、その古老をはじめとした島の年配者たちを一方的に身近に感じながら、亡き祖父母、父母、叔父の面影を彼らの表情に見ていたような気がする。いくつもの深い後悔の念の入り混じった感情がそこには伴っていた。彼らの話に耳を傾ける、耳を澄ますことが、未だにちゃんとできていない供養をすることに繋がるような気がしていた。

モノが多重に見える:奄美自由大学体験記6

前々エントリー「記憶とは観察力である:奄美自由大学体験記4」への美崎さんのコメントにはちゃんと応答しなければ、と感じたいくつかの論点があった。そのうちの一つは、実際に「モノが多重に見える」経験と、記録ツールのサポートによって実現される「脳の機能の拡張」との関係という問題である。美崎さんは次のように書いている。

オカルトかと思っていわないでいたのですが、じつは最近、モノが多重に見えます。といっても、ちゃんと見ようとするとやっぱり見えないので、それにそうとうするものをSmartCalendarなどで確かめるわけですが、確実にSmartCalendarや記憶の訓練は、ある種の脳の拡張の訓練になるように感じます。
三上さんがいきなりそこに達したのだとしたら、やはりそれはこれまでの蓄積がものを言っているのだろうなという気がします。
もし、そういうところ(脳の拡張)の機能を、SmartCalendarで立証できたら、また違う感じになるかなと思ってます。

「モノが多重に見える」状態のイメージは、多重露出の写真を思い浮かべればいいと思う。はからずも、今回の奄美自由大学で色々と話す機会のあった、吉増剛造さんや、KOSACこと濱田康作さんは、「見る」という経験の本質をあらわにしようとするかのように、多重露出の写真を撮っている。それらのmultiplex imposedな写真を「見る」という経験は、普通にモノを見ること自体に含まれる「意味」というか「文脈」を見るようなもので、純粋な(?)視覚ではない、厚みを帯びた視覚の経験のように思う。だから、「ちゃんと見ようとするとやっぱり見えな」くなる。

実は、奄美大島への道連れとして、書き忘れたモノがもうひとつあった。それも吉田修一さんのポルトガル紀行と同じくJALの機内誌SKYWARDに掲載されていた「関西大学 スカイセミナー Vol 49 共感覚(色聴)」から拾い上げたテーマだった。それは「ハ長調ヘ長調などの音楽の調性に色を感じる『色聴』」をはじめとするいわゆる「共感覚」現象を研究している関西大学の長田典子さんのインタビュー記事だった。そこで直接語られていた興味深い事実は、生後三ヶ月までの赤ちゃんの脳では聴覚野と視覚野の間に「経路」があるが、その後の成長過程で「刈り込まれる」(凄い表現!専門的には「アポトーシス」と呼ばれる細胞の「自死」のこと。神経細胞の自殺。)ということ、そして、まれに、2000人に1人くらいの割合で大人になっても聴覚と視覚が「繋がっている」人がいるということだった。面白い、と思った。おそらく他の感覚・知覚との間にもそのような「経路」があっただろうし、もしかしたら、なんらかの訓練によって、そのような経路に相当する繋がりを復活させることができるのではないか、と想像したのだった。

奄美自由大学では、フランスから飛んできた詩人の方や作曲家の方と、その話題で盛り上がったことを思い出した。プルーストの記憶の問題、幽霊の話す言葉は何語か?という問題、音楽療法における共感覚や記憶想起の問題などについて、巡礼の道行きのなかで、真剣に話し合ったりしたのだった。

美崎さんのコメントを読んだとき、そのことを想起した。デジカメでSKYWARDの目に留まったページを記録しておいてよかった。

正確には「モノが多重に見える」知覚経験は「共感覚」とは言えないが、少なくとも、普通は意識されない記憶アイテムの連結というか重層化が、常識を超えたスライドショー経験を続けたりすると、起るのだろう。

私の場合、まだ「モノが多重に見える」わけではないが、いままでかけ離れていた別々の「見え」が接近しつつあるのは実感していて、見知った場所を歩いていても奇妙な浮遊感がある。重なるのは時間の問題のような気はする。でも、だから?要は、私がやっていることは、美崎さんが繰り返し強調するように、現実の奥深さを知るための、ひとつの回り道、でも少なくとも「達人」ではない私にとっては、もっと近い道は思いつけない、したがって一番の近道でもあるような、避けて通れない道、面白い実験だと感じている。