象牙,クジラ,原子力,負け方を知らない国の悲惨

象牙の取引を取り巻く環境が悪化しているらしい。こんな具合である。

ヨハネスブルクで開催中のワシントン条約締約国会議の第2委員会は2日、深刻な密猟被害で絶滅の恐れがあるアフリカゾウ保護のため、象牙の国内取引禁止を各国に求める決議を採択した。日本政府は、国内市場に出回る象牙は条約による規制以前に輸入されたものが多く、入手経緯が報告されるなど「適切に管理」されているため、採択の影響はないとの見方だ。しかし、今後は違法性がないことを示す具体的な取り組みが求められそうだ。

これに対し,政府は日本のマスコミにこんな能天気な解説をしているらしい。

日本政府代表の中野潤也・経済産業省野生動植物貿易審査室長は報道陣に「採択された決議は日本国内の市場の閉鎖を求めるものではない。市場は厳格に管理されており、密猟や違法取引にはつながらない」と語った。だが、海外の環境保護団体は日本でも違法取引があると指摘しており、今後管理強化策が示されなければ国際的に厳しい追及を受ける可能性も残る。

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象牙の国際的取引の禁止には米中も賛成しているとのこと。これは鯨漁禁止の流れを彷彿とさせる。
象牙の印鑑は日本の文化・伝統だ,鯨漁は日本の文化・伝統だというレトリックに世界中のどの国も理解を示さずに,国際社会の中で孤立していくというパターンである。
政府は,業界団体の支持欲しさに印鑑業界や鯨肉加工業界の主張を国際社会でも,そのまま訴えているつもりなのかもしれないが,その代償を考えたことがあるのだろうか?こう言ってはなんだが,南沙諸島尖閣諸島の問題は,外交・軍事・地政学の専門家を除けば世界的に見て,当事国以外はほぼどうでもいい問題,というか全く関心がないし,そもそも問題があることさえ知らない。ところが,アフリカゾウやクジラの苦しみには非常に敏感だ。日本のイメージという点からいえば,こうした問題で孤立するのは大変痛い。象牙やクジラ以外の,文字通り日本の死活問題で国際世論の支持や共感を取り付けるのが困難なことになりかねない。
20世紀環境史

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どうして日本政府は,象牙,クジラは負け戦ということを日本国民や業界団体に向かってきちんと説明できないのだろう。曰く,「国際世論の流れでこれ以上これらの問題に拘泥することは,日本の対外イメージを致命的に悪くし兼ねません。業界の皆さんには申し訳ありません。他の分野への転換・転向をお願いします。それまでの支援は国が責任を持ちます。転換にどれくらい時間が必要ですか?何かアイデアありませんか。知恵を出し合ってくださ氏,できる限りの支援はします。以上。」これでおしまいの話だ。
原子力でもそうだ,少なくとも先進国の世界の流れは自然エネルギーへの転換だ。この分野でも日本は頑迷に原子力に拘泥している。おまけに官民+マスコミが癒着という名の鉄壁のスクラムを組んで,原子力を死守しようとしている。
新書803日本はなぜ脱原発できないのか (平凡社新書)

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こういう風景を見ていると,どうして70年前に日本があれほど無謀な戦争を起こして,隣国に残虐の限りを尽くして,あんな酷い負け方をしたのか少しわかる気がする。この国は理性的に交渉して,理性的に落とし所を見つけるとか,譲歩するということが能力的にできない国民なのだ。
このまま行くと,20世紀の日本が驚異的な近代化と奇跡的な復興で世界を驚かせたの同様に,21世紀の日本は幼稚な頑迷さで世界から軽蔑と嘲笑しか得られないのではないかとい心配になってくる。負けるのは大変だ。その時にこそ,人間の英知が試されているのだから。