心理学者の強制収容所体験記 ― ∨・E・フランクル『夜と霧』(評価・S)

 

夜と霧 新版

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極限状態の中で、人はどのように運命と向き合うべきか?
人間が生きる意義を問う、ユダヤ人心理学者の強制収容所体験記。
 

 ナチの強制収容所体験記録として、この『夜と霧』ほど広く読まれた作品はないだろう。
 本書の初版では「ユダヤ」「ユダヤ教」「ユダヤ人」という言葉が、ただの一度も出てこない。一民族の悲劇ではなく、人類普遍の悲劇として、その中に生きた人間の様子を記録している。
 ウィーン大学教授であった著者がアウシュヴィッツに送られたのはホロコースト初期の頃だ。最初の選別で9割がガス室に送られたという。残りの1割も強制労働をしいられた。一家で生きて戻ったのは彼だけだ。彼はいう。「良い人たちはみんな死んだ」
 それでも彼は「エリート」に属さなかった。カポー(労働監視者)のように、特権を得る代わりに被収容者を痛めつけることはしなかったのである。
 著者が収容所で立てた行動原則は2つ。「何かをたずねられたら、おおむね本当のことを言う」「みずから運命の主役を演じない」。羊の群れのように生きた、と彼は回顧する。
 繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えた、という彼の指摘は衝撃だ。極限状態でも、人間らしく生きることの意義を本書は教えてくれる。
 誰もが悲劇に直面するときがある。その準備のために、そこから立ち直るために、本書ほど支えになるものはないだろう。必読の書である。
 



 

 本書『夜と霧』の原題は『ある心理学者の強制収容所体験』という。
 著者のフランクル博士は、ウィーン大学神経科教授であったが、ナチによるオーストリア併合後、ユダヤ人であるという理由で妻と子供と共に逮捕され、強制収容所に送られた。戦後、生きて戻ったのは彼のみである。
 被収容者番号は119104。身分証明書を含む、全財産を奪われた被収容者にとって、その番号のほかに他者と区別するものはない。
 しかし、番号を与えられただけでも幸運であっただろう。彼とともにアウシュビッツに送られた多くの者は、番号を与えられることなくガス室送りであった。強制収容の初期はそのようなものであった。おそらく、彼の妻や子供はそのときに命を落としたのであろう。
 最初の選別で使い道があるとされた被収容者には、強制労働が待っていた。心理学者フランクル博士も例外ではない。収容所ではリストが至上であり、その番号のみに意味があった。その生死はあまり問題にならなかった。
 

 この強制労働の監視者を「カポー」という。彼らは被収容者の「エリート」であり、様々な特権が与えられた。監視兵よりも、親衛隊員よりも、カポーによく殴られたと著者は語る。そのような適正があるものがカポーに選ばれたのだ。
 被収容者の新入りは、便所掃除や糞尿の汲み取りを受け持つことが多いが、その作業中、顔にはねかえった排泄物を拭おうとすれば、たちまちカポーの一撃が飛んできた。労働者が「上品ぶる」のが気にさわったのだ。
 土木作業に移ってからも、暴力から逃れることはできない。それでも、殴られる肉体的苦痛は深刻ではなかったと著者は語る。心の痛み、つまり不正や不条理への憤怒に、殴られた瞬間、人はとことん苦しむのだと。
 

 このように精神的に追いつめられて、被収容者のほとんどは「退行」してしまったと著者は語る。その典型的な例が夢である。
 パンの、ケーキの、タバコの、気持ちいい風呂の、そんな夢しか被収容者は見なくなった。性欲は失われ、男だらけの収容所でも同性愛行為はなかったという。
 著者は体験談として、ある者が悪夢にうなされていた夜を記している。そのうめき声を聞き、即座に起こそうとした著者は、すぐに考えを改めた。どんな悪夢でさえ、強制収容所に生きる現実に比べたら、まだましであると。
 

 著者はいう。「収容所の1日は1週間よりも長い」
 どういう意味か。収容所の1日は生き延びることで必死である。労働者として使い物にならないと見なされれば、自分の番号はリストから外される。その先には死が待っている。与えられる配給はほんのわずか。空腹と耐えながら労働しなければならない。シャツはずっと着たきりで、泥と垢の区別がつかないまま。監視員には不条理に殴られる。 

 そんな長い1日に比べて、1週間をふりかえっても何も残らないのだ。それだけ収容所の生活が過酷だったということである。
 そんな壮絶な強制収容所体験を振り返りながら、著者は言う。
「繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えた」
 人間の苦しみは、肉体的苦痛よりも心の痛みが大きい。だから、感受性の強い人ほど傷が深いのではないかと考えるかもしれない。しかし、その感じやすさゆえに、精細な人はみずからの内面自由に生きるすべを身につけているのだ。たえまない愚弄と嘲笑と殴打の間、その痛みから逃れるためには、精神の殻に閉じこもるしかないのだ。そのすべを持たない粗野な人は次々と破綻していったと著者は語る。
 

 その強制収容所生活で心からうれしいと思った瞬間は、著者には2回あったという。
 一つが2日の静養が認められたときのこと。その静養所では七十人がいた。蚕棚のような段ベッドにぎゅう詰めになって横たわり、一日に一度の少量のパンと薄いスープを待つだけの二日間。でも、点呼に出ることはなく、生きるために体力を温存することができるのだ。これほど幸福だったときはないと著者は語る。
 もう一つが、炊事場で厨房係の被収容者Fの列に並ぶようにいわれた瞬間である。このFは、皿を「さしだす者の顔を見ない」たったひとりの厨房係だった。つまり、個人的なつきあいのある者や同郷の者をえこひいきにせず、公平にスープを配る厨房係である。その列に並んだことだけで、著者は心から満足したのだ。裏を返せば、それだけ収容所生活は身内びいきに翻弄されていたといえる。
 

 著者はこの収容所内で、ドストエフスキーの言葉を胸に刻んだ。
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」
 それを実践することはどんなに困難だっただろう! しかも、公正な人間など数えるほどもいない収容所生活の中で。
 著者はその生き方のために、次の2つの行動原則を立てたという。
「何かをたずねられたら、おおむね本当のことを言う。きかれないことは口にしない」と「みずから運命の主役を演じない」ことである。
 後者は「運命にさからわず受け入れる」と言い替えたほうがわかりやすいだろうか。運命に従うことは生きることをあきらめることではない。例えば、宗教では運命にあらがえない人間の生きる道を「神」という絶対権威を作ることで説いている。
 今風にいえば、フランクル博士は選択肢を間違えなかったわけではなく、選択肢を選ばなかったのだ。例えば、彼は脱走計画に加わろうとはしなかった。
(なお、脱走者のほとんどが生きて帰れなかったと、著者は戦後に知る)
 ただし、選択肢を選ばなかった者だけが生き残ったわけではない。運命にあらがった者はほとんど死に、運命を受け入れた者もほとんど死んだ。最善の選択肢など結果論にすぎない。その運命を《神の試練》としたところで、生死が変わるわけではない。
 著者はニーチェの次の言葉を引用するだけだ。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
 フランクル博士が生きることをあきらめなかったのは、心理学者である自分が、この強制収容所体験を世界に発表することが使命だと感じていたからである。だから、戦後まもない1947年に本書は世に出されたのだ。
 しかし、生き延びた収容者のほとんどは、生きる支えであった未来を失ったことに気づく。家族との再会。知人との新事業。それを夢見た者は解放のち、何を支えに生きていけばよかっただろう。
 イスラエル建国から現在に至るまでの中東の紛争は、ホロコーストの悲惨さを示す指標にすぎないのか。著者は彼らに与しようとはしなかったが、本書でのアフターケアの記述は、あまりにも物足りない。ただし、それは過酷な強制収容所体験をした当人には書けないものかもしれないが。
 

 本書は「読まないことは不幸である」と断言できる数少ない一冊だ。人類未曾有の悲劇の中で生きた心理学者の体験記は、自分が「なぜ生きるか」の指針になるだろう。どんな困難に陥っても、この本が裏切ることはあるまい。必読の書であると意味をこめて、評価はS。
 

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