歳末大処分祭1
まったく国試の勉強が進まないので、年内をもちましてしばらくブログ休もうと思います。
愛読者(存在自体が怪しい)の皆様、また2月にお会いしましょう。チャオ。
年内のうちにたまった感想を処分しておきます。
アブラハム渓谷
つい先日、後輩たちに誘われて何か映画観ましょうと。彼らがいい映画を観たいと言ったので、DVD買ってはいたが、放置しておいたアブラハム渓谷を観ました。監督マノエル・ド・オリヴェイラ。僕は正直今までナレーション映画を馬鹿にしていました。しかしそれはこれほどまでにナレーションと映像の感傷的な一致をみた映画を今まで見たことがなかったからでした。ただ単にぶどうの剪定をしているショットが、鏡をのぞく女の姿が、洗濯女の眼差しが、こんなにも感傷的に写るなんて。そしてこれほどまでにミニマムな描写に迫りながら、大河を紡げるなんて。学生のあいだに見ておけてよかったです。
さすらい
ミケランジェロ・アントニオーニ監督。ラストは「回路」の元ネタなんだろうかと思った。ひょっとしたら黒沢清はアントニオーニに影響を受けている?本当にそう言い切っていいかどうかよくわかりませんが、この映画に限っては何となくそんな風情を感じた。シーン個々で観るといいシーンがたくさんあり、ああこの人はこういうのがやりたいのかと何となくわかったが、映画全体としてはそれぞれの登場する女性の話がちぐはぐな印象がある。「さすらい」(原題il grido は「叫び」という意味。こちらの方がこの映画にしっくり来る。あれ、そういえば黒沢さんの新作も?)と言う程さすらった印象も少なく、もう少し長い映画にすればよかったんじゃないかと感じた。
夜
やはりアントニオーニ。やりたいことはカサヴェテスのフェイセズと同じなのかもしれない。もしそうならフェイセズの方がいいと思う。ストーリー自体はものすごく格好いいのだが、手法としてあまり抽象的で客観的な風景ばかりを映すのが、ラストの主観的な不毛感につながると言いたいところなのだろうことが、いまいちのれなかった原因であると思う。ラストの方で、朝になり、モニカ・ヴィッティが影になり、足を交叉させるショットはしかし物語の終焉を予感させる格好よさをひしひしと感じた。あのショットだけは。
どうでもいいけど、このマストロヤンニのへの文字に結ばれた長く細くエレガントな唇と、少し犬のような傾斜を持つ上向きの顎が、上記アブラハム渓谷のあのシルヴェイラの美しい顔につながるのだと思うと感慨深い。