江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

助かった学校 そうでなかった学校

 今回の東北関東大震災津波の被害を受けた学校の中で、無事に生徒が避難できた学校とそうでない学校があった。その違いはいったい何だったのだろうか。たとえば高台にあってそのままとどまっておれば園児全員が助かったはずの幼稚園が、親元に子どもを帰そうとバスで出たためにそのまま津波に飲み込まれるといういたましい出来事があった。もちろんそんな巨大な津波が襲うなんて予想もしていなかっただろうから、その判断を責めることはできない。
 大学の先生から津波の話を聞いていて、もしも地震が来たら隣の小学校の子たちを連れて逃げなさいと教えられていた中学校の生徒たちは、その教えを守って無事に避難し、小学生たちもちゃんと手をつないで連れて行った。最初の避難場所にも津波が襲ったが、直前にさらにもっと安全なところまで逃げて全員助かっていた。
 地震直後に生徒を校庭に集めて、帰宅用のバスを出発させようとしてた小学校では、そこに津波が直撃して生徒や教師の多くが流されてしまった。
 「津波が来る」と思ったときに教師はどんな判断を下すべきなのか。どうすれば一人でも多くの生徒を救えるのか。
 それは私も日頃考えないといけないことである。もちろん東南海地震の大津波が来ても安全な高台に学校はあるし、阪神大震災後に建てられた校舎も、ちゃんと耐震性を考慮されているはずだから倒壊することはないと思うのだが。
 津波の中で、車に乗ったまま流された人も多かった。車を捨てて電柱によじ上って助かった人もいた。流された車はほとんどが大破していたわけで、そのまま乗っていれば助からなかった可能性が高いのである。
 自分の命を守るだけでも大変なのに、その中で救助しつつ多くの人を救った勇気ある人がいたことを忘れてはならない。

中国人研修生助け、自らは津波に 中国で感動広がる2011年3月18日10時3分
 【北京=吉岡桂子】東日本大震災の発生直後、中国・大連から宮城県女川町へ働きに来ていた研修生20人に「津波が来るぞ」と警告し、高台の神社に避難させたあと、自らは津波にのまれた――。ある日本人男性の自己犠牲が中国メディアで報じられ、静かな感動を呼んでいる。
 国営新華社通信が18日までに伝えたところによると、その男性は、女川町にある水産加工会社、「佐藤水産」専務の「佐藤充」さんだという。同社は、生ウニを東京・築地市場などに出荷しており、中国人研修生たちは加工や出荷に携わってきた。
 地震発生時、津波の知識を持たず宿舎近くに逃れた研修生たちを、佐藤さんは「もっと高いところへ」と神社へ誘導した。そして再び宿舎に戻ったところを津波が襲った。
 ある研修生は「彼が津波にのまれていくのを見た」と、新華社の取材に対し嗚咽(おえつ)しながら語った。大雪となった震災当日の晩、佐藤さんの兄にあたる社長は、研修生の寝泊まり先を探して奔走、知人の家を見つけてくれた。研修生たちは「現地の人々の助けがなければ今の私はない」などと話しているという。
 記事を「感動」というタイトルで掲載した北京の新聞、新京報には「愛には国境はない」などとコメントが寄せられているという。中国のインターネットサイトには、以前からの厳しい対日感情を反映して、東日本大震災で「日本に天罰が下った」などというコメントがみられる一方で、佐藤さんのような日本人の振る舞いに敬意を表す人々も増えている。

 津波にのまれてなくなった夫の遺品の中に、自分へのプレゼントの指輪があったという。涙を誘う話である。

夫の最後の贈り物、指輪に誓う「娘と強く」
読売新聞 3月20日(日)3時3分配信
 夫の荷物の中に指輪があった。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。
 その夫は今、遺体安置所で眠っている。東日本巨大地震で壊滅的被害を受けた宮城県気仙沼市。同市本吉町寺谷、主婦大原枝里子さん(33)は、夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。
 11日午後。自宅で揺れに襲われ、津波から逃れるため、避難所を目指して車を出そうとした。その直前、運送会社で運転手をしている夫、良成(よしなり)さん(33)から携帯に電話が入った。「大丈夫か」「もうつながらないかもしれない」。泣き叫ぶ子供2人を両腕に抱え、思うように話せない。間もなく通話が切れた。これが最後の会話になった。
 海に向かう形になるが、頑丈な小学校の校舎を目指した。20分もたったろうか。逃げる車で渋滞し、少しも進まない。「もうぶつかっても仕方ない」。意を決して対向車線にバックで車を出し、アクセルを思い切り踏んだ。眼前に津波が迫り、2台前の車が濁流にのまれた。助手席と後部座席には長女、里桜(りお)ちゃん(2)と次女、里愛(りあ)ちゃん(5か月)。2人を守ろうと必死で約50メートル後進し、何とか助かった。
 海から離れた避難所に行くことにし、その日は車中でガソリン節約のため暖房なしで夜を明かした。翌日から避難所で苦しい生活が待っていた。子供の服におしっこやよだれが付いても、乾くのを待つしかない。地震で哺乳瓶は全て割れ、避難所にあった哺乳瓶を他の家庭と共有した。ストレスで母乳が出ない。スポーツ飲料をお湯で薄めて与えても、里愛ちゃんはなかなか受け付けず、脱水症状になりかけた。お尻ふきがなくなり、里愛ちゃんのお尻はかぶれて血が出始めた。
 夫の悲報を受けたのは17日。気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。18日、子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく良成さんだった。涙があふれ出た。キスをしながら、「愛してるよ」とつぶやいた。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。
 避難生活が長期化し、子育てはますます大変になっている。この状態がいつまで続くか分からない。でも、指輪を残してくれた夫に約束した。「この子たちは私が責任を持って育てるから」(佐脇俊之) 最終更新:3月20日(日)3時3分

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