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桜井李早の枕草子

October 04(Wed), 2017

- 独り言はいいね、例えば中秋の名月に「わが情 ゆたにたゆたに 浮ぬなは 辺にも奥にも よりかつましじ」/ 万葉集 - 


 近頃移動の多いわたしは所用で軽井沢に。それが午前中に終わり、道行き上、昼食は万平ダイニングへ。

 こんな近況を綴れば「贅沢な」とどこかで揶揄されることも十分承知だが、ここに来ると昔からわたしの気持ちは自由になるのだから仕方が無い。

 食事は何でもよいのだが道行き上、昼のメニューとなった。

 ここに来る度に感じるそれは他とは異なる薄い味付けがわたしに「これね」と実感させる。

 一口入れて、「美味い」などと、恐らく昨今の味覚通の人が実感されるかどうかわたしには解らないし、その料理を味わってコストパフォーマンスなど期待する人たちからは必ずしも満足されるかどうか知れない。

 だがわたしにはここの味が馴染んでいて、食事の後、決して喉が渇いたりしないところが良いのだろう、それは特に、ここのスープに言える。

 以前、新緑の頃、それは晩餐のメニューであったが、ジュンサイ入りのコンソメスープをいただいたことがあった。それは食した後、その味を忘れてしまう程あっさりしたものであったが、ジュンサイの滑らかな舌触りが何だか人の道を邪魔しないように仕立て上げられているようで感心したことがあった。

 わたしが子供の頃から知っている軽井沢という土地であるが、今日、変化を重ね、緑の中、新たな料理を提供するレストランも増えているらしい。

 それでもわたしにとって、軽井沢を訪れる時の万平は、言葉に尽くせない居心地の良さを感じさせてくれる場所のひとつである。

 ずうずうしくパンをお代わりしたり、ワインを、と言いながら直ぐ後でやっぱりビールを先に、とか言ったり、何か独り言を言うようにしながらそこに居るのである。

 老舗ホテルであるのだが、ここは予め快適に金をかけてつくられた現代型のホテルよりずっと心地よい。

 オーナーが変わったようだが、それでも施設の佇まいは相変わらずであり、飯の味も代々変わらないシェフの志向、というのが一応、21世紀の頭を和らげてはくれる。

 その日の昼のスープは「カボチャのポタージュ」、器にくっ付いたスープの残りをパンに擦り付けて残らずしっかりいただいたそれは、やさしい母のような恋しい味だった。

 日本人には味噌汁の味、それは母の味だろう。

 どこの国に在っても、人間が考え、こしらえるものは、試行/志向/思考…施行…が異なりはしても、同じことなのである。

 何故ならわたしたち、皆、同じ、地球に生きるものであり、そのものたちの求めるもの、必要なもの、存続したいものとは、わたしたちの思い計る行為の原点らしきものから発生し、ではその道行きを照らすものとして、あたかも月のごとく、この地上に生きるものたちの心を明るくするものとは…ああ、それはこの地球に在るものたちが生き、豊かに在るために続いていく糧…噛めないならばスープを、寒いならスープを…と、生を守るために生きてきた女の仕事が欠かせなかっただろう。

 軽井沢に向かう朝、わたしは実家にて母の味噌汁をいただいた。

 そうしてそれは母を伴っての軽井沢道中ともなった。


 こんなことを綴っても、皆さんに今のわたしの心持ちが伝わるとは思ってはおりません。

 が、そういうことで、いいのです。

 これは独り言のようなものなのですから。


 しかし…


 独り言の多い人はもう一人の自分と付き合うのが巧い人。

 義務や権力から解き放たれた小世界を持つことが出来る人。

 今宵、中秋の名月、そこに月が見えたなら、例えばそれに向かって独り言のように話してみるとこちらが芝居をしているようで小気味よいものよ。


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 秋の万平 

 信州サーモンとキノコのマリネ 

 カボチャのポタージュ 

 仔牛のカツレツ 

 鰆のポワレ 

 ダイニングテーブルからの中庭 


 デザートの頃には心地よくあり、確かヨーグルト風味のババロアであったようですが、ワインの味が残っており撮影など、厄介、やっかい。

 近況を著すにあたり写真が必ずしも役立つとは思えない今日この頃、その行為の負担ゆえ、わたしの近況は日々、乏しくなっております。


 ええ、こういう優美な(画像はガラケイでの撮影でありますが)写真を時々上げてみることも、21世紀風ということで、ひとつ、のりながら、月を写すのは難しいように、自らを映すのもはばかりまする、今日この頃。



 桜井李早の枕草子 © 




September 17(Sun), 2017

- 『クオキイラミの飛礫 ワタシヲスクエ!』2017, 野戦之月 -


 2017年秋、『野戦之月』公演(9月14日~18日)、井の頭公園西園にてスタートしております。

 今回もわたしはテーマ曲を歌で協力させていただいております。


 18日、月曜日は千秋楽、開場は18時30分、開演は19時です。

 皆さん、是非、ご覧になってみてくださいね。


 詳細: http://yasennotsuki.wixsite.com/yasennotsuki


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 桜井李早




September 06(Wed), 2017

- "Many a slip 'twixt the cup and the lip" -


 漱石の文粋は多々あるが例えば『猫』において、"月並み"という言葉に「馬琴の胴へメジョー(Major)・ペンデニスの首をつけて一、二年欧州の空気で包んでおくんですね」と迷亭氏に語らせるあたり、明治人に解り難かろうがそれ、現代もジョークを解せない人には見逃され伝わらないひとつかな。

 "月並み"とは、正岡子規が、毎月、一定の日に句会を開催する旧派の集いを評して<月並み俳句>と呼んだことからこれがありふれていいるという意味として世間一般に広まっていったことが発端で、その言葉が日本語として広められたという意味では、子規の持つ個性的皮肉の表現が新しい日本、つまり明治に咲いた日本語の気質ある意気込みとして気のきいた言葉の例のひとつでもある。

 わたしたちは今や、"月並み"という言葉に慣れている、人類も月に行ったとされる20世紀を経ているのだからして、そこで、はて、そう考えると、"月"と"並"とは、そう、遠くないのかもしれない。


  

 秋らしくなってきた今日この頃、その近くて遠そうな月を、並な角度から眺めるのが愉しみとなる宵。


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 ここにあげた写真は、かつて宅で"ロンドン"と名付けた猫のものである。

 あまりに庭先でニャーニャーと鳴いているので気になってみると、それは以前飼っていた猫によく似た者だった。

 あまりに空腹そうなので、パンを差し出したが、匂いだけかいで食べようとしない。

 ハムを千切り差し出したら、「ウムフムニュム〜」と勢いづいて食べ始めた。

 …贅沢な奴… と思いながらも翌日から生活を共にした。

 それは短い年月だった。


 "Many a slip 'twixt the cup and the lip" という言葉を以前、わたしの漱石はわたしに教えてくれた。

 それは、人間、何時死ぬやらわからない、という意味らしいが、一見英文でありながら、それは古、ギリシャ人の下男がその主人に向けて予言的に発した言葉がもととなっているのだとか。


 このごろ、それは今、21世紀なのだが、相も変わらず、どこの国が、とか、どこの民族が、とか甚だしく差別的混乱があちこちで起っては人びとが争ってやまないが、" Many a slip "twixt the cup and lip"を"近くて遠い杯と唇の間に多く過ちがある"と解釈し、それが世界と考えると、わたしたちの意思の疎通とは、はなはだ難しく、遥かギリシャの時代、いやはや、幾千年万年の昔から、人類とは平気のへいさで我が儘を通し、それが通らなくば癇癪を起こすか、首つりでもするようにできている、甚だケッタイな存在なのかもしれない。

 だって、猫は自ら、首つりはしない。


 

 だからといって、猫生が豊かかといって、それも不確かなのであろう。

 同じ猫同士であっても強きもの弱きものあり、そこへ厄介な人間という種類が関わってきたりしたら、猫族本来の力というものも変化、或いは弱体化してしまう。

 居心地の良さそうな環境は甘いだけに、毒もある。


 愛した彼の猫-ロンドンは、或る日突然、野生の命じるまま男らしく冒険の旅に出かけ、傷つき、病魔におかされ、一度戻り、再び行方をくらませ、闇にあり、ひと鳴き、弱き声を五月の真夜中にこちらに伝えたが最後、その行く末を告げぬまま、わたくしのもとを、永遠に去った。

 恐らく、命が絶える寸前まで、姿をわたくしに現さないまま、それでも、彼はわたくしを見ていただろう。

 月がわたしを見ている、それは並んでいること、と解釈してもいい。

 何も、遠く、高い所とこちら、地にへばる者との境界などものともせず、天も地も同様。

 天国も地獄もなく。

 ここに生きているのだから、それでいいじゃない、と。

 尽きたらはい、そこまでよ…それは愉しかった。

 と、どの季節を選ぶでもなし、並にあり、月がそこにあると感じられたらその時、幸いだろう。


 冒険するのは生物の性かもしれない。

 しかし、そこに杯が待っているとは限らない。

 教訓として、人間は奢りたかぶるときこそ、危機なり。


 このことは、猫生とは、異なる。

 わたしが感じるに、人間以外の動物には、奢りなど、ない。

 確かに強きもの、弱きものはある。

 だが、正義などという精神は、人間以外の動物には無用だろう。

 彼らはそもそも、そんなことを考えずとも、自然の中で生きていける。

 わたしはそれこそが、生命の力なのだと最近感じる。


 "Many a slip 'twixt the cup and the lip"


 その有様は、あまりにも人間的な見地でもの申すわけである。


 故に、漱石の『猫』が、わたしには愛くるしく、愛くるしく、だけでなく、漱石の胃痛まで一緒に背負って(それは常ではないが)、昭和、平成の異端者と、これを半世紀過ごし願わくば更に乗り切りる覚悟の<おちこち>、現在37~8キロの動物が、どうやらわたしである。


 このような<おちこち>類は、わたしの身近にもあるだろう。


 

 詰まらないおはなしを、失礼。

 このごろは、寝言だけでなく、歌なども、歌いながら過ごしました。


 


 桜井李早の枕草子 © 




August 28(Mon), 2017

- 座る -


 わたしにとって、今年の夏は大事な、大事な夏であった。ゆえに、個人的に在り、あまり余所の事にかかわらないまま、暮らした。

 来年の夏も大事だろう、再来年も、そうだろう。

 この秋も、大事な秋という事のできる秋であり、その次の季節も同様だろう。


 先日はお墓参りをした。わたしの実家は禅宗である。父方の祖先も母方の祖先も同じお寺に埋まっている。子供の頃から、お寺に行く時はいつも天気が良く、それはお盆やお彼岸と限らずであった。

 だからわたしはお寺が好きであり、お墓が好きだ。今、わたしが暮らす土地にも禅寺があり、そこの敷地にある地蔵堂は国宝とされている。わたしはその禅寺を季節きせつ、散歩を兼ねて訪れるのだが、わたしの知る人がそこに眠っているわけでなくともわざわざ墓地にも足を運んだりする。決していたずらに墓地を歩くのではない。そこに行くと、生きる人たちのたゆたう心とは別の沈黙の心が植え付けられているような気がして、落ち着くのである。

 死びとに迷いなどないと考えられる。

 ただ生きている者のみ、迷いが与えられ、そこに完璧も見当たらなくても宜しい、と言われるような––これはわたしの生き方の甘さが捩れ、そのような救いを求めているからかもしれないが––それでも、そのように生きる事への疑問がやや正される、というか、わたしのような者でも生きて暮らしていいのだと許されているような心持ちになることができるからだろうか… 駄目だね、こんな事では。


 

 わたしなど、どうせ極楽にはゆけない者である。

 これ幸いと、竿の先にとまる赤とんぼのように、里に産まれたら、そこを去り、色を変えて再びやってくる。

 ヤゴだった頃を、憶えてはいるくらいの僅かな進歩はあるだろうが、それくらいなものである。

 その赤とんぼを柔らかく迎えてくれた家族があった。

 皆で鰻を食べた。

 夕立がくる夕べに出かけ、食事の後は、湿った残暑の空気が立ちこめていた。

 鰻は流れを縫い、焼かれたる我が身の証を曝ける如く。

 それは白く、一筋ひとすじを、「これがわたしです、わすれないように」と言わんがばかりにその命の道筋を声なき声として、香ばしい姿となり、重箱の中に治められる。

 一口齧ったときには、あら、薄味かな、と思いきや、ふりかけた山椒とともに噛み締めていくうちに、これでいい、これがいい、と感じさせてくれる見事な案配だった。

 鰻屋は老夫婦の商いで、その日の分がなくなったら、店を閉める、もはや常連客だけで商いをしていれば、ふたり、十分なのだそうだ。

 満願、という言葉が浮かんだ。

 生憎その夕、席に列する事ができなかった家人が残念がっていたので、次がありますから、と笑顔した。


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 鰻を食べた後、わたしはすぐに眠くなる。その晩、わたしは22時頃には床についていた。


 今宵は虫の音など聴きながら、こうして座り、とりとめのないことをぶつぶつ吐いているが、それは、秋の呼びかけなのか、或いは夢の中で鵺の声など聴いたのか。


 何事もわすれず、心たゆたう事あっても、わたしの姿勢を保ちたい。


 

 暫く前から坐骨神経痛に悩まされつづけている日々、だから、上手に座禅とつき合うことは、わたしの理想の姿である。



 

 桜井李早の枕草子 © 




 

July 30(Sun), 2017

"さむらい"という酒


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 先日、"さむらい"というアルコール46度の琥珀色の日本酒を飲んだ。越後のお酒のようだが、それはシェリーのような口当たりで、グラス一杯をまず大胆に三口そこいらで飲み干してみるとさあ、この後どうしようかな、という気にさせる酒であった。その晩は、おかげで生温い夜を気にせず眠ることができた。


 ところで先程、その中に水をいれると美味しい水ができるといわれていただき長く使ってきた壷を、庭先で割った漢があった。その漢、普段は佳いおとこなのだが、時々ムキになる。それでは何故、壷を割っていたかというと、漢は連合いに「あなたはいつもその壷の水ばかり使う。美味しい水は他の容器にもできているのだから、他の水も使い回してください」と言われたことに腹をたて、「この壷がなければそんな問題は起こらない」と言いながら、暗い夜の中、静謐を破るようにしてその美味しい水ができる壷を割ってみせた。そればかりか、漢は壷の破片で自分の足に小さな傷までおったらしい。連合いは漢が付けた血液の染みをセスキでせっせと擦り洗った。ここに46度の日本酒があれば、連合いはそれをサッと口に含み、漢の傷に吐きかけることもできただろう。壷を割ったら漢は眠ってしまった。あと少しすれば目覚めるだろうが、その頃、連合いは眠ってしまっているだろう。


 侍、か。

 それを稼業とするのは、おとこでもおんなでもよいわね。

 地獄へ行く覚悟があれば。


 ええ、この"さむらい"という酒、とても良い香りがした。

 日本酒を飲むと翌朝に残ることがあるわたしであるが、この酒に限ってはそのようなことがなかった。

 わたしがこの酒について、気をつけながら嗜んでいたのかもしれないが、侍なら、隙があってはならないだろうしな。


 変わった香りの麦茶ですよ、と幼稚な悪戯で誰かを騙したくなるような日本酒、美味しい水ができるという茶色い壷に入れていみたら、果たして、どんな味になっていたことだろう。



 桜井李早の枕草子 © 




July 25(Tue), 2017

それを見ているのは<神>ではない、とあえて言うわ、本当に見ているのは<民人>ですもの


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 写真は先月、美しい緑の影に覆われた軽井沢の庭に立って。


 表と裏が棲み付いて当然でいられるような世界にすがりついていてはいけないわ。

 それは打擲の世。

 よし、貴方が神を信じているとして、では、そのような世界を許す神を、貴方は想像して愉しいだろうか。

 想像が創造となるとは限らない。

 命を軽んじるようなことを、人々が神と名付けたものがまさか作りそうにないと望むとか何とか考える以前に生身の人間は身を持っているからして更に、それ、つまり生命の安寧を正直に望むのみだろう。

 その望みは観念ではなく野生だ。

 私たちは神に造られたのではなく雄と雌のもとに産まれたということが真実で、その命が永遠ではないことを産まれた時から知っている、動物だからさ。

 いつかは死ぬと知っている以上、私たちはそこに至までの時を勤しみ、楽しみたい。

 夢さえ見たい。

 ありふれた言葉ではあるが、夢のような一生であると思いながら目を閉じたいだろう、皆。

 それを邪魔されたくないのだ、それはわたしの利己主義或いは個人主義かもしれないが、そうなのだ。

 産まれたものならどのような生き物でも、<残酷な、過酷な生>や、この頃で言われる<格差>などという言葉とは当然無縁でありたいはずなのに、何故それを問題にするのだろう、人は。

 その当たり前が通らない世の中なら、わたしは、御免だ。

 御免などと言うものは、真っ先に打擲されて然りかもしれないが、もう少し、あの十字架の下にある白い花の輪のように、枯れるまで、枯れるまで。


 *


 そして以下の言葉、何処かの国の権力者たちにこの21世紀、改めてお伝えしたい所。


「元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。…金力についても同じ事であります。責任を解しない金力家は、世の中にあってはならないのです。

 …かい摘んで見ると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。

 これを外の言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍言い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他の妨害をする、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです」


 ~ 夏目漱石の言葉




 桜井李早の枕草子 ©




 

 

 

July 20(Thu), 2017

ある腫れた日に


 だいぶご無沙汰しております。

 こちらは6月のある日、梅雨の晴れ間が眩しかった午後、学生街の洋食屋さんでお昼ご飯をいただいた後、訪れたお気に入りの古書店前での一枚。


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 昨年からちと、再び、先生稼業など行いながらの日々がつづいております。

 お仕事というもの、若い頃から、何でもやって過ごし暮らすと佳いものがありますね。

 わたしのような者は、どうも生身の人間を目の当たりにしながら、つらつら、だらだら、年のせいか、時に因業を交えながら仕事をすることが向いているようであります。


 snsではひっそりさせていただいて随分になるのやらなんやらではありますが、今年の猛暑、個人的に案配しながら、健やかにあります。


 桜井李早




May 22(Mon), 2017

『Die Sünde/罪』- 随分前、チョーサー(Geoffrey Chaucer/1343~1400)風に描いた作物 - 桜井李早©


 私の名は『罪』。いつ、誰が名付けたのか、そうして、一体何のためにこの言葉が生じ、私がそれに該当すると選ばれたのか、私は知りません。私の古くからの知人には、『愛』や『知恵』、『希望』、『憐れみ』…等がいますが、彼らは私よりも好かれているようです。

 そして私は人間がまだ"楽園"という場所に在った頃、その名を与えられたといわれています。書物によると、私が産まれたことにより、人間はその心地よい場所から追いやられ、現在の世界に生きるようになったそうです。私はずっと蛇の姿で表されてきました。そうして私の仮の姿は"女"という生き物とされているようですが、その"女"という種族は私のせいで愚かになったと定義され、長い間、"男"という生き物と同じ権利を与えられないまま生きなければならない状況に置かれてきたようです。


 私の友人のひとりに『嫉妬』がおります。この『嫉妬』も、自分の身の置き所に長く困惑してきたようです。私は『嫉妬』の言い分を聞きました。『嫉妬』はいわば、私の後輩のようなものです。それは泣きながら私に語りました。

「何故、私はこのようにいつも苦しまなければならないのでしょう? 私は一体、何のために産まれてきたのでしょうか? 私は災いは嫌いです。世界の片隅の小さな家を与えられており、本当に私はそれで十分だと思っているのです。それなのに、或る時、突然、命令が下るのです。命令者は私に言います。<そこを出て、大股で歩くのだ。お前のおかげで励まされる人間もいるだろう…>。私は出かけて行かなければなりません。厭な仕事です。私には解っているのです。私が訪問した人間は必ず苦しい気持ちに苛まれる。そしてそこに災いが起る…あなたならお分かりでしょう…」


 また、或る時、私は路上で『貧困』という灰色のマントを羽織ったものに会いました。それは私を見るなり捕まえてこう言いました。

「お前は『罪』だろう? こんにちは、私はお前の評判を知っている。お前の働きで得をするものもいれば損をするものもいるというではないか。一体お前の力とはどこから来るのだ? 私は『富』というギラギラと光り輝くものが排泄したものの中から産まれた。それでも更に『富』は私から全てを吸いつくし、放り投げる。一見美しい顔をした『富』は、禿鷹のように私をしゃぶりつくし、喜んでいる。だから私は次の土地に移らなければならない。私が『貧困』として生きるためには、私は私自身も禿鷹のようになり、私の『貧困』としての仕事が果てるまで、それを続けなければならない。もしもお前が私の言う事を信じないなら、お前は『欺瞞』に会いに行くといい。また、お前が自分の名に疑問を持つなら、『欺瞞』はお前に何か応えることができるかもしれない。しかし、気をつけなさい、『欺瞞』は手ごわい相手だ。ちょっとやそっとでは、本性を見せないはずだ。だから皆、騙されるのだ」


 そこで私は『欺瞞』に会いに行きました。『欺瞞』は広い敷地に暮らしていて、外から眺めるとそれは城のようにも見えました。私がそっと『欺瞞』の門をくぐり、建物の中に入れば、そこには高価なもの夢のような骨董品の数々、かと思えば最新の技術に値する品々が何不自由なく当然の如く備えられています。私がそれらに感心していると、私を呼び止める声がありました。

「何者だ?! ここへ入ることができたあなたは誰かの紹介状を持っているのか?」

 私は自分の名を名乗りました。

「私は『罪』と申します」

 するとその声は先程の尖った口調からほど遠い穏やかな声になって、私に応えました。

「あなたは、『罪』ですか…そうですか…今日は一体、何のご用でここにいらしたのですか?」

「私はあなたと話したいと思ってここに来ました。誰かがあなたなら私の存在の理由を教えてくれるかもしれないと言ったので」

 すると『欺瞞』は姿を現し私に言いました。

「誰がそんなことをあなたに言ったのですか?」

 私は応えて「それは『貧困』です」

「…『貧困』?…ああ、あの"怠け者"ですね。あなたはあんな怠惰なものの言葉に耳をかすのですか?」と、『欺瞞』はあざ笑います。

「私は『貧困』が怠惰かどうか知りません。しかし、私は私の由来を知りたいだけです」。

「あなたは『貧困』の言葉など信じてはいけません。あなたは我々の味方にあって初めて力を発揮する存在です。『貧困』は何ら得策を持たず、状況に甘んじ、時に寄生するしか能力を持ちません。私は進歩が好きなのです。そのために努力してきたのです。誰よりも迅速に手っ取り早く成す事、それを見せつけることによって、私は満たされます。いけませんか? そのような在り方が? それとも、あなたは私を裁きにきたのですか?」

 私はこの『欺瞞』の言葉に戸惑った。何故、私が『欺瞞』を裁くのか…?

「私があなたを裁く?」思わず私は訊きかえしました。

「そうです、だって、あなたの背後には必ず『悪』がいます。『悪』の行く手には裁きが発生し、争いが起ります。それを"戦争"と呼ぶのをあなただって聞いたことがあるでしょう。そして『悪』と争うのは『善』ということになっておりますが、あなたは『善』にお会いになったことがありますか? 私はありません。ただ、私は『偽善』とは親しくさせていただいております。『偽善』はこの世界に"アジト"を持っています。いかがですか、出かけてみては? 『偽善』はあなたを救ってくれるでしょう」

 そう言って、『欺瞞』は薄笑いを浮かべながら扉を閉めた。


 私は『偽善』を探しました。これは、と思う扉を叩き、訊ね歩きました。しかし、どの声も、「私は『偽善』などというものではありません」と言うが速いか、私を閉め出します。

 私は歩き疲れて地面に腰をおろしました。それは夕刻で、どこの家も帳を下ろす時刻でした。その時、私の後ろの窓が開き、誰かが私に話しかけます。

「あら、そんなところで何をなさっているのですか?」

 私が振り向くと、窓辺には小さな顔の"女"に似たものが微笑んでいます。

「疲れてどうにも動くことができなくなってしまったのです」私が立ち上がりながらそう言うと、窓辺のものは言います。

「中にお入りください。私たちはこれから慎ましい晩餐をいただきます。よろしかったら、あなたもご一緒しませんか?」

 私は嬉しくなって家の中に入りました。

 そこは整頓された清潔な家でした。温かい部屋の中で、私の冷たい身体は落ち着きました。見ると、もうひとり、そこには均整のとれた姿をしたものがいます。その存在は何故か私に恥じらいを与えるのです。私はとても場違いな印象を受けました。すると先程の"女"に似たものがこう言いました。

「私は『礼節』と申します。今夜は私の友人の『理性』と共に食事をしようと思っていたところです」

 私は逃げ出したくなるような気持ちになりましたが、我慢して与えられたテーブルに席をとりました。『理性』はじっと私を観察しています。やがて『礼節』が私の名を訊きました。私は応えるしかありません。

「はい、私の名は『罪』。私は私の役割の意味を追求しながら今日、ここに辿り着きました」

 一瞬、食卓に氷のような冷気が漂ったのを私は見逃しませんでした。息を殺すような緊張です。私は自分の名を偽ればよかったと、心底感じました、しかし、もう、遅い…。

 しばらくの沈黙の後で話し始めたのは『礼節』でした。

「私たちはいつかあなたにお会いする時がくると思っていました。それが、今だったのですね。それも丁度よく、『理性』がここを訪問してくださった晩に」と、『礼節』は場を取りなすように私に温かいスープを注いでくれます。『理性』はそれでも細長く整った鼻を正面に座った私に突き出すようにして冷静にしております。私は決して震えまいとして身を固めていましたが、『理性』と視線を合わせるのが苦痛でたまりません。

「さあ、スープを」と『礼節』が上品な声で言います。私は厚かましくも空腹だったのでスプーンを手にしてスープをすすりました。『礼節』もそれを見てスープを口にします。しかし『理性』はスプーンを手にせず、両手を合わせ、こう言いました。

「ここに来たものの心を幸いとさせよ」

 私ははっとして顔を上げました。『理性』はスープ皿に一粒の涙を落としていたのです。そうして『理性』は私に言いました。

「あなたと私は"姉妹"のような関係です。あなたが産まれなかったら、私は存在しなかったでしょう。ですが、あなたはいつの時代にも咎められ、私の仕事の一部はそれを補うことでした。私はあなたに会ってはいけないと言われてきました。それなのに、今日、あなたがここにいらっしゃるとは…私は驚きを隠せません。が、私は『理性』です、どんなことがあっても、揺らいではいけないのが私の努めです。ですからこの私の態度を気にせず、晩餐をご一緒しましょう」

 私は混乱しました。ひとりぼっちだと思っていた私には姉妹がいた。それは私とは正反対に見えるような気高いものだった…。

「あなたは今、姉妹と言いました。では、あなたも"女"なのですか?」私はつまらない質問を『理性』にしておりました。『理性』は私に話し始めます。

「さあ、私は姉妹と言いましたが、私は"性"を持っているかどうか考えたこともないのです。ただ、私が私の司る仕事を長く行ってきた範囲において、"兄弟"と名乗る『正義』もいますよ。ですが、あなたはお見受けしたところ、ほんの一匙分くらい、私『理性』に寄り添ってくれそうです。ですから私は"姉妹"という言葉をあなたに使いました。そしてそれが私がここ『礼節』の家を度々訪問する理由でもあります。あなたはさっき、ご自身の由来を知りたいとおっしゃっていましたね。私とて、同じです。私が何のために私の存在を与えられたか、そして何のためにその仕事をするのか…可笑しなもので、それはあたかも芝居のようです。誰かがシナリオを書いたのです。それは終わりなきシナリオとされ、人間に考える術を絶やさぬように仕組まれた道のりなのでしょう。ああ、私たちの名は、人間のために作られたのです。名は言葉であり、それは信仰と呼ばれるものの中で生き続けるようです。信仰とは、そもそも幾つものカテゴリーを要する可能性を秘めていたのですが、いつしか、それが差別への道にさえなろうとしています。私たちはそれらどの信仰にも存在するものとして多忙な日々を送っています。人間はただそれぞれが信じる道を歩めばよいですが、我々はあらゆる信仰の中に生き、常に目を行き届かせていなければなりません。それがルールのようになってから、どれだけの時間が過ぎたでしょう? そうして、あなたはもう、お気づきかもしれませんが、それは少し変だと思いませんか? 私たちに役割を与え、それをコントロールしているものが何者なのか、私たちは理解しているようでいて、理解していないのです。人間は、それを例えば"神"と名付けてきました。では、私たちは一体、その"神"にどこで出逢いましたか? 私たちはその存在を漠然と想像することはできます。"神"は、道に転がる石であるかもしれませんし、このスープの中にいるかもしれません。ええ、あなた同様、私もあの命令が送られる度に出かけて行き、仕事をします。このシステムが何故継続し、それがあたかも地上の暮らしであるように何世紀も何世紀も納得されてきたことは脅威です。この解決のない世界を、果たして、"神"という存在が作ったのでしょうか? 私は『理性』なので、仕事をしながら思索せずにいられません。ああ、あなたは私の話のために、温かいスープを逃してしまいそうですね。すいません。どうか、せっかくの『礼節』のお持てなしです、味わってください。私もいただきます。しかし、私の"姉妹"よ…あなたには『赦し』という、もうひとりの"姉妹"があることを忘れないでください」。


 その夜、私は眠れませんでした。『礼節』は清潔なベッドを私に与えてくれたが、これは私の眠る場所ではないと、私はさめざめと一晩泣き通しました。


 翌朝早く、私は『礼節』の家をこっそり抜け出しました。道を歩けば、昨夜遅くに降った雨が、水たまりを作っています。

 私はそっと、自分の姿をその水たまりの中に覗いてみました。

 ああ、それは"女"の姿にしては、あまりにも厳しい表情をしているではないか…私は昨夜会った『理性』の顔を思い浮かべました。

 そうして思ったのは、"彼女"は"私"によく似ているではないか、ということでした。


 では、『赦し』とは、どのような表情をしているのでしょう?

 私はそれを確かめるために、まだまだ歩かなくてはなりません。



 "罪によせて" by 桜井李早/Risa Sakurai©



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 pic: "Die Sünde" by Franz von Stuck




May 09(Tue), 2017

- 裸足で散歩 - かな


 午前6時に目覚め、これが曇った朝なのかその後待っていれば照るのか解らない西の東京にあった。家人が出払っているここ数日、ひとりであることをよくして冷蔵庫の整理を兼ねた簡素な食事をしていたら肉不足か鉄分不足か何か、朝、掃除をしながら下を向いたら想像するに黄土色的苦いものを吐きそうになった。週末に向け仕事があるのでしっかりしなくてはと思いながらも鈍い空の下、実務をサボる口実か愉しみのためかしらず、誘われ、漱石を読む。わたしはクドい質なの仕方ない。で、氏の明治39年の漱石の断片より–––


 昨日までは大臣がどんな我儘までも出来た世の中なり。故に今日も大臣なれば何でも出来る世と思へり。昨日までは岩崎の勢ならば何でも意の如くなりたるが故に今日も岩崎の勢ならば出来ぬことはあるまじと思へり。彼ら大臣たり岩崎たる者もまたしか思へり。彼らは自己の顔を鏡に照らして知らぬ間に容色の衰ふるを自覚せぬ愚人と同じく、先例を以て未来を計らんとす。愚もまた甚し。


 ~夏目漱石


 *


 人の世とは外的な状況により常に神経衰弱になるべく導かれる危機と背中合わせにありながらもいざ精神が栄養不良のサインを出せば、さっとい人々は朝の洗顔の鏡に浮き彫りになった自らの顔を見ることで背中を正し案配を知ることもできる。

 それを怠ると人の顔とは、人相とは、悪くなっていくものだろう。そういう人らは、いくら宝探しをしても爽やかな顔を朝の鏡に見る事はなかなかできないだろう。
 わたしは例え太れずとも、そのような顔にはなりたくはないと徘徊するドン・ジュアンのふりをして裸足でペタペタ歩くつもりで過ごす心持ちでいるのだが、今日、ふと、こんなことを思い出した。


 以前、或る人が、或る人のことを「あの人は悪い顔をしているねぇ」

 と言っていた、ということを聞いたのだ。

 それは恐らく、呑んだ席でのことだったのだろうが、人によっては、その年齢による表情の変化だけでは済まされない、何だろう…頭や胸の中に付着していく輪郭を増やしていくことにより、本物の自分を遠くへ追いやってしまい、ただ余計なものを背負うことで、それを自分の体験としてしまう人もあるのかもしれない。

 人の目というものは、鏡に似ているのね。


 こんな気侭なことを書くのも数日ひとりで暮らしている変なゆとりが故なのだろう。

 ひとりでない時、このごろのわたしは日常の中、snsに辿り着く余裕もない。

 それは決して忙しぶっているのではない。

 それほど、人の暮らしというものは個人的なものであり、実はわたしたちそれぞれがその個人を守るためにも、ときどきに、世間の中で顔を合わせ合って生きていく必要もある、ということを感じる、というまでのことだ。


「その笑顔を忘れない」


 と、記憶にある人々が人生の中で多くあることこそ、宝なのだろう。


『裸足で散歩』という映画があったが、あれは実に愉快であったが。


 


 桜井李早の枕草子 ©




 

May 07(Sun), 2017

- ガブリエーレ・ダンヌンツィオ噺 -


 ガブリエーレ・ダンヌンツィオ、この人のことをわたしは好んでいるわけではないが、このような噺を今日は記しておこう。それは彼が或る招待を受けた会合での出来事だったという–––


 –––そこではダヌンツィオは文学者としてその場に集う凡ての人々から多大の尊敬と愛嬌を以て偉人の如く取扱われた。彼が満堂の注意を集めながら人々の間を徘徊していると、どういう機会か自分のハンカチーフを足下へ落とした。すると年若い美しい女性が彼のハンカチーフを床から取り上げ、ダヌンツィオに「これはあなたのものでしょう」と言って、彼に渡そうとした。ダヌンツィオは「ありがとう」と彼女に応えながらも、こういうケースにおいてはやはり愛嬌が必要と気を利かせたつもりで、「このハンカチーフをあなたのものにしなさい、進上しますから」と、彼女が喜ぶことを期待して言った。すると彼女は一言の応対もせず、黙ってそのハンカチーフを摘んだまま、いきなりストーヴの火にくべてしまった。その様子を見ていた人々は皆、微笑した。


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 自惚れた人に対しての、人間の誇り。

 彼女はダヌンツィオの卑俗に屈することなく、ただ無言で行為した。


 それは、「あなたって、いやらしい、がっかりしました」という意思表明だろう。


 いいじゃない…


 この女性は少なくともフランチェスカ・ダ・リミニのように騙されはしなかったのだから。



 

 桜井李早の枕草子 ©




April 22(Sat), 2017

- 密林にみる光景とまたしてもオフィーリア云々 -


 特に買うつもりはなくとも、気になった書籍など検索しているとご存知のようにアマゾンのページが上の方に出てくるのでヒョイと覗いてみると、書籍へに向かう興味よりもそこにあげられている読者の書評の数々の方が面白い。書いた人々の文章というよりそれは、それらを書いた人々の関心が書物によっては311以前とその後では異なるからだ。

 それほど、2011年3月の東日本大震災は、多くの日本人の考え方や見方を変えた出来事だったと実感する。


 人の声は黙らせられない。

 だから表現者たちはどんな場を借りてでも、何か言おうとする。

 それは当然のことだろう。

 窮屈な世の中になればなるほど、主張したくなるのは過去が表している。

 だが、歴史はそれを書いた者、或いは勝った者による都合で真実とは別の表現が為されてきたケースが多い。

 それは、男が髭をはやすようなもの。

 それは、女がよく化粧をするようなもの。

 と、力や美徳を外に表すための、少し手をかければすむ器量よし、ふふ、マメさと思えば愛らしくもあるが、どうだろう…

 だがその髭の手入れが未熟だったり、化粧の技術が器用でなかったとしたら、歴史を始末するための大きなポイントを失いかねないだろう。

 そこで昔ながらの箒や雑巾がけでスッキリできるような、塩辛い汗を流すこれからの季節をおもう。

 何せ、家というもの、風通しの良いに限るだろう、して、家というもの、冬の寒さも辛かろうが、実は、夏の時期に過ごしやすく建てられたものは、有り難い。


 この季節、家人がわたしに向けてからかう言葉にあるひとつ、「あなたは言うよね、あたしだけ寒いって」。


 このごろ時間のある時に寄ってみることにしている水の精を祀った神社がある。

 太く大きな松の根元にはスポンジ状の海綿に似たものが固まっている。

 ここは熱帯でもない、だが、古代、ここが水の豊かな土地だったとしたら、この、一本の古く巨大な松が海からの恵を根元に産んでも、不思議はないだろう。

 水宮/水寓、か。

 わたしはこの社と松に最近祈るのが好きだ。



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 祈る時、わたしは、皆のよく知るジョン・エヴァレット・ミレイの描いた『オフィーリア』のように、車の運転席のシートを倒し、横たわるようにして、できるだけ樹の天辺をみあげられるようにしながら背を伸ばすのだが…


 それは –––


 そこは画家が描いたように、けっして深すぎず、誰かに見つけられるような川、ということになる。

 そうなると、表現者とは、<見つけられるもの>という結末になり、それは髭をはやしたり、化粧をしたりする現世のナルシスと、そう、変わらないものなのね。


 ポーズ。


 だが、それをあしらってもつまらないのだろう。


 オフィーリアは半開きの口、涎だってたらしていい、それでも何か言いたそうにしているこの描写が、わたしたちの目を潤し、それは、オリの溜まったような世界より大分純粋のように見えてきてしまうわけだが、その哀れがいとおしいのだとして、それを咎める必要があると思ってみても、この作品の良さにはかなわない。



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 冷たい浴槽に浸かったまま、画家のために我慢したあのオフィーリアのモデルは、英国の寒い19世紀の世を暮らすために必死に、余計なことは考えず、それで病になるなど思いもせず、ただ、生きたのだろうから。


 


 

 ~ 桜井李早の枕草子 ©






-「葬式無用、戒名不用」 /『傷だらけの天使』考 -


 ここ半年、あっちやこっちで慌ただしくしているのだが、再放送の『傷だらけの天使』を観るのは懐かしく、愉しみだった。最終回、オサムは死んだアキラの遺体をドラム缶に入れリヤカーで夢の島に運ぶ。高度経済成長を遂げた日本、しかし都会の闇を生きる若者(ショーケン)が友(水谷豊)の死を悼みながらゴミの地を、背を曲げて歩む姿はひどく悲しい。彼を葬る人は世界でだだひとりの人であり、その死んだ若者はおそらく女を知ることもなく去ったように描写される物語の哀れさにわたしは痛む。アキラはオサムに惚れることで同性愛に近い青春を生きたのだろう。

 そう考えるとこれは失恋のドラマでもあるが、このドラマは日本が戦勝国に常に失恋している姿を描こうとした当時の作家たちのアイロニックな姿勢でもあったと感じる。


 死者を葬るこのような光景は、古の京都、鳥野辺などにもあった姿なのではないかと想像したくなる。金がなければ庶民は供養もできず墓も作れず、産まれ、果て、そこに悲壮感を持ってみても、やりきれない、そういう情景だ。


 一見浮かれていた日本の'60年代もこの『傷だらけの天使』が放送された'70年代になると先の戦争後、殺伐とした一面を預かる(政治的/国際的)ことが拭いきれない状況となった。ベトナムの無駄に長引いた戦争で失われた多くの命も忘れがたくこの時代は専ら世界に<ショック>が蔓延した。

 そこで例えばロッキード事件、色々あるが結局、先の戦争に負けた国は飛行機を作ってはいけないこととされたわけで、だからドイツも日本もイタリアもその技術力を自動車に向けてきた。だがそれで頑張れば、別の角度から因縁をつけられ、常に、だ、金、という穏やかでない物があっちこっち飛び交う。

 白州次郎は田中角栄をとても評価していたらしいが、田中角栄は政治家になるには家が貧しすぎたということも言及していたようだ。

 そう考えると角栄はゴジラのようなもので、敗戦と放射能が極端な型となって現われた象徴 ––- 金や血筋にまみれた日本から出た特異なものが大きな顔をし運動会のような足並みで進められた日本の明治維新後の影の部分から現われた異端児として ––– 角栄とは、満足な暮らしを営めないまま生の機会を追うオサムやアキラとあまり変わらぬ具合に登場したアウトローだったのかもしれない。

 夢の島行き、という切符を持つことを恐れてみても、ああ、わたしも、粗大ゴミのクチだろうから、ドラム缶でけっこう。

 今のうちに自ら、「葬式無用、戒名不用」というくらいの遺言をしたためておこうと思う。


 バブル時代如何にも戦後最高に日本が金の力を掲げた風を装い我も我もとノコノコ諸国に出かけた(企業だけでなく若い日本人もたくさんあった)が景気の良さ故チヤホヤされはしても後にあれは素敵な幻想と捨て難い思い出として胸にしまい込みここでやはりジッと我慢する、耐え難いことは忘れるに限る姿勢…。

 …だが忘れる者ばかりとは言えない。『泣いてたまるか』…という渥美清が様々な人物を演じるドラマが'60年代放送された。これも時にシュールな作風で脚本家たちが腕をふるい戦後日本の市井を綴ったドラマであった。このドラマが後の渥美清の『男はつらいよ/寅さん』シリーズへと成っていく。


 桜の季節、わたしはこの樹の下で酒など飲む気になれない。

 若い人たちの希望をいかすもころすも、これは個人的なことだが、わたしにとっての4月は、"残酷な月"なので…。


 ともあれ残念ながら価値の低い順に割を食う。

 これ極道が世界ということなのだろうか。


 そういう歴史は藻のようにこの世界に纏わりつき何かにつけ穏便に済まない状態になる毎に「あの時こうだっただろう」と過去の強者は弱者を脅し刄を突きつける(これは強姦に似ているわね...)、一方を手なずけられたなら余計なことを言わせないために計らうよう手配し ––– それを最近、よく聞く言葉でいうところの<忖度>とでもいうような ––– 他者の気持ちや行為を慮ることが気のきいたことであるかのように雑草のようにはびこんであっちやこっちの野を荒らしている。

 そんな慣習限りなく、人の世が果てるまで連鎖していくような心地の良くない世界にわたしたちは暮らしているのだとしたら、そう、わたしたちは確かに、夢の島行きだろう。


 『傷だらけの天使』は学歴も名もなく社会からはみ出した若者の日々と金持ちが操る世界とその金持ちの案配が悪くなれば無名戦士同様葬られていくだろう彼らの未来を想定しているが、どんなに汚れていたって人情なら持っているんだぜ、と都会の片隅に生きるその日暮らしの若者の情念をうたった物語ね…。


 このドラマの数年前、『ルパン三世』のファーストシリーズが放送されたが、この最終回も夢の島、ドラム缶でドカーン。だが、皆、太平洋を泳ぐ。これをリアルタイムで観ていたわたしはほんの小学生だったが、確か、「アメリカさんへでも、行きましょうかね」というようなルパンの科白に皮肉な意味を受け、ブラウン管のこちらから微笑みを浮かべたことは憶えている。


 昔、日本人は念仏を唱えることであの世にて成仏することを尊んだ。

 最終回の『傷だらけの天使』、オサムはアキラのために、つぶやくように何か歌っていたね。


 そうしてわたしは、明日の朝、早起きしなければならないにもかかわらず、ゴドーあたりを待ちながら、『…天使』のショーケンみたいに、魚肉ソーセージなど野蛮に齧っているところ、なのである。



 追記:

 上記は少し前に或るところに綴ったものであり、今再び、『傷だらけの天使』はBSチャンネルで毎週日曜の夜に放送されているようで幸いかな。



 ~ 桜井李早の枕草子 ©




 

  

March 28(Tue), 2017

- 能『松風』を思いながら -


 人間が、少し道草するくらいの魂胆をもって生きることはかわいげがある。が、あわよくばと狙いながらもいかにも行き当たりばったりのようなふりをして自分をかわいがるのは始末がわるい気がする。

 何故なら後者は他者の心を踏みにじる場合があるからだろう。


 などと言いながら、わたし個人は近頃、とても充実している、と今、明らかに書いておくのだ。

 何故ならわたしは緩やかな疲労を感じているからだ。

「ああ、疲れた」と日々をふりかえり、温々とベッドに横たわる時、わたしはこのごろ、「今日もやった」と思って不可解な夢の中に潜んでいけるからだ。


 気がつけば、ここ半年あまり、snsやblogに記事をあげることが少なくなっている。それはわたしの生き方や日常に今までとは異なったものが入り込んできたことが理由だが、そのおかげでわたしの人生は少し幅を持つ事ができたのだろう、疲労は心地よく、自分のまた自分を取りまく小さな世界/コスモスが以前より増してわたしを導くのだが、その疲労感のおかげで先月は20数年ぶりにインフルエンザにかかってみたり、いよいよわたしも人間の世界とぶつかり合っているような気がし、身にしみる。


 だいぶ遅れた<近況>となるが、写真は昨年夏に、能『松風』と狂言『因幡堂』を鑑賞した日のもの。

 それは水にご縁のあった夏だった。移ろいでいく外のことに気が散るのに飽いて、何か実家のことを思う夏だった。

 またとりわけ器など、わたしは眺めることが好きなので、静かに眠らせておいたわたしの野生を、それらの中に盛っては愉しんでいた夏だった。今日の魂、今日の一膳、という具合に。

 そんなころにお誘いがあって楽しんだ能狂言の舞台–––『松風』は、在原行平を慕った海女と僧の物語。亡霊となった海女姉妹と僧との幻想的な一夜話である。わたしはこの物語について大学時代に学んだが、この日までこの作品を舞台で観ることことがないままに過ぎてきていた。実に破ノ舞には圧倒させられる、舞いの美しさは息をこらしたくなるほどで、しかしながらそのビート感、日本の音楽のリズム、その呼び声は久遠ともいえると感じた。西洋の音楽やバレエにずっと親しんできたわたしではあるが、思わず、その西洋カブレの脳を切り分けるように、「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」という在原行平の歌が駆け、頭の髪を逆立てた。

『因幡堂』は呑んだくれ妻に痛い目に合う男の滑稽物語、この日、男を演じたのは野村萬斎氏であった。氏の髪は夏らしく短くされてあった。


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 幽玄な演目を真夏の夕べに堪能したのだが、この公演にわたしと同行された御夫人は85歳、開演前に一緒に食事などとったのだが、ステーキとワインをいただいておられた。夫人はご主人を亡くしお一人でお暮らしゆえ、ご自宅でお肉を独りでいただくことが少なくなったので外出の際は必ずお肉料理を召し上がるらしい。食べっぷりも確かで、お酒もお好きだ。

 わたしたちは車で会場へ向かったのだが、運転はわたしがした。

 公演の後、帰りながら、その御夫人をご自宅前までお送りしたのだが、彼女が車を降りてふと後部座席を見れば小さな包が置いてあった。

「お忘れ物ですよ」と、私が車内から彼女に声をかければ、

「それは今日、運転してくださったあなたへのほんの贈り物です」

 と、おっしゃる。

「ありがとうございます」とわたしが言うと、彼女は微笑み、ご自宅の門を開け、その細い身体を滑り込ませるように暗闇に消えた。


 後でその包を開ければ、それは小箱で、品のよいお菓子が入っていた。

 これを食べたら浦島太郎になるかしら、それとも、あたかも人魚の肉を喰ったおかげで永遠の命を持つはめになった平安のあやかしのごとく、いつまでも世の移り変りを眺めながら、時々、毒を吐きながら生きていくのだろうか…

 などと、幽玄な想いに浸った真夏の夜の夢。


 しかし季節は移り変り、今は春、春といえば、「春はあけぼの… 」


 

 そして、人の日常が、やがて、今は昔…と語られていくことに思いを馳せてみたくなる。


 だが、さしあたり、わたしはわたしの歓ぶべき<近況>をお伝えしなければならない。


 それは次回にあげさせていただく記事となりましょう。



  桜井李早 ©




October 25(Tue), 2016

- デラシネ、満月の夜に @安曇野 -


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 10月15日の暮れ時、カルメン・マキさんのコンサートに同行し、長野県の安曇野へと向かった。到着は夜遅くなるだろうが、コンサートは翌16日なので、車は急がず、暗い中央道をゆっくり走った。運転はギタリスト、家人桜井である。その人はその日、ひとつ仕事を終えての移動であったので、わたしはよくおしゃべりをしながら運転者が居眠りなどせぬよう気を遣ったものである。談合坂で休息しようかとも思ったが、彼はもう少し、と言った。が、夕食も摂らずにいたせいか、その先で一休み兼食事などした。ギタリストとわたしはチャーハンを選んだが芳しくなく、しかしマキさんのお蕎麦は当たり。休憩を終えて再び車を走らせながら、「あのチャーハン、ハズレだったね」とわたしが言えば、桜井は「もう、忘れた」と笑った。そういう男なのである。

 中央道はカーヴが多く、この道を夜に運転するのは恐いと思うわたしである。前方に車があればまだ良いが、先頭を走ると道路がどちらの方向に曲がっているのか知れなくなることがあるからだ。暗い前方ばかり気にしていると目が疲れるので、視線を動かし、空を見上げる。そこにはあと少しで満ちる明るく蒼白い月を認めることができた。星も、東京の空よりも若干見え始める甲州である。


 そうしてそれは、午後の10時半を過ぎた頃だっただろうか。月の下に光るものを見た。

 一瞬、飛行機かとも思えたが、それは尾を引きながら急な角度で落下していて、仮に飛行機であれば墜落の路を辿っていることになるが、否それは、流れ星だったのだ。盲目の者が         

「マキさん、あそこに流れ星」と、わたしは後部座席でくつろいでいるカルメン・マキさんに話しかけた。わたしたちは見た、月夜の流れ星を。そしてわたしは、こういう時は咄嗟に何かを願わなければいけない、と思ったものだが、生憎、胸の裡に適当な言葉、つまり願いが浮かばない。違う、言葉がないわけではないのだ、このような機会にさっと飛び出す恰好の願いが、わたしの裡にない、ということなのだろう。浮草のような我が心ゆえ、機会などというものにさして頓着せず生きてきた証拠なのだから仕方が無い、未練がましく流れ星への願いを探すより、これを今宵、見た、ということこそが佳い機会と納得し、前方へ目を戻すもそこはやはり人間、再び流れ星を見上げた。

 明るい月の身近を通過しながらあれほど輝いている流星なのだ、それはかなり大きなものだろう。どこへ落ちていこうとしているのか気にかかるが、わたしのそんな好奇心などその流れ星にとっては文字通り銀河系の外、星はやがて闇にスーッと消えた。


 

 おかしなもので、中央道の闇を走りながらこの旅のマキさんのコンサートのベース奏者の佐野さんの車と遭遇した。こちらが追い越して合図をすれば、後方から合図が来た。そのまま安曇野まで連れ立って走り目的地に到着すれば、ドラマーのつの犬氏が暖かく迎えてくださった楽しい宵の宴、しばし。土地の野菜、特にキクイモの力強い味に驚かされた。

 信濃、そこは星々も東京よりずっと近く、輝く土地であった。


 翌夕のコンサートはたくさんの人々との出会いあり、マキさんのプログラムはわたしのよく知る楽曲たちであったにもかかわらず、つの犬さんと佐野さん御両者の個性溢れる演奏により、これまでとはまた異なる印象だった。それは素晴らしく、ビートに溢れた物語感を突き進むマキさんの歌/詩世界が発揮されたと感じた。

 ああ、コンサートの模様についてはわたしはここで多くを語るつもりはない。わたしは批評家ではないので。


 

 そして、このコンサートを聴いた人たちからの声をわたしは聴いた。

「マキさんの歌に、身震いしました」と。

 何よりカルメン・マキさんは「ライヴは一期一会」とおっしゃりながらこれまで数えきれない場所、土地どちで歌ってこられた方である。そのマキさんの姿勢を受けとめると同時に、そのひと時が一期一会であり、また、巫山戯たもの言いではあるが、桜井があのチャーハンについて「忘れた」と言い切る姿を重ね合わせるフトドキモノのわたしは、あたかも、あの安曇野の地へ向かいながら、あやかしの世界へ流れ込んだような気がした16日であった。

 そういうわたしは、マキさんの培ってきた精神、表現への想いを引き継いでいきたい者である。


 ひとつ、これはわたし事であるので、ここで表させていただきたい、それはカルメン・マキさんがここのところ、大事にされて歌われる楽曲のひとつに『デラシネ』という作品がある。これはマキさんの詩にわたしが音楽を作らせていただいた。他に『望みのない恋』という作品もあるが、この、安曇野での満月の夕べに歌われたマキさんの『デラシネ』–––これは、その前の晩、現われた流れ星に咄嗟の願いを唱えられないような者、つまり、<デラシネ>とは<根無し草>という意味があるが、そのような者の上にこそ輝く流浪の楽しみと儚さを表した楽曲としてこの後、それを聴く人々の心を照らす力を持つ音楽作品となるのではないかと予感した。

 …そうか、では、こんなわたしにも、予感はあるのか…そう感じた、満月の16日であった。



 この小旅行、わたしは『方丈記』を鞄に忍ばせていた。


 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。


 ~『方丈記』 鴨長明 


 鴨長明は平安の世の後期にに産まれ、鎌倉の時代へと移行する時代を生きた人である。詩と音楽の世界に深く触れながら生き、出家の路を選んだ人であった。長明の前に似た生き方をした人に、西行がある。西行は浪漫な詩人であったかもしれない…それはわたしには解らないがしかし、鴨長明の生きた時、これは時代が貴族社会から武家社会へと移り変わる時であり、それだけでなく、この長明が随筆として表したように、当時は飢饉、多くの災害、病のあった時でもあった。

 災害や病、貧困は、この人の世にあって、何度も何度もくり返されたのである、何も今だけではない。

 また、流浪の民、難民というものも、人々が争いを起こし、生き抜くために人々が手段とし選ぶ路として太古の昔からあった行為なのであろう。

 この21世紀、難民を迎える迎えないと論議もあろうが、そんなことを考えても、ただ、動こうとする者たちの欲求は止められない。

 そして、よくよく考えてみれば、人間というもの、それはどこかの土地に定着することを求めようとしてみる反面、どこにも定着せず、水の上を漂うように、浮草のように、旅をするように、どこか見知らぬ土地に、あたかも風に飛ばされる<種>のように、あたかも流れ星のようにスーッと何処かの地に落ちる<石>のように、出物腫れ物所嫌わず、人の世とは、ふいに放屁するくらいの大らかさあって、平和というものなのではないか、とも思った。

 産まれる時、人はすでにその一生の多くの苦痛を味わいこの世の空気に初めて触れるのではないだろうか。憶えなくとも、そうなのではないかとわたしは察する。その時、その生の確かを認めてくれる人があれば、それらの人の情を受け、授けられ、名付けられ、その名とは、ひとつの呪ともいえるかもしれない。が、人はその<名>に縛られることを時に厭い、名を変えたり、暮らしの場所を移動したり、主義や主張を自在に変えることを愉しみ、この世を旅する。


 わたしが何度もこのような場に書く一言がある、それは…


 人は、いつも同じ顔をしていては危険なのだ。


 わたしたちが、その個人の人生において自由であることを愉しむために、わたしたちは幾つかの顔やわたしたちを縛る<名>を持ち、そして、いつでも好きな場所に移動する心構えを持つくらいの……デラシネ……という生き方を心のどこかに盛り込んで路を進んでみるのも、人の世の在り方なのではないだろうか。



 コンサートの翌日、わたしたちは安曇野の数ある美術館の中、碌山美術館を訪れた。

 荻原碌山は19世紀末に産まれた日本の彫刻家である。ロダンに影響された彼の作品群は滑らかに洗練されているように見受けられるが、生きる人の姿をそうよ、その通り、彼の心の目を通して浮き彫りにされている。その対象物が、化けていても、いいのだ、作家がそう見、感じた姿が表されていれば、それはその通り。そんなはずはない、というバランスがあったとしても、それは、<表現>であり、その表現という、一個人の信じる状態が潔く表されることが大事なのだ。

 アーティストたちは、それを知っている。

 が、権力を欲する者たちが、念仏の如く心に刻んだ不可解な表現を世に広めようとし、それはあやかしさえも反吐をはきたくなるような薄汚い空言となる場合がある。人々、民人の声を聴かず、<勝ち負け>や<賛成反対>という二元論のなかに世間を押し込め、統率しようとし、それだけでは世界が豊かにならないと朧げに解っていながらも多数決で仕方を表し、少ない意思は端へと追いやられる。だが、追いやられた魂を拾い、それを新たな粘度とし、形作る者は、絶えないということも、歴史なのだろう。

 荻原碌山の時代、日本の政府はその在り方として、彫刻は不要/無用のもの判断したとか…。

 今日となっては驚くような意識だが、それも19世紀から20世紀へと向かう日本の政治権力が如何に慌ただしく、国益に集中するあまり、人間性、芸術性への関心を軽んじるばかりであった形跡を見て取れるが、それは21世紀になった今にも、これは日本だけでなく、どこの世にあっても見られることなのではないだろうか。


 

 だがね…肖像画家や彫刻家が、その対象物の何を最も表現したいと意図しているか…例えば機会があれば肖像画家と会ってみればいい、その人は描く人物の特徴をすべからく敏捷に察知し、秘めたようにしてその人物の特徴を奥深く表すのだが、その表現が巧みであればあるほど、描かれた本人には自身の隠したい特徴や性格が如実に表現されていることに気づかず満足するように仕上がっているものなのだ。

 要するに、芸術家ほど、感に冴え、恐いものなしに生き、根が深く、相手にすると厄介なものもない、ということ。

 もっとも、相手にしなければ、何ということもない、ともいえるが。


 そこに描かれた銅像たちのことはともかく…


 この21世紀を生きる人々は、月のエネルギーならぬ人工的圧力によってやんわりと襲いかかるエネルギーにより劣化せぬよう心がけたいものである。

 それは、年をとることとは異なる。

 人間が、人間の力や精神、自然に寄り添う生活言わば風土、そして感…それらよりも、例えばこの電脳に頼る日々を過ごし、何年も過ぎてゆくようなマンネリを続けていったら、人の世はあやかしの世よりも非現実的なものと化してしまうような気持ちになる李早である。


 そのあたり、あまり毒にならないよう願う。


 だが、人生、デラシネ、であるわたし李早。

 西行、鴨長明、彼らは啓蒙したわけではない。

 そこがひとつの貴い日本の思想、文化の面であろう。

 それは、顔、では、ない。


 素敵な満月に巡り会った秋の週末に感謝をこめて 

 そして何より、このコンサートのために演奏家としてだけでなく、様々なお気遣いをされたドラマーのつの犬さんに感謝をこめて 



 写真は満月の夜の魔女ふたり=カルメン・マキさんと李早 



 桜井李早




October 14(Fri), 2016

- 野戦の月 16の秋 -


 それは今月最初の日曜日、夕暮れ時、空は若干雲っていただろう。

 だが、わたしは美しい<月>を見た、それは"野戦の月"。

 それは見ようとする者に見える<月>だ。

 わたしは5歳の少女と10歳の少年と戯れに夜の野を駆け、だるまさんがころんだ、をし、深夜には紳士とタンゴを踊った。

 水が流れ、わたしも水となった晩。


 それは今月最初の土曜日、わたしは懐かしい人に会った。

 彼は私と同じ年、俳優だ。

 今宵、彼は芝居を観に来ていて、私たちは数年ぶりに会った。

 変わらず潤む美しい瞳の持ち主の彼に私が「元気そうね」と言えば、彼は「身体はボロボロだけどね」と返した。

 その声は昔、「アパラチアンワルツを聴いたんだ」と伝える私への早朝の電話の声と同じだった。


 今年のお芝居『混沌にんぶち』、桜井大造氏(導演)による脚本は役者さんたちによる独白が光る作品となったとわたし個人は感じた。

 あたかもギリシャ劇を観ているような、或いはシェイクスピアを鑑賞しているような、それは人間の魂が天界や魔性と触れ合いながらも、この世との関わりから引き離されず足掻き、しかし芝居というものがこの世を離れたものとして鑑賞する愉しみだとして、これは大造氏の作品の中でも記憶に残る放たれた美の世界だったと思う。

 いよいよ、桜井大造が創りつづけてきた世界に今日の日本という国の状況が迫って来たことを意識し、独り、ニンマリした宵であった10月2日。

 また、10月1日2日、"野戦の月楽団"のCDをお買い上げくださった方々にも、感謝。


 Dylan氏がノーベル賞を受賞したということに世界は動かされるだろう。だがわたしはノーベル文学賞に疑問を持つ者のひとりだ。何故、ノーベル音楽賞やノーベル美術賞、ノーベル演劇賞はいまだ見えないのか、それこそ、ノーベル平和賞というものがあるようだが、いまだ世界平和など叶っていないわけで、これについては平和貢献賞ならノーベルの名を利用し価値を見、そこに人間中心の未来を託す言い訳と察する範疇と考え込んでしまうが...実は、個人的にはDylan氏がこの文学賞を受け入れなかったら、カッコイイかもしれないわ...と、そんなこと、ふと、思うのですが...何故って、権力者たちは選ばれた者を歴史に残すことを意図し、世間は英雄を求めるということがくり返されてきたわけですし...そのDylan氏の音楽を聴きながら...ね。


 そしてこの週末、わたしは少し遠出をすることとなった。

 夏は海の方だったが、秋は山の方である。


 ちょうど、この日曜日は、16日は満月らしい。

 信濃にて、佳い音楽とともに、美しい月を見ることができるだろう。


 写真は10月2日、国立はキノキュッヘにて、テント芝居、"野戦の月"の打ち上げでの一枚。


 素晴らしい人々に、感謝をこめて。



 桜井李早 




October 06(Thu), 2016

- 心は秋の狩人 -


 昼下がり、出かけた蕎麦屋で偶然、私の本を編集・出版してくださった三島悟氏にお会いしわいわいと。

 宵になり、秋の虫が家の中で鳴いている。

 今日はよく家中の窓と扉を開け放っていたので、外から迷い込んできたのだろう。

 しばらく一緒に暮らそうか、コオロギさん、あなたの鳴き声のテンポがだんだん遅くなっていくだろうことをわたしは知っているから。

 相次いだ台風で湿気にヤラレていただろう台所の鍋やフライパンも奇麗に洗い、お日様に当てた。

 風通しのよい一日だった。

 しかし、訪れる風の方向と温度は変わったね。

 シフト。

 視るものを変える時期。

 そして、秋はわたしにとり、最も感性が蠢く季節。


 

 夏から秋にかけて、それは近頃、感心したこともあり、記しておきたいひとつふたつの記憶があるが、それを急ぐ事もないだろう。

 時間はわたしが操作することとしたの、上等でしょう。


 今は、秋。

 心は秋の狩人。

 ここ30年来、秋ともなれば、心は秋の狩人であるわたしなのだから。



 ––– 肉が食いたいわね。



 桜井李早 




September 30(Fri), 2016

- それは愛の収穫、そしてそれを生かすも殺すも -


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 宵にセスキ風呂、巷で言われているように温まります。

 匙一杯、低体温の私には心強いものであります。

 おかげで早寝のつもりが夜更かしとなってしまい、ふむ。

 9月は自分の事以外のストレスに加え、天候の悪さ、特に日照不足にありましたし、ここ数日は体調も不安定でしたが、9月30日は佳い日でした。


 写真は9月末日に枝狩りをした宅のオリーヴの木より摘み取った実。



 

 李早 




September 26(Mon), 2016

ベルカント


 2016年秋の「野戦之月海筆子」の公演がスタートしております。

 10月1日・2日の国立公演では「野戦の月楽団」による劇中音楽のCDも販売されます。

 憚りながら、それらのCDには私が歌い手・ピアノ演奏・作曲させていただいた楽曲も含まれております。


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『変幻 痂殼城』のテーマ曲はわたしが書かせていただきピアノも弾かせていただきましたが、ベースを担当したのはギタリストの家人/桜井芳樹で(勿論ギターも演奏している)、久しぶりに聴いたらこのベースがとてもよい。ドラムは神(=中尾勘二氏)、まさに<神の手>。ザッパかボンゾスかと言いたくなる仕上がりの印象が好きでございました。

 また、『野戦の月楽団/怒りの涙』と題されたCD作品でのテーマ曲「怒りの涙」、こちらはわたしが歌わせていただいたものが収録されております(他にも歌わせていただいております)。

 以下の写真は2008年吉祥寺スターパインズカフェでの演奏の模様です。


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 時に自分のしたことを回想してみるという視点であえて我が儘を言わせてもらえば、我が歌はヴレスがよい。これは10代の頃から鍛えたゆえ身体が痩せ細ろうと年をとろうと可能で、これつまり呼吸というもの。

 わたしの声や歌い方へのお好みはともかく、私が培ってきたものは<呼吸>の在り方。

 そして、<ベルカント>、です。


 *


 

 ふと、次の生き方が見えてくるような秋の夜長。


 ねえ、あなた、わたしのあなた、わたしは水なの。

 あなたを枯らせないための、水。

 それがわたしの<役割>の、ひとつだわ。


 わたしは、わたしの言葉をダイアリストのように紡ぎ、歌うようにそれらを育てていきたい。


 * 


 野戦の月海筆子の今年のお芝居については以下のページをご覧になってくださいね。


 http://yasennotsuki.wixsite.com/yasennotsuki/fashion 



 桜井李早 




 

September 06(Tue), 2016

人形が欲しい


 気の触れたフェミニストのようだが、ここ数日、わたしは人形が欲しくて仕方ないのだ。だがわたしは少女時代、人形遊びをしたいと思ったことはないしリカちゃん人形が欲しかったこともない。余所の方からいただいたガラスのケースに入った着飾った人形が幾つか家にあったが、ああいうものは触れるのではなく高い場所に飾っておけばすむくらいに思っていた。

 ところがこの年になって、その人形が欲しいのだ、ミルク飲み人形などではない。

 何と言ったらいいだろう、もっと遡ったところにあるような、動かず、沈黙しながらも、語る私の言葉を音楽のようにレコードしてくれるような人形、或いは、<式>と呼びたくなる、机の上にそっとあるような、いや、片手に乗せられるほど小さな、そういう人形が欲しいのだ。

 実はわたしは最近、右の奥の歯の周辺とリンパ腺が痛み、言葉をまともに話せないくらい辛かった。口をきくのもままならない状態だと脳の方もどんよりしてくる。わたしの労働ができない状況に陥る。が、相手あらば、わたしは語り、思う事、浮かぶ事を声にし、それを聴く者があると思えば歌うように話しかけ、それらを、書くだろう。

 そんな人形を手に入れることができたら、<わたし>、は、彼女に、<名>を与えるだろう。

 彼女の名は、もうひとりの<李早>かもしれないし、それとも、花の名、かもしれない。

 それはわたしが外的な物事に飽いた証拠かもしれない。

 今年の夏は、久しぶりに、わたしをまた少し変えた。


 

 9月に入ったにもかかわらず、厳しい暑さの6日夕刻、漸く言葉を話す気力が出てきた。

 先月いただいた明治41年創業の麦茶、これは「小川の麦茶 つぶまる」というのだが、これはお茶として飲むだけでなくその大麦をそのまま食べても香ばしさを楽しめるほどの麦茶なのだが、この麦茶を薬缶で煮出した後の出がらしを捨ててしまうのが勿体なくて、何とかできないものかと思い作ったのが、出がらしの麦を大蒜と生姜、玉葱と人参で炒め、酒と出し醤油で味付けをした常備食、ご飯などの友/共となりそうな一品である。


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 それを、今夕は、先月、伊豆高原でN夫人(小川のつぶまるをくださったのも彼女である)にごちそうになったガパオライスを再現しつつ、それに混ぜ、わたし流にアレンジしてみた。このガパオライスには、茗荷を入れた。ナンプラーやオイスターソースの味付けは勿論だが、食べる時、カボスを絞っていただいた。

 家人は目玉焼きを乗せて。

 よく仕上がった。


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 先週末から今朝までほとんど噛めず、話そうとしても舌足らずのような物言いしかできなかったわたしだが、これをいただいた後、元気が出てきた。


 後は、わが<式>と恋したくなるような、奇妙で美しく、闇の中で沈黙する人形に出会うことができたらば…。


 だが、わたしは、その人形を抱いて寝たりはしない。


 人形、その彼女は、わたしとは別の人格を持って、わたしの夢に語りかける存在だからだ。



 桜井李早




August 31(Wed), 2016

8月に感謝をこめて


 7時起床、洗濯掃除を終え冷蔵庫を開ければ昨夜遅く家人が残したとおぼしき気の抜けたビールとご挨拶。

 従ってその残りビールを無駄にしない責任感を背負い、イワシのパテ&ハム&レタスのサンドウィッチを詩的労働者としてビートルズを聴きながらいただくHump Day。

 悪く思わないでね。


 

 人生を十分に生きようと願い、できればそれを楽しみ、現われては過ぎていくことを自分の感覚を交えて留めておくために、わたしは時に、無頼であらなければならない。

 そしてわたしがチョーカーやネックレスを首にするのは、わたしを虜にするものに支配される必要があるからかもしれない、その役割は首輪だ。

「そういう生き方をしていると、あなたが願うものに行き届かなかった時、絶望し、死んでしまうかもしれませんよ」と言う人もあるだろう。


 

 だが、どのように生きようとも、人生においては安全なドライヴが保証されているとは限らない。

 特に、今のような時代になってみると…



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 台風の通り過ぎた8月31日、晩餐はオリーヴオイルでカリッと仕上がった焼きカツ、ペンネを添えて。カニワと共に炊いたご飯、パプリカとクミンを効かせた野菜とキヌアのスープ。

 そういえば、家人が仕事でスペインに出かけたのは11年前の8月の終わりの頃だった。

 荷が重くなるのを好まない人なので、瓶のものなど滅多に土産にしないのだが、マヨルカ島で土地のオリーヴオイルを購入して帰ってきたことを思い出した。

 あのマヨルカ島のオリーヴオイルは素晴らしかった。


 今年もまた、夏の思い出が増えた。


 8月に感謝をこめて 



 桜井李早 




August 22(Mon), 2016

晩夏の候


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 晩夏の候 

 家を離れ海の近くにて、録音のお供をいたしながら過ごしております。

 戻ったら 

 わたくし自身の姿勢にて、変わりなく表すものがまた在ると正したく。

 何故かふと 

 方丈記など読みたい、などと。

 それは潮風の恵みにありましょうか。


 夏の小噺が雲と雲の間から始まりそうな 

 台風が通り過ぎた後の海の近くの空。

 高くもない私の鼻 

 その頭が昨日より紅く火照り、少しヒリヒリしている。

 夕刻の高原の道を 

 自転車をこいで買い物と称して散策する人の後ろ姿は少年のように。

 地獄か天国か 

 その行き着く所まで一緒でよろし。

 行きつけのラーメン屋、そろそろ恋しくなり、下界に戻る明日。



 李早 




July 23(Sat), 2016

- 戦略、或いはゲームという麻酔薬/麻酔役 -


 1935年、不況下のもと人々が熱中したゲームがあった。「モノポリー」だ。

 自らの資産を増やし相手を破滅させるゲームだが、この2016年、同じく不況の時代に「ポケモンGO」がヒットし始めたようだがどうだろう…

 たかがゲーム、が、この現象に先の戦争前夜に似た空気を感じるのは私だけか。

 <GO>のサインが恐い。

 80年以上前と今日ではゲームの方法こそ異なるが、それを"PLAY"する者は始まったら最後、<GO>という指示があるかぎり、続ける。

 これらのゲームと同じように、戦争もゲームのように行われていく。

 多く指示されるものに人々が興じるようになる時、残念ながらそれは洗脳される時であり、それは弱い者たちが破滅させられる時でもある。

 ここで言う弱い者とは、単に金銭的弱者とは限らない。

 正しく生活していると信じている人たち、或いは生きることに対しておっとりしていたり、社会の動きに楽観して過ごす人たち、人生の裡に愉しみがあると実感し恐れない人たち、日本が再び戦争に巻き込まれるとは信じ難いと思う人たち…皆、それに該当してしまう。

 そういうわたし自身もその弱き者なのだろうと思う。

 では誰によって破滅させられるのか?

 それは大衆を巻き込み、操り、痛みを感じさせないためにゲームに熱中する人々を増やすことにより、自分たちの利益を欲しようとする輩によってなのだろう。

 麻酔のようなものだ。

「今、注射しますから一瞬、痛みますよ。でも、すぐに楽になります」

 そうやって緩和され治療された気になり、<GO>のサインでゲームが動きだし、弄ばれる戦略だ。

 人間の命は玩具ではない。


 


 李早



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July 21(Thu), 2016

- 偶像崇拝、新発売 -


 ポケモンという偶像との旅が始まった人類なのか。

 皆、スマートフォンを見て歩き暮らし、前や後ろ横も気にせず、雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体を持ち、欲はなく、決して怒らずいつも静かに笑っている...  


 宮沢賢治がこの21世紀を天国から眺めたらどう思うだろう。



 ***


 雨にも負けず 

 風にも負けず 

 雪にも夏の暑さにも負けぬ 

 丈夫なからだをもち 

 慾はなく 

 決して怒らず 

 いつも静かに笑っている 

 一日に玄米四合と 

 味噌と少しの野菜を食べ 

 あらゆることを 

 自分を勘定に入れずに 

 よく見聞きし分かり 

 そして忘れず 

 野原の松の林の陰の 

 小さな萱ぶきの小屋にいて 

 東に病気の子供あれば 

 行って看病してやり 

 西に疲れた母あれば 

 行ってその稲の束を負い 

 南に死にそうな人あれば 

 行ってこわがらなくてもいいといい 

 北に喧嘩や訴訟があれば 

 つまらないからやめろといい 

 日照りの時は涙を流し 

 寒さの夏はおろおろ歩き 

 みんなにでくのぼーと呼ばれ 

 褒められもせず 

 苦にもされず 

 そういうものに 

 わたしはなりたい 



 ~宮沢賢治 



 *** 


 麻生太郎財務相が、「引きこもりが外に出る」などと発言したとか聞いたが、そんなことでどうする。

 それが日本の体制側の発言として、あまりに愚か過ぎるだろう。

 麻生氏の縁者には吉田健一があったが、健一ならこの太郎の言葉に辛口な皮肉を含みながら一笑に付しただろうと私は思いたいが…。

 それはともかく、宮沢賢治の夢見た世界とこれは、異なる。

 そうでなければ、いけない。



 李早 



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July 13(Wed), 2016

- # 天皇というカード -


 参議院選が終了した後、7月13日の夜を騒がせたかもしれない報道は幾つかあったかと存じます––ひとつには東京都民にとっては特に都知事選についての宇都宮さんの件、そしてもうひとつ、天皇陛下の「生前退位」についての報道。

 天皇陛下のご意向が事実であれば、憲法改憲の前に皇室典範改正が先にこなければならず、自民党による憲法改正案は先延ばしにされます。これはスクープですが、慎重に扱わなければならない事柄です。

 ただ、今、天皇陛下のご意向が記事となったことには何か興味深いものがあります...(陛下は歴史修正に反対のご意向をお持ちと聞きます)...皇室への賛否はともかく、明仁天皇は人間的にあろうとされている意思をうかがうこともできます。



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 このような時期です。情報を提供する側も受け止める側もフライングせず、観ていく必要がありますね。

 SNSに執心する人々の中には自分の求める記事に敏感に向かう傾向にあるようです。

 冷静に世界を観ていきたいものです。

 情報に振り回されてばかりいると、人間として、考える時間がなくなってまいりますからして...。



 李早



 

 http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20160714-00059955/




July 07(Thu), 2016

- 私たちの基本的人権が奪われない為に、或いは民主主義はこの国/世界にそもそも存在したのか -


 参院選まで今夜と明日があります。

 以下にリンクさせていただく記事は、改憲がどれほど恐ろしい事態を日本国民に招くのか、その意味を理解されていない人々がもしもあなたの身近にあられると感じるならば、このたびの選挙の齎すものがどれほどのことかをお知らせする、とても解りやすいものと存じます。


http://iwj.co.jp/wj/open/archives/314618


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 わたくし、の周囲の方々は皆、このようなことはとっくにご存知であろうはずとお察ししておりますが、災害時の緊急事態や、中国が攻めてくるなどという例を持ってして国民を駆り立てる現政権演出を真に受けて、改憲もあり、などとうっすら考えている人が仮にあなたの隣人にあったとしたら、この記事は役に立つことでしょう。


 ここで国民主権が疎かになる結果が起ったとしたら、民主主義は幻想だった、と、あっさり証されます。


 今、日本に民主主義がある/あった、のかどうか、問われている最中ですが、この流れは日本のみならず、世界の民主主義の危うさをも表していますね。



 李早




July 05(Tue), 2016

ベビーコーン/若き命に感謝


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 今が旬のベビーコーン、生のものが5本、手に入った。

 だが、彼らは大きなコーンを育て商品化するために間引かれてしまった若い命たちだ。

 青いヒゲも茹でて添えて...このトウモロコシのヒゲは代謝を促しむくみ解消にもよいと言われている、捨てるのは勿体ないですね。

 3本はさっと2分ほど塩茹でして。

 2本は皮付きのまま10分グリルして。

 どちらの調理法でも甘く柔らかく。

 自然の恵み、命、無駄にせず有り難く、感謝。



 李早 




June 30(Thu), 2016

一千一夜物語


 ポークの塊をコトコト煮込みつづけて今、白ワイン...ほっ。


 わたしの、あくまでわたし個人の自由に乾杯。


 –––少し眠りましょうか。


 –––いや、もったいないほどのよい香りが、わたしを寝かせたくないようだ。


 –––よしなに。


 –––たしかに。



 手をいれて、しかし、手かげんしないこと。

 そういう気でいると、何もかも踏みこえていけると思うが、これは10代の頃のわたしの気構え、それはだいぶ抜けてきたが、時々現われるとそれは、今も<儘>...。



 桜井李早



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 pic: 「一千一夜物語」~ Leonor Fini




June 21(Tue), 2016

夏至は過ぎたが選挙はこれからよ!


 午後の鐘はどこまでも、遠く 

 雨の橋は空の上、高く 

 夏至の日には、ゲリラたちも鎧脱いで羽ばたく 

 ミネルヴァの森を照らす星のロンド 

 ここに来れば汚れさえも消えてしまう 

 伝説は塵になり、輝く水に戻る 


  "Minerva/ミネルヴァ"~桜井李早©より抜粋



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  pic Minerva/Athana ~Gustav.Klimt




June 17(Fri), 2016

<意識の流れ> - V.モリソン『Astral Weeks』そしてJ.ジョイス『Ulysses/ユリシーズ』とわたし


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 一昨日前、Van Morrison/"Astral Weeks"を聴いていて、これは改めて凄いアルバムと思った。"Them"解散後のソロアルバムだが(実際にはこの前もある)、このレコードは1968年発表、The Beatlesの"Magical…"と同じ頃だが、ミステリーツアーに連れていかれるどころではないなぁ、とゾクゾクしながら改めて鑑賞した。

 その晩は『The Last Waltz』も久しぶりに観たのだが、ここで歌う彼/北アイルランドはベルファスト生まれのV・モリソンはやはり米国人より大人だったんだ...なんて思いながら…アメリカは若い国、ディランがこのコンサートで歌う"forever young"、それは素敵だ…が、モリソンの表現はというと(彼の歌い方/言葉の発音と言おうか…には時々でまるで役者のような変貌があるゆえ…遊び心でジャガー風に歌うこともあれば、トラッドを見事に民謡として表す妙が、それである)、あたかも<乗り込んだ人>という形容をしたくなるような闊達なやり口を感じるのだ。

 ベトナム戦争が終演となった1976年の頃を振り返りながらの晩であった。


 

 その一昨日前とは6月16日で、その晩、「今日はブルームズ・デイですね」という声をかけてくださった佳き隣人があった。

 "ブルームズ・デイ"とは、J.ジョイスの作品『ユリシーズ』の一日を言うのだが、そのような粋なことをおっしゃってくださる方があることに、救いを感じた、ありがとう。


 "わたしが何をしていようとも、他者にはどうということでもない"、くらいの気持ちで、J.ジョイスはあの大作『ユリシーズ』を書いたのではないだろうか、さもなくば、たった一日があれほど長いはずはない。

 V.モリソンの『Astral Weeks』も同様、あのとてつもなく濃く、果てしない、と感嘆するくらいに広がる歌の世界は、個人にしか解らない確実な時間の経過、<意識の流れ>あっての表現なのだと思う。


 個人にとっての人生の一日、週、一生とは、どの瞬間も、かけがえのない、世界であり宇宙、それが誰にも知られずとも、であろう。

 それはまさに、ここ数日いきなり暑くなったとたんに思い立って訪れる避暑地の休暇の如く。

 そうよ、隠された処に、真実はある。


 このようなカレーが食べたくなる陽気です。

 マトン入りほうれん草のカレーとダール豆のカレー、サラダにはほんのり甘いヨーグルトソース。

 顔が隠れてしまいそうなくらい大きなナンは焼きたて、香ばしく。



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 桜井李早




June 08(Wed), 2016

銀杯


 今宵はひとりで過ごしているが、今日は銀の祝日なのだ。

 百年に一度、生まれかわるとも、これでいい。

 だからこの生をとっとと生きていきたいとも思う。


 仁丹の数分の一ほどの"半田カス"が家の中の所々に落ちているのを目撃した今日、それは最近、楽器その他を修正している家人の仕業でおそらくはスリッパの裏にくっ付いたものが散在したのだろう。

 肋骨痛むが掃除しておいた。

 銀色に光るそれら"半田カス"を眺めながら思うは、我も宇宙の微塵かな。

 だが、その微塵は、いつもあなたを見ている。

 あなた、とは、私の宇宙、だ。 


 "Frailty, thy name is woman"とは、『ハムレット』での科白だが、何が弱く、何が強いかは、人、それぞれ。



 李早



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 pic: コンスタン・モンタルド/Constant Montald


 

June 04(Sat), 2016

ワンピースの日々、肋骨にヒビ


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 一昨日の晩からひどく左脇腹が痛むので昨日はシブシブ病院に行ったら、肋骨にヒビが入っていて、全治3週間と言われた。

 原因は5~6日前、問題の部分を椅子にぶつけたことが原因で、痣もなく気にしないでいたのだが、それは遅れて症状を表した。

 笑っても呼吸するだけでも痛みが走るが、歩ける。

「ポキンと折れてはいませんね」と医師が言う。

「そうですよね、折れていたら動けませんよね」と私が言う。

 すると医師は「いやいや、肋骨が折れていても人は動けますよ」と悪戯に笑った。

 そうか…そういえば、以前肋骨が折れているのに普通に暮らしていた人があったっけ…


 ところで診察を待つ間、ひとりの杖を持つ老婆が受付をしていた。老婆は保険証か何かをバッグから取り出そうとしたのだがその瞬間、彼女の杖が私の方へ倒れ、見事に私の左足の甲に落下した。私は受付の前の椅子に座り、渡された用紙に必要事項を記入している最中だったのだが、重い杖の柄はジーンと私の足を襲った。身体が痛くて病院を訪れたはずが、そこで新たな痛みを被るなど運が悪い、と思いながらも、病院とはそういう場所かもしれないと気を持ち直した。

 整形外科なのでお年寄りが多いのだが、どなたも二~三百円程度、中には百数十円という方もあり、皆せいぜい千円以下の治療費。が、x-rayを撮りはしたが私だけ二千円近く+ 湿布代。

 この、骨にヒビが入った感触というものをよく記憶し、これからは同様の症状に遭遇した際は湿布をして3週間待つことにし、病院には行かないようにしようと思った、何、自分を信じるのである。


 そんなわけでしばらく重い物を持たない、痛いことはしない事という忠告と数週間分の貼り薬を医師からいただいてきたわけだが、痛み止めの薬は飲んでいない。

 だが人間の身体とは案外うまくできているようで、この肋骨のヒビのおかげで、この数年日々痛んでいる別の部分の痛みが今、やや緩和されている。


 ジーンズでいることが日常、好きな私だが、暫くの間、貼り薬にコルセット、ワンピースかスカート姿で過ごすべし、かな。


 追記:

 一昨日前、金曜の晩は阿佐ヶ谷Soul玉Tokyoにて、カルメン・マキさんの歌とピアノの清水一登さん、ギター桜井芳樹の演奏を愉しんだ。

 そのライヴことは、改めて綴ろうと思っている。


 

 桜井李早



 pic: "画家の妻の肖像" ~ジーン・エティエン・リオタール(1708~1789)




May 29(Sun), 2016

「母の腹で生きのびた私は、何ものも恐れない」~『ダディー・ノスタルジー』


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 朝から寒気と頭痛。5月末にもかかわらずホカロンを背中(天使の羽の辺り)に貼って午後中横たわっていた。

 晩餐はソパ・デ・ケソ、大蒜と唐辛子、チーズのスープ、今宵はパプリカとシナモン入りで。

 本当はライヴに出かけたかったのだが、今夜は食事をしながら家で映画を観て早めに休むことに…



「母の腹で生きのびた私は、何ものも恐れない」、と、J・バーキンは映画『ダディ・ノスタルジー』で母親に言う。

 父親役はダーク・ボガード。

 この映画を観るたびに私は母と私、父と私を想う。

 生真面目な母親、どこか放蕩なところある父親、母娘の、時に喧嘩に近いやり取りとお互いの理解、父娘の悪戯にして内緒のような親密な会話(この映画では父娘は英語で話す場面が多く、それは母親を交えた時とは異なる描写として際立つ)、その家族模様が私の持つ両親との思い出と重なり合うのかもしれない。

 それは親子と個の関係ばかりでなく、若さと老いを私に感受させるからだろう。



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 寒暖の差が身体に障ります。

 晴れ間が有り難い季節に突入します。

 皆さま、佳い週を過ごされますよう。


 明日は元気になりたいぞ。



 李早 




オバマ米大統領のスピーチに思う


 このオバマ大統領の言葉が心からのものであるならば、米国政府はもはや戦争=軍需産業で金儲けなどしないはずだが、現実はどうだろう? 


 http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html


 オバマ氏がひとりの人間として発言しているのであればそれは最もな声と思いたいが、氏は米国の大統領として広島を、日本を訪問しスピーチしているということを考慮して彼の言葉をよく読むことが大事だと私は言いたい。

 翻訳文ではあるが、氏のスピーチの内容にはどこかうまく言いくるめようとしているフシが見えはしないか?

 まして、この米国の大統領が、そして米国政府が、本当に「戦争を望んでいない」のであれば、このたび、オバマ氏が自らの黒いブリーフケースの中に忍ばせて持ち歩いていたものなど、必要があるだろうか?


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 核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」とおっしゃる人自らが来日の際、それを持ち込んでいるということは、米大統領のスピーチは<建て前>ということだろう。


 日本人はもっと慎重になるべきだと思う。



 李早