The New York Times September 11, 2001

TODAY'S HEADLINES The New York Times on the Web
Tuesday, September 11, 2001

NATIONAL
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Crowd Beats Truck Driver for Killing a 4-Year-Old

The driver of a truck that accidentally struck a boy in Los
Angeles on Saturday was then severely beaten by a crowd of
more than 20 people.

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Slaying Suspect Is Suicide

Joseph Ferguson killed himself in a stolen car after leading
officers on a 40-minute running gun battle.

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Report Cites Vulnerabilities of Global Navigation System

The Global Positioning System is vulnerable to interference,
the Transportation Department said.

週末にロサンジェルスで4歳の子供を誤ってひき殺したトラック運転手が群集に殴られる。殺人事件容疑者が警察官と銃撃戦を行ったあと盗難車の中で自殺。GPSに干渉トラブルのおきる可能性があると交通局がコメント...2001年9月11日の朝4時に発信されたニューヨーク・タイムズの朝刊ダイジェスト・メールがこんな国内トップ・ニュースをもって伝える「平和」なアメリカ。国際欄にはイスラエルパレスチナ紛争の激化、アフガニスタンでのタリバン反対派の自爆攻撃、グルジアへのウラニウム密輸疑惑の生臭いニュースがあるが、イラクのイの字も見えない。

一昨年からこの日になると、メール・ボックスに残した2001年9月のN.Y.T のメールニュースを見ながら、9.11以前の世界について思いをはせることにしてる。9月11日の後の数ヶ月の間に起ったことを思い出しながら。

ル・モンドは翌々日づけの紙面に、「Nous sommes tous Américains われわれ皆がアメリカ人」と、J.F.ケネディの"Ich bin ein Berliner 私もまたベルリン市民だ"をもじったタイトルの社説をかかげ、アメリカ人に深い連帯を表明した。そして、この日を境に世界が変わったと、事件からしばらくたってから何度も聞かされた。

世界が変わったのでなく、アメリカが変わり、そのアメリカが世界を変えようとするに違いないと自問したものだ。事件から1週間ほどたったある日フランスの小さな村のお祭りにいった際に、主催者の提唱で9.11の犠牲者に黙祷をささげながら、「アメリカ人にならない権利」もあるのではないかと違和感も覚えたものだ。

個人にとって世界が変わる日は一つではない。CNNが何と言おうと、神戸市民にとって世界が変わった日は別にあり、数日前に息子をトラック運転手に殺された親にとっては世界は9月11日より前に変わっていた。パレスチナの住民の多くが世界の変わった日をそれぞれに持っている。またそれは、恋人と別れた日であったり、ペットが死んだ日でさえある。その痛みを誰もが、飛行機の激突したビルが崩れ落ち、人が窓から落ちていくテレビの映像と、等価に交換できるわけでない。

もし2001年9月11日に世界が変わるとしたら、それは、私たち、世界中の多くの人が自分の痛みすらさしおいて、ある特定の日に「世界が変わった」と安易に思い込み、発言するような状態、感性の外部化・政治化の状態に、巨大な国の巨大なメディアの装置の全面的な作動とともに入っていくことだと、その日に引き続く数ヶ月の間ずっと思っていた。感性のCNN化とそのときは密かに呼んでいたが、今やそのCNNもFOXにとって代わられ、その度合いは別のレベルに達した。

アメリカが物理的に世界を変えることに着手し、ヨーロッパ人の連帯心の貯金をあっというまに全部使い果たした今、アメリカ文化に弱い特定の文化圏を除けば、CNNがFOXにとってかわられたことは一方向への感性の回収の危険を減らしたかもしれない。しかしそれはFOX やアルジャジ−ラやBBCやフランス国営テレビによって回収の行き先が分散しただけかもしれないし、ル・モンドを読むことにさえそういう回収はつきまとう。

時事ニュースの紹介を中心にした日記の書き手が言うのも変だが、私にとっては、今日のニュースからプラグを外し世界のできごとを整理しなおす必要性、感性が安易に外部化・政治化されることへの警戒を、3年前の初心に戻りつらつらと思い出す日だ。来年もたぶんそうする。