靖国問題で小沢に踏み絵という図柄

 まあ、予想されたことだ。
 このあたりが簡素によくまとまっている。
 このあたり⇒A級戦犯分祀が靖国の姿・小沢氏、首相参拝を批判 泥酔論説委員の日経の読み方

この小沢氏の考え方は大きな欠陥を抱えています。
論点は次の3つです。
1 戦犯を祀るのが間違いであるのか
2 霊璽簿から名前を消せば戦犯は廃祀されるのか
3 一宗教法人に政治的な介入は許されるのか

 私は、この問題は3だけで終わりだと思う。
 その意味では、靖国神社のありかたには小沢は踏み込めるはずが原理的にないと思う。が、そのあたり、実際の場でどういうコミュニケーションを国民と取るのかについて、小沢はあえて明確にしていない。分祀はしないと公言している程度だ。
 私はこの問題については、福田の認識が正しいと思う。そう言えばネットでバッシングをくらうだろうが、靖国神社の独立性について異論はないよ、誤解なきよう。
 っていうか、私は、キリスト教も仏教も神道も宗教としては信じない。神道の延長に位置づけられた靖国神社はようするに私には神社の一つということ。寺社参りくらいはするよ、日本人だし。ただ、そこに霊魂なりの存在を信じない。ただそれでも、死者たちの約束を国家がどう守るかということと、国家がどう鎮魂するかは課題。
追記
 「鎮魂」というのはレトリック。どこの国でもこうした慰霊的な国家施設を持っているもの。という意味で、普通の国家のそういうものという以上では原理的にはない。