ネトフェミだったら何なの?

 ここのところ、ネットでは「久谷女子同人誌の件*1」と「ルミネCMの件」*2が話題になっていた。どちらも性に関するトラブルで、女性が告発している。
 それらの出来事は、あるときは「フェミニストがわめいている」と言われ、あるときは「フェミニストはこの件は批判していない」と言われた。いつも通り、「世の中が悪いのはフェミニストのせいだ」と思っている人たちの発言がいくつも飛び交っていた。そして、ついには「騒いでいるのは<ネトフェミ>であり、<まっとうなフェミ>を毀損している」という主張まで飛び出した。以下である。

「ルミネCM炎上で見えた「ネトフェミ」とは?」
http://zeromoon0.hatenablog.jp/entry/2015/03/22/173113

 上の記事のブックマークコメントでも言われているが、こうした「フェミ擁護」に見せかけた女性差別は繰り返し行われてきた。かつては「フェミナチ」という言葉が浸透していたくらいだ。これらは、性差別を告発する女性を、「俺が認めてあげる良いフェミニズム」と「悪いフェミニズム」に分断していい気分になる方法である。フェミニズム側にすれば、こうした観客席から高みの見物をしている人間こそが、批判の対象となる。すなわち、フェミニストとして撃つのは、「悪いフェミニズム」ではなく、上の記事のid:zeromoon0さんである。
 zeromoon0さんに欠けているのは、おのれもまた性差別構造に組み込まれた抑圧者だという認識である。フェミニズムが繰り返し批判してきた点でもある。zeromoon0さんは、次のようにセクハラの問題を説明する。

この過度な謝罪要求(筆者注:CM批判者らによるルミネへの謝罪の要求)の背後には、やはりこういったセクハラが当たり前のように存在している現実が見え隠れします。CMの男性社員のようなことを実際に言われた人は多いのでしょう。実社会ではたとえそのような状況になったとしても不快感など表明できませんし、下手をすれば「冗談が通じないなんてキツイぜ」と不快感を示したほうが悪者にされてしまいます。そういったやり場のない怒りの矛先がたまたまルミネのCMにぶつけられたと考えるのが自然だと思います。彼女たちに謝るべきは実際にセクハラをした加害者なのですが、それはできない相談なので代わりに叩いても悪者にしないルミネを叩いているわけです。さぁ、本当に悪いのは一体誰なんでしょう。

上のセクハラ理解はまちがっている。日本語における「セクシャルハラスメント」という概念は、1992年の福岡事件を機に一気に広がった。福岡事件では、職場の男性上司から性的な嫌がらせをされていた女性が、フェミニズムを中心とした被害者の弁護団ともに、被害を告発した。このときに、性的嫌がらせの背景には、性差別があることが明確に主張されたのだ*3。すなわち、セクハラ被害者が、告発・抵抗できない背景には性差別があるということだ。従って、zeromoon0さんのいう「本当に悪いのは一体誰なんでしょうか」の答えは、フェミニストとしては、性差別構造に日々加担している「あなた(zeromoon0さん)」だということになる。そして、<本当の>セクハラの問題解決とは、性差別の解消である。
 当然ではあるが、<本当の>セクハラの問題解決は簡単ではない。小さな積み重ねの上に少しずつ見えてくるゴールだろう。たとえばそれは、セクハラを告発することかもしれない。セクハラを正当化するメッセージ(ルミネのCM)を批判することかもしれない。もっとセクハラという言葉が出てくる以前の、日々の性差別をなくす取り組みかもしれない。また、zeromoon0さんのように「セクハラ告発の重圧を被害者は負うべきだ」とする主張を批判することかもしれない。そうした地道な積み重ねが<本当の>セクハラの問題解決への至る道である。
 性差別・性暴力の告発がいつも正しいわけではない。批判を受けることもあれば、誤りや歪曲があることもある。不当である場合は、丁寧にどこが間違っているのかを批判しなければならない。その労を惜しんで「あいつらは<ネトフェミ>だ」ということは、何の意味もない。どこかに悪いフェミニストがいるのではない。私たちは、性差別や性暴力のある社会を生きていて、その告発はとても難しい。それだけのことだ。
 また、告発者を批判する言葉が、性差別を含んでいることもよくある。上で挙げた久谷女子同人誌の件でも、女性が性経験が多いことを理由に、発言の信頼性を毀損しようとしている人たちが数多くいた。私は発端の性に関するトラブルの真偽はわからないが、告発している女性が、どのような性格で、どのような性経験をしてきていても、性暴力は起き得るし、それを理由に発言の信頼性を毀損するのは、セクハラだと考えている。告発も難しいが、告発を批判するのも難しいのだ。
 私は、ここ数年はフェミニズムの活動からは距離があるし、大学院での研究で精一杯で、「フェミニスト」であるという自己定義も頭にないことが多い。それでも、「ネトフェミ」だと呼ばれるのは構わない。いつだって、フェミニストは気分の悪い言われ方をするものだ。その覚悟をしてフェミニストになったのだから、今更、ラベルが一枚増えてもどうということはない。ただし、ネトフェミだと言ってきた論者に対しては、それなりに批判を加えようと思っている。

職場の「常識」が変わる―福岡セクシュアル・ハラスメント裁判

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追記

お返事頂いているので、こちらからも返信しています。

「バラの花束を贈ることも暴力になる」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150323/1427092166

*1:プロの女性ライターたちが「ある女性の性に関するトラブル」を、同人誌紙面上で面白おかしく取り上げた件。女性から告発があり、同人誌製作側は謝罪した。 https://www.facebook.com/kutanijoshi/posts/969832899695379

*2:CMの内容と批判をした発端の記事→http://pokonan.hatenablog.com/entry/2015/03/20/000637

*3:念のため付記しておくが、この福岡事件を告発した女性は、のちに弁護団フェミニストたちを批判している。詳しくは晴野、宮地などを参照

バラの花束を贈ることも暴力になる

 下の記事について、id:zeromoon0さん*1からお返事があった。

「お手紙」
http://zeromoon0.hatenablog.jp/entry/2015/03/23/142325

前半では、私の主張に賛同してくださり、表現が不適切であったことを陳謝してくださった。誠実な対応をしていただいた。
 後半では、以前の記事に欠けていた具体的な批判部分について言及されている。zeromoon0さんは、CM批判の一例を挙げて、客観性に欠けているとの指摘をしている。元のCMの動画は削除されているため、実際に視聴した私(font-da)が記憶を頼って書きおこししておく。

朝、あるオフィスビルに、男性社員と女性社員がいっしょに出勤している。男性は上司らしく、女性は部下らしい。二人は忙しそうに歩きながら話をしている。男性社員は「顔が疲れてる、寝てないの?」と尋ねる。女性社員は眉をひそめて「普通に寝ましたけど」と答える。それに対して、男性社員は笑いながら「寝てそれ?」と言う。

 この箇所について、CM批判記事を書いたid:pokonanさんはCMをキャプチャした画像をつけながら、次のように書きおこしている。

そこに上司らしきメガネ男が登場。
こいつがセクハラを連発する。

いきなり、「顔が疲れてる、寝てないの?」と失礼な発言。
女性が「普通に寝ましたけど」、って答えると、なんと「寝てそれ?www」、と小馬鹿にする。
http://pokonan.hatenablog.com/entry/2015/03/20/000637

この書きおこしに対して、zeromoon0さんは次のように批判する。

この記述(筆者注:pokonanさんによる書きおこし)だけ見ると、「顔が疲れている」という言葉だけならセクハラにあたりません。それならば男性は下手にいたわりの言葉をかけられなくなります。「需要が違う」などの発言はセクハラにあたると思いますが、この第一声でセクハラと断じるのは偏った意見であると思われます。また男性の台詞の抜出には「ww」という相手をバカにしたスラングが表記されており、最初から客観的な視点で論じる意図を感じません。
http://zeromoon0.hatenablog.jp/entry/2015/03/23/142325

 確かに、私の書きおこしに比べると、pokonanさんの書きおこしは、感情を煽るような文章になっている。私の書きおこしが「できる限り主観を排した表現」であるのに対して、pokonanさんの書きおこしは「主観を前面に押し出した表現」である。では、私の書きおこしの方が、pokonanさんの書きおこしより「真実」を描いていると言えるだろうか。そうではない。以下で二点に分けて説明しよう。
 まず1点目だが、今はルミネのCMの動画は削除されてしまったが、pokonanさんが記事を書いた時点では、まだ自由に閲覧できる状態だった。pokonanさんは、記事の冒頭で「これがそのCM動画。とりあえず、みてほしい。」と書き、動画のリンクの埋め込みをしている。つまり、自分の書きおこしを読む前に、読者に実際にCMを見るように促しているのだ。すなわち、pokonanさんの解釈を伝える前に、読者自身に解釈できる余地を作っている。そのため、上の書きおこしは、pokonanさんの解釈を刷り込むものではなく、読者に提起するものだと言える。
 次に2点目だが、実は性に関する暴力で最も重要なのは「主観」である。セクハラも含めた、性暴力、DV、ストーキングなどは、顔見知りや親密な関係の中で起きることが多い。こうした暴力の特徴をうまく捉えた「バラの花束を贈る事だって相手を支配するための道具になり得る」という言葉がある。以下に引用する。

DVの本質は、一方のパートナーによる他方へのコントロール・支配です。 「殴る、蹴る」などの身体的な暴力はその手軽な道具ではありますが、口で非難するのも挑発するのも物を隠すのも家から出るのを許さないのも身体的な暴力と同じく支配の道具です。 誤解を恐れず言えば、セックスに応じるのも応じないのも、浮気をするのもさせないのも、さらにはバラの花束を贈る事だって相手を支配するための道具になり得るのです。 DVとは、こうした個々の行為の相互連関によってどのような人間関係が築かれるかを指している言葉であって、個々の暴力的な行為そのものの総称ではありません。
macska「DV理論の最前線から2 」
DVの定義が「パートナーへの暴力」ではない理由
http://www.macska.org/emerging/dv02-definition.html

 以上の解説のように、本来ならば「相手を喜ばせること」であるはずの「バラの花束を贈る」ことで、相手を傷つけ苦しめることができるのがDVという暴力の特殊性だ。そこだけ取り出してみれば「いいこと」なのに、支配関係の中では「暴力」になる。だから、DVの問題を扱う時には「したこと」「されたこと」だけではなく、両者の関係性がどのようなものであるかを、文脈として捉えなければならない。
 私はDVだけでなく、他の性に関する暴力でも、同じようなことは起きると考えている。ある男性からは「嬉しい褒め言葉」が、他の男性からは「差別表現」になる。それは、しばしば揶揄的に「イケメンかどうかで、セクハラかどうかが決まる」と言われることがある。だが、問題は容姿ではない。両者の関係性だ。多くの人は、親しい友人から誕生日のお祝いメールをもらうと「嬉しい」と思うが、聞いたこともない通販業者からから同じメールをもらうと「どこから生年月日の情報が漏れたのか」と不安になるだろう。私たちは、多くの行動を文脈に即して理解している。性に関する行動の場合は、極めてその文脈依存度が高くなる。
 では、上のCMの話に戻ろう。男性上司は「顔が疲れている」と声をかけている。この部分だけであれば、もしかすると、zeromoon0さんが解釈したように、上司は「寝不足を心配をした」と解釈をできるかもしれない。だが、CMの後半では、zeromoon0さんも認めているように、男性上司はセクハラにあたる発言をしている。そして、この会話は特殊な非常事態ではなく、日常の繰り返される光景として描かれている。すなわち、男性上司から、女性社員へは繰り返しセクハラが行われる関係だと類推される。その文脈に当てはめてれば、pokonanさんが「顔が疲れている」という男性上司の言葉を、「心配している」のではなく「小馬鹿にしている」のであって、セクハラだと断じた解釈も理解できる。むしろ、文脈に応じてセクハラが繰り返される関係を見抜き、女性の主観に即してセクハラだと解釈したpokonanさんの書きおこしは、「真実」を言い当てているともいえる。すなわち、客観的を排することではなく、主観に沿うことが、セクハラでは重要だということだ。*2
 以上の二点により、pokonanさんの書きおこしは不当なものではないと私は判断する。よって、zeromoon0さんの主張には賛同しない。
 それに加えて、はたしてzeromoon0さんは客観的な姿勢で、この問題に取り組んでいるのだろうかという疑問があるpokonanさんのルミネのCM批判に対して、zeromoon0さんは以下のように書いている。

何故このブログがそんなことをするかというと、「お金儲けのため」です。本人が「ブログでお金儲けしたい!」って言っているので、間違いないと思います。もし純粋にジェンダー問題を訴えたいのであれば、人を焚きつけて煽るような記事を書くことはないと思うのです。ちなみにこのブログ、よく読むとジェンダー関係が強いですが学歴コンプ、地方コンプも顕在していて万遍なく「弱者の僻み根性」を演出していて、「もし増田に書いてあれば釣り認定間違いなし」レベルの炎上記事がたくさんあります。
http://zeromoon0.hatenablog.jp/entry/2015/03/22/173113

 上の文章だけ取り出しても、「ブログでお金儲けをしたい」ことと、「ルミネのCMをセクハラであると批判する」こととは、論理的に連関がない。そして、「人を焚きつけて煽るような記事」と断じているが、上で述べてきたようにpokonanさんの記事は、不当なものではない。さらに、具体的な例をあげずに「弱者の僻み根性」と書くことも中傷にあたる。また、他の箇所では、zeromoon0さんは「それはヤクザの恫喝と一緒」「コンプレックスに付け込んだ商売」「修羅の道を行きたければどうぞ」といった攻撃的な言葉をちりばめて記事を書いている。他方、「少しでも怪しい情報や過激な言説はデマの可能性もあるので「見ない・触れない・拡散させない」を合言葉によりよいネットライフを送りましょう」とも言う。だが、zeromoon0さんの記事の言葉尻をとらえれば、十分に「過激な言説」とも言えるだろう。少なくとも、穏やかで客観的な記述以外の、煽りが入っている。
 もちろん、私がpokonanさんの記事を分析したように、zeromoon0さんもまた、主観に即して、客観とは違う「真実」を明らかにしようとしたと言えるかもしれない。だが、この場合、zeromoon0さんは客観的ではなく、主観的であるという前提に立つ。そのため、自分がpokonaさんを批判した言葉が、ブーメランのように帰ってくる。zeromoon0さんは次のように書く。

もしフェアでない状況も容認した状態で差別を解消するのがフェミニストの使命であるのであれば、自分はフェアな状態を勝ち取る差別主義者でいいです。
http://zeromoon0.hatenablog.jp/entry/2015/03/23/142325

 何をもって「フェア」とするのかはわからない。しかし、公正中立の立場にたつならば、zeromoon0さんの主張には一貫性がなく、正当性がないということになるだろう。そのまま、差別を続けるならば、それは不当なことである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150323/1427073197

*2:ちなみに、こういうことを書くと「何がセクハラかが主観で決まるのは怖い」という人が必ずいる。私はセクハラは「完全になくす」のではなく、「告発されたときに真摯に対応する」ほうが良いと思う。人間関係ではすれ違いはあるものなので、「告発→是正する」ことを繰り返すほうが現実的だ。次に、性に関することは、誤解が起きやすいので、できる限り、職場等では口にしないほうがいいと思う。相手の容姿や体調に関するものも、慎重になったほうがいい。多くの人は、そこまで職場等では個人的な関わりは求めていないだろうし、もし親密になりすぎて距離が近すぎれば離れるように心がけたほうがいいだろう