富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2015-09-27

農暦八月十五。中秋。朝からの外仕事済ませ夕方、大坑で宴会あり末席汚す。中秋の宵夜は大坑で伝統的な「火龍」お練りあり通り道は道路封鎖され晩七時半だかからの催事に一時間前から人混み。香港に四半世紀ゐて一度も見てをらず今晩なら良機だが人混み嫌ひ早々に退散。帰宅して岩波『世界』昨年九月号読む。日没後まで空は曇つてゐたが晩遅くマンションの裏から空を見上げると中秋の名月輝き暫し愛でる。
▼六代目田之助芸談(季刊誌「かんだ」平成27年春号)より。五代目の息子で昭和16年に祖父・宗十郎が政岡役の先代萩で鶴千代役が初舞台。子役仲間が錦之助、橋蔵に九代目三津五郎。舞台には十五代目、仁左衛門12、幸四郎7、六代目、三津五郎7、歌右衛門5に吉右衛門とずらり名役者並ぶ時代。幼い頃から相撲に詳しく同じ相撲好きの六代目に可愛がられ双葉山64連勝で負けた一番も六代目と升席で見てゐたといふ逸話は有名。六代目亡くなつたあとは梅幸に可愛がられ、もう一人田之助が忘れられないのが大成駒だといふ。尾上役の芝翫が急病で休演と決まり夜中に永山社長直々に田之助に電話入り明日の尾上代役と言はれ岡本町まで「これから教はりに行ったら?」って夜中に押しかけて怒られるよりは、とビデオ見て台詞覚へ翌朝、稽古なしで開演。それを大成駒に「あんた、よくやったわねぇ。はやく家へ帰ってビール飲んで寝ちゃいなさい」と褒められたといふ。で本当にビール飲んで寝てゐると夜中に大成駒からの電話に起こされ「とても良かったけど泣きながら手紙読むところだけは良くなかった、今から私が教へてあげる」と電話口で全部、台詞を演じてくれたといふ。いろ/\厳しいところのある方でしたけど、そのぶん素晴らしい方でもありました、と田之助。ちなみに、これは芝翫の尾上は一度きり?で1989年5月の歌舞伎座なら、これはアタシも見てゐる。昼の部の最初がこれで田之助も出てをり(求女役)團十郎の岩藤も成田屋らしさ。続いて梅幸の藤娘もあり先帝崩御から数ヶ月で「これはいゝかしら?」の強烈。夜の部に摂州合邦辻で大成駒の玉手御前あり。田之助の話によれば大成駒は夜の部だけなのに朝イチで田之助代役の尾上をご覧になつたことになる。そしてアタシが見た大成駒はこの玉手御前と最後が1995年4月歌舞伎座の沓手鳥孤城落月で淀の方のはず。
▼安保法制「私は絶対反対」と聖路加の日野原重明先生(こちら)。