富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-12-24

農暦十一月廿六日。本日はクリスマスイヴの土曜日。官邸で残務整理。創刊40周年となつた『香港街道地方指南』の1977年創刊版舊圖選輯を入手。まさに垂涎で眺め入る。夕方、蘭桂坊の上を通つたら未だ人通りほとんどない一帯に警察がすでに今晩のご乱痴気騒ぎ対策で警戒準備中。焼鵝の一樂は一碗の焼鵝荑粉啜るためにとんでもない行列。こゝもまた静かなFCCのバーで早酒二杯。帰宅してNHKで「動物の赤ちゃん」見ながらお好み焼き。昨晩に続き雑誌や読みかけの本いくつも目を通す。
毎日新聞が「おことば案 昨秋官邸に」と一面トップ。宮内庁長官(更迭の風岡氏)が官邸に文書で示し天皇誕生日に合はせた公表打診したが当時は今年夏の晋三ら衆参同日選を検討してゐたやうな事情あつてか、この件は流される。それでも、すでに2010年の宮中の参与会議では天皇から80歳での退位の意向も出されてゐたが動き出したのは昨年(2015年)になつてからで、そもそも宮内庁の対応も悪いと政権や晋三色のついた「有識者」会議関係者は反論するところ。更にこの記事で興味深いのは内閣法制局の関係者の話として宮内庁は昨年、このお言葉原案を官邸に提示する前に内閣法制局に「水面下で相談があった」といふ。本来は宮内庁から官邸、官邸から法制局のはずだが明らかにルール違反。それに法制局もトップの横畠某が晋三系なのだから宮内庁の動きなど即、法制局長から官邸へ、と思ふが、この関係者曰く「首相の支持層に潰されてしまうことを恐れ、正面から持ち込めなかったのだろう」。政府が典範をいぢらず特例法で今上様だけに、と決めたら、それに抵するかのやうに天皇の「内閣と相談した」発言や、あれこれ裏話のリークが続くこと。
▼晋三と小浜馬樂師匠との年末の真珠湾訪問。結局のところ晋三が就任前のトランプにすり寄つたことで小浜現政権の不愉快収めるため慌てて日米間で組んだ、とつてつけた協調企画。政府も「現職初」と強調してみせたが読売新聞の報道で1951年に吉田茂が報恩してゐたといふ。さらにハワイの日系紙『ハワイ報知』が現職時代の鳩山一郎(1956年)と岸信介(1957年)に訪問してゐると指摘。当時の太平洋航路ではハワイ立ち寄りは当然か。
▼行政長官CY梁が来春までの任期中最後となる上京での奏上。習近平から香港の一国両制体制の維持つまり港独派などゴミをよく片付け……と(それだけか)お褒めの言葉。
▼香港の文化エリアとする漠然とした計画だけの「西九」に今度は故宮博物館の計画浮上。台北に多くの財宝移り北京だつて品薄のところ何を考えてゐるのか。大江戸温泉物語なる施設のニセモノが上海に出現と話題になつてゐるが、この香港の故宮博物館とて出来たら立派な山寨ぢゃないか。