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吉田茂

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社会

吉田茂

よしだしげる

昭和期の政治家。元総理大臣

1878年(明治11年)9月22日、土佐自由党の志士・竹内綱の五男として誕生。生後間もなく、実業家・吉田健三の養子となる。

1906年外務省に入省して以来、戦前は外交官として活躍。1936年(昭和11年)、外務省同期である広田弘毅内閣組閣時には、外相・書記官長の候補にあがるも陸軍の反対で実現しなかった。

終戦直後1945年9月、東久邇宮稔彦内閣外相に就任、続く幣原喜重郎内閣でも留任した。翌年5月、自由党の党首に迎えられ、第一次吉田茂内閣を組閣(第三次吉田内閣任期中の52年に岡崎勝男にその座を譲るまでは、外相を兼任)。以来、芦田均片山哲内閣を挟んで、5期、通算6年2ヶ月(2616日)にわたって首相を務め、戦後復興に尽力した。51年9月にはサンフランシスコ講和条約とともに日米安保条約に調印している。

1953年3月の内閣不信任案を受けての衆院解散(いわゆる「バカヤロー解散?」)の際には、反吉田派の筆頭・鳩山一郎を中心とする分党派自由党が結成され、自由党は分裂。鳩山らは同年11月に一旦は復党するも、翌54年11月には日本民主党を結成した。その直後の同年12月、吉田内閣日本民主党と左右社会党からの内閣不信任案を受け、総辞職する*1。しかし吉田は総理を退いたのちも死ぬまで政界に影響力を持ち続けた。

1967年10月20日死去。死後、戦後初の国葬が行なわれた。

長男は英文学者の吉田健一

*1:その後、1955年11月に自由党日本民主党は合流し、自由民主党が結成された。

社会

吉田茂

よしだしげる

明治〜昭和期の内務官僚政治家1885年大分県生まれ。1954年死去。

1937〜46年、貴族院議員に勅撰。その間、米内光政内閣の厚相(40年)、小磯国昭内閣の軍需相(44〜45年)を歴任した。

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吉田茂

よしだしげる