京阪神遊覧日記・その2 すばらしき関西私鉄

以下、二週間遅れの遊覧日記。その1(id:foujita:20080622)の続き。


土曜日の夕刻、堂島アバンザのジュンク堂に長居し、堂島界隈の定宿(といっても泊まるのは今回で二度目)に手荷物を置いたところで、おっとこうしてはいられないと、ソワソワと「阪急古書のまち」へと出かけた。大阪駅前の歩道橋を渡るとき、眼前に阪急百貨店の建物が見えてくると、いつも「ああ、大阪にきたなア!」とフツフツと嬉しい。「阪急古書のまち」に向かって突進する途中、適当に歩いているのに、いつも必ず、遠目からも満員電車状態なのが見てとれて入店の意欲がとんとわかぬ紀伊国屋書店の前を通る。そして、その横の大スクリーンにはいつも宝塚歌劇関連の映像が映し出されている。「おっ」といつも思わず立ち止まってしまうのだけれども、しかし、スクリーンの前に立ちすくんで映像を見つめる、というようなことをしたら、宝塚ファンだということが通行人にバレてしまうので、待ち合わせをしているふうに装い、手持無沙汰なためになんとなく画面に見入っているのだ、というポーズをしながら、スクリーンにしばし見入ったところで、おっと、こんなことをしている場合ではないと、「阪急古書のまち」へ向かって再び歩く、と、ここを通りかかるたびにいつも同じ行動をしてしまうのだった。


翌日曜日、いよいよ今日はひさしぶりに阪急電車に乗るのだ、こんなに嬉しいことはないッと大興奮しながら、阪急梅田駅へと突進。昨日と同じように、歩道橋からの阪急百貨店の眺めに大喜び。阪急梅田駅へと突進する途中、適当に歩いているのに、いつも必ず、動く歩道を通る。この動く歩道では、いつも必要以上に競歩してしまうのはなぜだろう。阪急梅田駅にたどりついて、気もそぞろに切符を買い、改札を通り、ホームへと足を踏み入れると、いつもしょうこりのなく大興奮(いいかげんにしろと自分でも思うけれども)。いつもながらに、阪急梅田駅の眺めはなんと壮観なことだろう! と、興奮のあまり、動物園のクマのように、ホームを行ったり来たりして、すっかり挙動不審者と化してしまうのだった。と、ひととおり興奮したあとで、いよいよ三宮行きの各駅停車に乗り込むのだけれども、しかし、電車が出発したあとも、しょうこりもなく興奮は続く。阪急電車が淀川をわたる瞬間のなんと見事なことだろう。各駅停車は中津駅に停車するけれど、梅田駅をほぼ同時に出発した隣りのどこぞや行きの阪急電車中津駅は通過する。と、淀川を渡る鉄橋ではほぼ並走していたけれども、中津駅でゆるやかに追い抜かれてゆき、次は十三。ここで阪急電車は三つ又に分岐してゆく。……というような、梅田を出発し、しばらく並走していたかと思ったら中津で追い越したり追い抜かれたりしたあと、十三でそれぞれへの目的地へと分岐してゆく、このゆるやかな流れはまさしく、なにか心地よい音楽のよう。阪急電車の十三までの行程は、荘重なシンフォニーの序奏そのものなのだ。などと、自分でもなにをそんなに興奮しているのか謎なのだけれど、梅田から阪急電車にのって十三に至るまでの時間がたまらなく好きだ。


芦屋川駅で下車して、長年の懸案だった滴翠美術館(http://tekisui-museum.biz-web.jp/)を見物。京焼と楽焼の展示に見入って、誰もいない展示室でのしずかな時間がとてもよかった。昭和7年建立の「阪神間モダニズム」建築での時間を大いに満喫。芦屋川をゆっくり歩いて、阪神芦屋駅に到着。駅前の「よしむら珈琲店」でひと休みして、谷崎潤一郎記念館(http://www.tanizakikan.com/)へゆく。特別展《谷崎潤一郎と画家たち 作品を彩る装丁と挿絵》展を見物する。内田巌の《谷崎潤一郎肖像》(昭和21年)だけが目当てといっても過言ではなかったので、それを眼前で見る瞬間は格別だった。横に、南禅寺下の「前の潺湲亭」の室内における谷崎を写した写真があって(昭和21年4月撮影)、ピアノの上にその内田巌肖像画が飾られているのを見てとれて、ジンと感激。と、ここで、内田巌展の図録を買いに、小磯良平記念美術館(http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/koiso_museum/)へ足を伸ばさねばとメラメラと思う。外に出て、前に来たときと同じように、小出楢重のアトリエ復元の内部でジーンと長居。



小出楢重《芦屋風景(仏教会館)》1927年頃(芦屋市立美術博物館蔵)。図録『小出楢重の素描 小出楢重谷崎潤一郎』(芦屋市立美術博物館・芦屋市立谷崎潤一郎記念館、2000年発行)より。この図録は、谷崎記念館に初めて来たとき(id:foujita:20050718)に買ったもので、当時は衝動買いだったけれども、買って大正解だった。立派な造本で値段は2000円と、コストパフォーマンス的にもグッド。INAX ギャラリーの《肥田せんせぃのなにわ学》展にて展示の肥田晧三先生の書棚にこの本が並んでいるのを見たときはとても嬉しかった。


阪神芦屋駅に向かって歩くべく、ふたたび芦屋川沿いに出てみると、目の前に連なる山並みに陶然。先ほど、谷崎潤一郎記念館に向かっているときは、背後にこんなに見事な山並みがあったなんて、気にかけてもいなかった。先ほどは海に向かって歩いていて、今度は山並みに向かって歩いてゆく。芦屋川沿いを歩く、ただそれだけのことが、たいへん格別なのだった。またここを歩く日が来るといいなと思う(今度はもうちょっと涼しい日がいいなと思う)。


阪急電車と同じように、阪神電車も乗るたびにいつも大はしゃぎ。大阪へ向かうときは、阪神電車を心ゆくまで満喫しようと各駅停車に乗ったものの、途中駅で何度も何度も急行電車に追い抜かれてゆき、観光客にあるまじき時間のロスをしているという事実に遅ればせながら気づくのだったが、まあしょうがない、車窓を満喫しようではないかと、いろいろと凝視。尼崎の大きなガラス工場の前に木造の古い建物が軒を連ねているのがなんだか独特でよかった。と、この尼崎で下車して、「西大阪線」に乗り換える。愛用の「でっか字まっぷ 大阪24区 昭文社」に掲載の鉄道路線図を眺めているうちに、なぜだか急に「西大阪線」に乗ってみたくなったのだった。前に、阪神電車に乗ったとき、「大物駅」の存在にたいそう心が躍ったものだった(歌舞伎でおなじみの地名なので)。当初の予定では、大物で下車してみたあとで、西大阪線に乗る予定だったのだけれども、各駅停車ですでにだいぶ時間のロスをしていたので、今回はあきらめる。


今度来るのは、西大阪線は難波まで伸びている頃かな、たのしみ、たのしみと、終点の西九条でJRに乗り換えて、京橋へ。ここで、京阪電車に乗り換えて、京都へ向かった。もはや、京阪電車に乗りたいがためだけに京都に行くのだった。関西に来るたびに、関西私鉄に燃えてしまって、毎回無駄に移動ばかりしている。


と、京阪電車の特急に乗り込んで、普通料金なのにボックス席! という、いつもながらの京阪電車の歓びで胸はいっぱい。窓際の席に座って車窓を楽しんでいると、どこからかラジオの音が漏れているような音がするので、何事かと思ったら、なんと前方にはテレビが設置されているのだった。これがかの有名な京阪電車のテレビ車両か! と心のなかで大いにどよめく。なんて、実はテレビを見るという習慣が皆無なため、ありがたくもなんともないのだけれども…。京阪電車でも車窓を満喫。初めて京阪電車に乗ったのは京都から大阪に向かうときで、落語の『三十石』そのまんまの行程にたいそう心が躍ったものだった。今回も「中書島」を通過する瞬間が一番嬉しかった。とかなんとか、ひさびさの京阪電車を心ゆくまで満喫できてよかった。残念ながら二階建て車両には乗り損ねてしまったけれども。


京阪電車三条駅で下車。阪急で四条の雑踏のなかに降り立つよりも、京阪電車を三条で降りて、鴨川の上にかかる橋を渡ってゆく方が好きだ(これがかの有名な「鴨川のカップル」か、と思いながら)。いつものとおりに、寺町通りに出て三月書房で長居したあとは、いつものとおりに村上開新堂でロシアケーキを買った…と言いたいところだったけれども、村上開新堂は日曜日は休業で、がっくりと肩を落とすのだった。と、寺町通りのあとは、いつものとおりに六曜社の地下のカウンター席で珈琲を飲んで、ひとやすみ。買ったばかりの、『畔柳二美 三篇』EDI 叢書12(2005年5月発行)を読みふける。日本近代文学館編『文学者の手紙7 佐多稲子博文館新社asin:4891779977)で読んだ、畔柳二美宛ての稲子さんのお手紙があまりに素敵だったので、がぜん畔柳二美が気になったのだったけれども、EDI 叢書で出ていたのを今までずっと見逃していて、うっかりしていた。三月書房に出かけた折に買えるといいなと思って、今日に至っていたので、目論見どおりに三月書房で買うことになって、本当によかった。巻末の年譜(竹内栄美子編)によると、畔柳二美の戦死したご主人は阪神電鉄勤めで、昭和12年から応召された17年まで夫妻は出屋敷に西宮と、阪神沿線に住んでいたという。と、ただそれだけのことだけれども、阪神電車に乗ったばかりというタイミングで目にして、なんだかとっても嬉しかった。


六曜社で本を読む京都の時間は格別だなあと機嫌よく外に出ると、そろそろ日没。せっかくなら一養軒あたりで一杯飲んでいきたいところだったけれども、明日からまた新しい一週間が始まる、なるべく早く家に帰った方がよさそうである、ということで、新幹線で食べるお弁当をみつくろうべく、ズンズンと歩を進めるのだった(今回は和久傳の鯛寿司を買った)。




今竹七郎による「明治チョコレート」の新聞広告(昭和10年)。1935年産業美術振興展第1席商工大臣賞受賞作品。『グラフィックデザイン、モダン絵画の先駆者 今竹七郎とその時代』誠文堂新光社asin:4416603010)より。今回の大阪行きでは、ずっと機会を逸していた高島屋史料館(http://www.takashimaya.co.jp/corp/info/library/index.html)に行くことができた。旧松坂屋大阪店のモダン建築。大阪高島屋といえば、昭和5年、今竹七郎が高岡徳太郎の後任で神戸大丸から大阪高島屋の宣伝部に転職、というくだりに前々から興味津々だったのだけれども、そのあたりの詳しい展示はなく、残念であった。しかし、「ローズちゃん(http://www.takashimaya-sin.com/jp/rosedoll.html)」の前身である、昭和34年秋に考案されたクリスマスセールの装飾用の人形の「ハッピーちゃん」が包装紙のバラ同様に高岡徳太郎の考案だったと知ったのは収穫だった(「ローズちゃん」の直接の設計者は遠藤松吉)。と、数々のローズちゃんに和んだ高島屋史料館であった。キャー、プリティー




「酒」昭和25年10月号(第1巻第2号)、酒の友社発行。表紙画:伊志井寛。ある日のキントト文庫でふたりと買った古雑誌。この号に、古海卓二の「河童供養」と題したエッセイが掲載。「西ノ宮のえびす神社」に、《灘の酒屋が、仕込の儀式に使う、水を授けて貰うので、出来上がりの初穂を寄進する》というようなくだりが、遊覧のあとで読むと格別なのだった。

 私が、京都の映画会社にいた時分、よく灘にロケーションに行ったものである。灘には有名な醸造元の蔵が軒を並べていて、時代劇の撮影には打ってつけであった。
 度々行くうちに、蔵男の富さんと言うのと懇意になり、撮影が終ると、待ち兼ねて、冷で一杯ふるまってくれる。コップのふちに、ねっとりとして、コクのあるうまさが臓腑をよぢって通る。
 これがほんとの、灘の生一本だな。と言うと、いいえ違いますよ。生一本と言うのは、そんなこっちゃありませんよ。醸造元が蔵出しをするとき、樽のタガをずらして、小さい穴をあけ、味ききをするのですが、その跡に杉箸を打込んで、元の通りにタガを直す。そうして酒蔵を出す樽は、問屋でも味ききをされて、また一本。おろし屋でやって、また一本。と言った具合に、木を打込む数がふえて来る。き一本というのは、其処から来たんで、蔵出しのまま。と、言う意味ですよ。と教えられた。

映画にまつわるあれこれを思いながら、京都と阪神間をゆっくりめぐるということをいつかしてみたいけれども、いつになるかな。京都に行くたびにかなりの頻度で出かけている等持院には、今回は行き損ねた。嵐電に乗りたい。