Kindle版もあります。
2009年、アメリカのNASAで行われた対談をきっかけに交流がスタートした野口さんと大江さん。野口さんは三度の宇宙飛行体験をもつ。大江さんは『WBS(ワールドビジネスサテライト)』のメインキャスターとして活躍してきた。だが、順風満帆に見える2人にも、悩み・葛藤・挫折があった……。宇宙飛行士として、キャスターとして何を感じ、どう生きてきたのか。ストレス、人間関係から宇宙体験、そして組織のあり方までを語り合う。
宇宙飛行士の野口聡一さんと、アナウンサー・キャスターとして活躍されてきた大江麻理子さんの対談本。
ちょっと意外な組み合わせのような気もするのですが、大江さんが野口さんに取材をしたのがきっかけで、野口さんの宇宙を題材にした配信動画に大江さんが出演していて、これまで何度も対談をされています。
野口さんといえば、宇宙に3回も行っている「レジェンド」だし、大江さんは『モヤモヤさまぁ~ず』から『ワールドビジネスサテライト(WBS)』まで、多彩なジャンルで視聴者に愛されている好感度の高い人なんですよね。
このふたりが「自分の弱さを知る」なんて、勝ち組のウイニングランみたいなトークじゃないの?と斜に構えながら読みました。いや、野口さんも大江さんも好きだから読んだんですけど。
読んでみると、人類のなかでも選び抜かれた知性と体力と協調性をもっているはずの宇宙飛行士や、バラエティ番組からビジネスニュースまでそつなくこなしているキャスターでも、人生ってそんなに簡単なものじゃないんだな、と感じます。
野口さんは、2度目の宇宙滞在からの帰還後、「燃え尽き症候群」のようになって、なかなかモチベーションが上がらない時期があり、所属する組織での上司との折り合いも悪くて、結局、組織を離れる道を選んだし、大江さんも、良い番組をつくるために予習を欠かさず、自ら取材にも出かける生活で、体調を崩し、働き方を見直されています。
野口聡一さんは、1965年生まれですから、僕より少しだけ年上です。僕が小学校に入ったときに、中学生だった、というくらいの年齢差。おそらく、これまでの人生での「社会の空気の変化」の感じかたも近いはずです。
野口さんは、「成長はいいことである。そのためのプレッシャーもいいことである。だからプレッシャーは必要である、という三段論法のようなもの」が社会にあって、それで自分たちは伸びてきた面もある、と。
そして、これまでの60年の人生での経験を踏まえて、あらためて、「成長って本当に大事なことなんだろうか、という思いもある」と大江さんに仰っているのです。
野口聡一:本来は自己実現をするため、もっと簡単に言うと幸せになるために僕たちは生きているわけですよね。その幸せのための手段が自己実現であり、自己実現欲求を満たしていくことです。自分としてこういうことをしたいという思いが満たされることが幸せにつながると思っているんですが、成功するために成長しないと、より多くの成果が得られないと思ってしまう。そのためにプレッシャーをかけて成功しようとする。それはつまり勝利するということです。勝利を得るためにはプレッシャーが必要で、勝利には陶酔感、高揚感が伴います。プレッシャーを与えられて、出世競争ないしセールス競争、販売競争のようなものに勝利し、より高いハードルをクリアすることで、より多くの高揚を得ることができるのです。
そうすると、それには終わりがないんじゃないの、と思うんです。一度勝利を得ると、次はそれより多くの勝利を求めるようになります。ギャンブルもそういうものだと言われますね。一度勝つと、同じ勝利ではもう興奮が得られないから、より多くのものを求めて、どんどんスケールアップしていく。勝利の刺激と勝利の成果を求めるサイクルには終わりがありません。すると、身体的な健康、精神的な健康を害してでも、その勝利、つまり成長を求め続けることになって、まさしく追い詰められて、メンタルを崩すことになってしまうのです。
それを克服しながら、僕たちの今の競争社会が成り立っているというのはよくわかっているのですが、それは軍事社会や、会社のような機能社会とまったく同じことになります。その場合の評価軸は外にあって、お金を儲けることであったり、敵軍をより多く倒すことであったり、同期の中で最初に上の階層に行くことであったりします。
このように明確に評価軸が外にあるので、それを克服しようとすれば、そこには競争があって、プレッシャーがあって、ご褒美は勝利の多幸感です。けれども、どこかでこの永遠に続くサイクルから抜け出さないと、もとはといえば幸せになるためにスタートしたのに、手段であったはずの成長が目的になってしまうのではないかと問いたいわけです。
野口さんは、会社がホワイトすぎる、ぬるい環境だからスキルアップできない、という理由で会社をやめる若者たちの話もされています。もちろん、過剰なプレッシャーをかける「ブラック企業」も嫌われるわけで、「『じゃあ、どうせえちゅうねん』というのが、おじさんとしての言い分になるわけですが」とも述べておられます。
大江麻理子:最近、こんな話を聞きました。ニュージーランドという国は、暮らすのにとでもいい環境なんだそうです。自然も豊かで、子育てをするにも最高なのだとか。
野口:人も優しくて、のんびりしているイメージがあります。老後の移住先としても人気ですね。
大江:ただ、そこで育った子どもたちが、最近、失恋で自殺をしてしまうケースがあるのだそうです。
野口:なるほど、失恋があり得ないほどの喪失感になるのでしょうか。
大江:そうなんです。痛みという経験がない。さらに、自分を否定される経験がない。やはり、それはそれで問題だという気がするんです。
野口:つまり、人間としてあまりにひ弱だということになりますね。
大江:とくにネット社会では、きつい言葉を投げつけてくる人もいるわけで、実生活や現実社会で傷つかない生活を送っている中で、突然、自分に鋭い言葉を向けられた時に、果たしてそれに耐えられるかというと、やはり相当耐えがたいものがあるだろうなと思います。いろいろなものがあべこべな気がするんです。表向きには世界は優しくなっているのに、ネットを開くとものすごく厳しい言葉が並んでいるというように。
大江さんや野口さんは、名が知られた人でもあり、ネット上であれこれ中傷された経験もあるのでしょう。お二人とも、世間的な好感度はかなり高いほうだと思うけれど。
僕はこういう話を聞くたびに、人間にとっての「マイナスの経験」の意味を考えてしまいます。
ストレス耐性を上げるために、わざと酷い労働環境に置かれたり、失恋したり、いじめられたりするのはおかしい。
でも、どんな人生にも試練というのはあるはず。
マイナスの経験を活かせる人もいれば、それがトラウマになって後遺症に苦しむ人もいるわけで、「適度なストレス」というのがどの程度なのかも、人それぞれ。
この対談を読んでいると、野口さんも大江さんも、基本的には「自然に努力できてしまう人」で、自分を「成長」させることに喜びを感じられるタイプにみえます。
そのお二人でも、「限界」を感じた経験があり、そのときのことについてもかなり率直にお話をされています。
そして、自分自身のことだけではなく、自分とは違う人間である後輩や後に続く人たちに、どういうふうに接し、どんな経歴を見せていくかについて、悩み続けているのです。
野口さんは、こんな話をされています。
野口:繰り返しますが、一つの組織に所属したまま、やりたいことができる人生もありますし、伝統的な日本人の価値観としてはそちらが正しい生き方と言えるでしょう。けれども僕の場合には、組織をいったん離れることで、異なる役割を並行して行えるようになってうまくいったと思います。
そうしてみると、とくにテーマとして燃え尽きを扱っていたということもありますが、いろいろな組織や企業の人たちと接する中で、今のミドルマネジメントの人たちが抱えている悩みや閉塞感はよくわかるし、なんとかしてあげたいなっという思いがあります。
それをポジティブにまとめるとすると、一つは、とくに定年前後ぐらいで悩んでいらっしゃる方々には、みなさんが思っているよりあなたたちは有能だと言いたい。ちゃんと自分のスキルを見極めて棚卸しをすれば、十分外に出せるし、まだまだ売り物になります。スキルを持つということと同じぐらい大事なことはそれをマネタイズするということなので、売り物になるという見極めはもちろん大事です。単に好きなことだけではなくて、それを世間に売っていける、あるいは、社会貢献に使えるという意識は大事だと思います。売り物になるスキルは必ずあります。だから、そこはきちんと見ていきましょう。
そして今、日本の会社は、ミドルマネジメント(中間管理職)への責任の押しつけが極端に厳しい。下から突き上げられ、上からは怒られ、そのわりに報われないんです。
大江:そうですね。本当に見ていて大変そうです。
僕自身もまさにこの「ミドルマネジメント」の立場なわけで、野口さんの言葉にはけっこう勇気づけられました。
若い頃(20~30年前)くらいは上司から年功序列・社畜的な働きかたを求められ、自分が中間管理職になってみると、今度は若者は定時で帰せ、という世の中です。
若者が自分の時間を大事にするのは良いことだとは思うけれど、それで終わらなかった仕事は、ミドルマネジメントがやっておけ、管理職なんだから、と言われてしまう。
なんかもう貧乏くじばっかり引いている。
そんなやるせなさも、あるんですよね。
野口さんは人類のエリート中のエリートの宇宙飛行士だし、大江さんも人気キャスターなんだから、「売り物になるスキル」は持っているだろうけど、とも思うのですが、考えかた、見せかた、アピールのしかたを工夫すれば、「どこかで高く買ってもらえるスキル」というのは案外多くの人が持っているのです。
でも、その「自分を活かせる場所」をうまく見つけ出せない、あるいは、見つけ出そうという試行錯誤をしないまま、「どうせ自分のスキルなんて役に立たない」「もっとすごい人がいる」と思い込んで、みんな諦めてしまうのです。
野口:今、ちょっと外の世界を見てみようということで宇宙から少し離れていますが、もちろん宇宙が嫌いになったわけではありません。実際、色々なことをやっている中で、世界経済フォーラムの仕事は宇宙技術に関わるものです。いろいろな宇宙企業のみなさんと集まって、宇宙産業においてこれから日本には何が大事で、世界には何が大事で、そこに企業人としてどう関わっていくべきかというテーマでお話をしました。金融機関の方や建設業の方、製薬会社の方など、いわゆる「非宇宙」と言われていた産業の方々を大勢お呼びしたんです。
宇宙のことも経営のこともわかっている人材はそれなりに貴重ではないかと思うので、これからもそういう立場で仕事をしていくことになるかなと思います。
大江:スキルの棚卸しをしてご自身を見つめ直した結果、それができるようになったということですね。
宇宙飛行士は「大勢」ではないけれど、それなりの数はいる。
でも、「経済」についての知識や興味を持っている人は、そんなに多くはないはずです。
そういう「スキルの組み合わせ」が、野口さんの強みになっている。
SNSなどでの情報発信の経験が豊富なことも。
そして、このフォーラムに参加した金融機関や建設業、製薬会社の人たちは、それぞれの業界と宇宙との連携のキーパーソンとして重宝される可能性があります。
「宇宙なんて関係あるの?」と感じてしまう業界であるほど、「希少価値がある人材」として評価されるかもしれません。
若い人だけではなく、僕くらいの40~50代の「なんかもう自分のキャリアの天井が見えてしまったなあ」と思いながら昨日と同じ仕事をしている人たちに、ぜひ読んでみてほしい対談です。
「自分の成長信仰」すら限界が見え、重荷になってきた世界で、これからみんな何を求めて生きていくのだろうか。