琥珀色の戯言

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【読書感想】楽園とは探偵の不在なり ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

2人以上殺した者は“天使”によって即座に地獄に引き摺り込まれるようになった世界。過去の悲惨な出来事により失意に沈む探偵の青岸焦(あおぎしこがれ)は、「天国が存在するか知りたくないか」という大富豪・常木王凱(つねきおうがい)に誘われ、天使が集まる常世島(とこよじま)を訪れる。そこで青岸を待っていたのは、起きるはずのない連続殺人事件だった。犯人はなぜ、どのように地獄に堕ちずに殺人を続けているのか。最注目の作家による孤島×館の本格ミステリ長篇


 孤島×館、そして、「2人以上殺した者は、『天使』に地獄に引きずりこまれる(ものすごく苦しそうな様子で)」という、リアリティよりも、特殊ルール内での謎解きを主眼とした作品です。
 ミステリであるのと同時に「神の理不尽と人の善悪」なんていう、ちょっと宗教的なことも考えさせられました。


 巻末のミステリ評論家・千街晶之さんの「解説」によると、ミステリのサブジャンルとして、近年「特殊設定ミステリ」というのが流行しているのだそうです。

 現実と乖離した完全な異世界を舞台にしたり。宇宙人やゾンビや幽霊が実在するものとして登場したりといったスーパーナチュラルな設定が、謎解きのロジックに有機的に組み込まれているミステリのことであり、近年では白井智之、今村昌弘、方丈貴恵らのようにその種の作品をほぼ専門に手掛けている作家も存在する。


 僕も今村昌弘さんの『屍人荘の殺人』シリーズは読んでいるのですが、ほとんどの人がスマートフォンを持っていて、インターネットが普及していて、街には監視カメラがあふれ、警察は車両追跡システムを駆使している現在社会で、「密室」をつくるのは、館がゾンビに囲まれている世界、というような「特殊設定」にでもしないと難しいよなあ、と思っていました。


fujipon.hatenadiary.com


 おかげで、現実では身代金目当ての誘拐事件はほとんど起きなくなっているのです。もちろんそれは、悪いことではないのですが、ミステリ作家は大変ですよね。ある場所の写真とかがアップロードされれば、ネットの「特定班」があっという間にそれがどこか突き止めてくれるし。

 この『楽園とは探偵の不在なり』、ものすごく不気味で、圧倒的な力を持っているわけでもなく、人々を幸せにしてくれるわけでも(たぶん)ないけれど、「2人以上殺した人間を、確実に地獄行にする」という「機能」を持っています。

 おかげで、殺人事件は圧倒的に減った……かと思いきや、確かに「連続殺人」は減ったのだけれど、逆に「1人なら殺してもいい」とか、「どうせ2人殺せば地獄行きなのだから、なるべく大勢をまとめて殺してやろう」という人が出てきて、あまり世界は平穏にはならないのです。

 マンガ『DEATH NOTE』を思い出すのですが、あの作品では罪人を罰する「キラ」の存在で、犯罪は減少しています。
 「罪を犯したものを、問答無用で厳罰に処することで『悪の抑制』を図る社会は正しいのか?」

 いや、そんなのは「正義」とは言えないし、法の裁きが必要だ!

 というのが建前なのだれど、ネットで極めて利己的かつ残虐な犯罪の記事を見かけると、こいつらみんな死刑にしたらいいのに、とか、ケンシロウ北斗神拳でこの無法者たちを成敗してくれないものか、とか、つい考えてしまいます。


(以下ややネタバレです)


 正直、この『楽園とは探偵の不在なり』には、「天使」という存在の秘密が暴かれるとか、もっと派手な舞台がひっくり返るようなどんでん返を期待しているところがありました。
 でも、この作品で描かれているのは、「神の理不尽」と「善人が報われるとは限らない『世界』で生きていくしかない人間」なのです。


 僕は中年以降になってから、「神」とか「宗教」に割と興味を持つようになってきました(というか、それまでは怖くて避けていたのです)。
 そもそも、神が存在するのなら、なんでこんなに世の中には目を背けたくなるようなことばかりなのか。


fujipon.hatenablog.com


 神学を学び、自らもキリスト教の信者である作家・佐藤優さんが「キリスト教において、『神』というのは、理不尽で無慈悲なことをするからこそ、『神』であり、信仰の対象になるのだ」と仰っていたのを思い出しました。
 こちら側から「計算できる」ような相手ではないからこそ、「信じる」しかない。
 このくらい信じたら、これだけの見返りがあるはず、なんて人間が計算できるようなものは「神」ではない、ということなのでしょう。

 僕は「探偵もの」で、人が死んでも、まず現場を調べ、関係者に冷静にアリバイを問う「探偵」って、現実に遭遇したら、ものすごく感じ悪い人たちだろうなあ、と想像するのです。
 被害者が、自分にとって大事な人であればなおさら。
 次は自分がやられるかもしれないクローズドサークルとかなら、生き延びるために協力せざるを得ないのかもしれないけれど。

 この作品、ミステリとしてよりも、「神と、神への信仰と疑念(あるいは嫌悪)に振り回される人間の物語」として、僕はすごく引き込まれました。
 こういう「特殊設定」には「ご都合主義じゃないか」と乗り切れないところもあるのですが、謎解きよりも、むしろ「特殊設定のほうが印象的」ですらあります。

 あらためて考えてみると、日本の司法においても「基本的には複数(2人以上)を殺害しないと、極刑(死刑)にはならない」というのが判断基準とされてい流のです。

 ひとりまでならOK、なんておかしい!
 もちろん、OKじゃなく、それなりの罪には問われるわけですが、果たして、その基準は納得すべきものなのかどうか。
 もちろんそれは、自分がどの立場からその「事件」をみるのか、にもよるのだとは思いますが、みんな自分では意識しないまま「特殊設定」の世界で生きているのかもしれませんね。


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