『大正自由人物語』その弐

 望月桂、近藤憲二の二人は昼一二時ニ〇分に秋田駅着。
 以下、小松による和田死去の日の状況が述べられている。「和田の急死は秋田刑務所の記録では監房にて午後七時に縊死(自殺)となっている」「二月二〇日は雪で明け、雪で暮れた。朝方には氷霰も舞った。一日中日照はなく、気温も下がったままであった。まさに雪国特有の陰鬱で暗い、しかも厳寒の一日であった。和田が自殺した七時頃も雪が降っていたが、その直後しばらく雪は止む。しかし八時半をまわると、ふたたび雪が降り始める」
 小松は望月の備忘録や近藤の「回想」から亡骸の引取を描写する。
 二人は刑務所側に所長面会を求め、所長は応じる。処遇の問題を追求。監房の点検は認められなかった。和田は監房棟の片隅の床の上に、囚人服を着せられたまま横たえられていた。二人は火葬場と連絡をとり段取りを決めた。刑務所を通じて橇と人夫を手配。二人が和田の亡骸と共に刑務所の外に出るころにはあたりはすっかり闇に包まれ、雨がなおも静かに降りつづいていた。

『獄窓から』和田久太郎

秋田からの書簡
 大正十五年二月十一日
 一月十三日附貴翰十八日拝見。お察し通り、始めは雁の如く、次に鶴の如く、時経っては麒麟の如く、大いに伸首して待てり。しかも披見に及んで、僕よりの依頼せし事情の為に遅れたるを知り、恐縮、大恐縮、首は忽ち亀の如く引込み了んぬ。思ふに国元の兄共、僕達との交通を気味悪しとやと思ふ為めなるべし。又是非もなからんか。以後は不問々々。
 僕の手紙集発刊のこと素より異存なし、万事お委せせん。たゞ編輯者の参考までに我身を述べんか、手紙の提出は各持主の自由意志に任せ、しかも駄文、楽屋落ち等の抹殺に意を用ふべき事。広く集むべき事。近藤君に変輯の後見を願ひたき事。俳句和歌の類の、後に改めしもの多くあれば「あくびの泪」「鉄窓三昧」等によって夫々訂正されたき事。……
 単衣にレインコートの写真の僕に、福子さんが暖かくビロード服を着せて下されし由、お陰を以て極寒の獄中に在って風邪一つ引かず、有難う!!彼の写真は、逗子でも鎌倉でもなし、同じ相州の鵠沼也。確か十年の夏なりしと憶ゆ、大杉と共に鵠沼東屋旅館に滞在して「昆虫記」翻訳の助手をなせし時に、大杉が遊び半分に写せしものの一つなり。いま当時を追想し轉た感なきあたはず。魔子にも愉快なりし記憶の一つなるべし。
 ……
 送附を頼んだもの全部送るとのこと感謝に堪えず。ところで、もう少々無心を付け加ふ。半紙百枚を二百枚と訂正。東京監獄で使用していた「辞林」と年鑑とを同時に願へれば幸甚。古田(大次郎)君の遺稿も見たし。先きに依頼せし「俳句集」、もし適当のもの見当らねば、久米正雄君に僕が頼んだと云って、碧梧桐選のむ「続日本俳句鈔」二冊を借りられたし。
 小生の作業振り、其後、刮目に値す、御安堵あれ。即ち謹賀新正の餅の力、御馳走の力により2分の一の能力は忽ち五分の三と進み、加ふるに懐中湯たんぽを二個抱かさるに至り更に三分の二に騰り、二月に入ると同時に、課程の頂上に登りては落ち、登りては落つといふ姿なり。今一息、今一歩。
 僕の健康に対する奥山先生の御注意厚く受く。深く謝すの旨、伝声あれ。禅書は読めど、寒時には身を寒殺する底の悟道には達せず、静座、屈伸法、冷水摩擦を用ひて寒威と善戦なしつつあり。但し、苦笑を浮べて小音に申上ぐらく、大寒に入りて流石に些か屁古垂れ、四五日前、軽き脳貧血の気味にて一日横はれり、従って体重も少々減少。されど未だ、東京時代よりは太り居れば安神あれ。寒さの峠も既に越えしやに覚ゆ。積雪三尺を越えず、秋田としては例年になき暖冬といふ。こんな事で最初の冬を通過出来れば、先づ幸ひとすべき也。
 折々我家を訪問給はる教務主任、一日訪ふて曰く『ホホー、だいぶ雪が吹き込んだナ。いや、これが秋田の不思議ぢゃて。二重硝子の所でも矢張り吹き込んで来るのぢゃ、不思議ぢゃナ、ハッハッハッ……』と。けだし、秋田蕗よりも此の方がお国自慢のやうな口振りなり。されど、秋田を初めての小生には、不思議はこれのみなあらじかし。布に包める膝小僧の凍傷。夜、着布団の表皮の濡れることなど、可なり小首をひねらされたり。兼ねて聞き及びたれど、雪雷、氷雨、怒涛の如き烈風も珍らしく、雪の凍りついた窓硝子の美しさにも驚きたり。
 氷雨吹き込む窓を頼みかな
 水洟や冷々として骨を滴る
 湯姿を抱いて更に愚とならむ

 今日は紀元節で、御馳走を食ってお休みだ。恨むらくは相変わらずの曇天強風。君からの手紙№4の初め三行ばかり悪かったらしい。御注意々々と申す。
 狂體一首         柿色囚屋麿 かきのいろのひとやまろ
 足引きて首をちぢめて雪の降る
   寒む寒むし夜を独りかも寝む

昨夕から体調悪くなり夜は横になっていました。今日の午前中は38℃の発熱。一月に一年分の「病」にかかったつもりだつたのですが、そうもいかないようで。動けなくなる前に図書館に本を返却に自転車で出かけました。図書館は梅の名所の近くにあるので近辺はにぎやかでした。山の原稿の著者校だけは何とかすませました。