悪魔とダニエル・ジョンストン (監督:ジェフ・フォイヤージーグ 2005年アメリカ映画)

■”創造者のデーモン”
ユングの提唱したアーキタイプ(元型)に『創造者のデーモン』という言葉がある。

寝食を忘却して絵画や彫刻を黙々と制作し、世俗の雑事を無視して文学や思想を文章に書き起こし、人間の体力の限界を超越して次々と奇跡的な輝きと価値を持つ創作物を生み出す時、その当事者には、普遍的無意識に潜在する創造者のデーモンの影響が働いている可能性がある。
しかし、意欲的な創造は絶望的な破壊と表裏一体であり、天才的な創作者は時に、自我を崩壊させるような圧倒的な狂気や混乱に侵される事もある。
■人間の喜怒哀楽の感情生活の起源としての元型(アーキタイプ):イメージと表象の世界

人が創造することに取り付かれると、それが良い方向に働けば様々な新しいものを生み出す力となる。しかしそれが裏目に出ると、自らの精神も生活も蝕んで行き、しまいには破滅へと導いてしまう情動のことである。
ダニエル・ジョンストン。数多のポップ・ミュージシャンに敬愛され、その才能を賞賛される彼はしかし、音楽以外で社会と交わる事は殆ど無く、重い躁鬱病から奇行や暴行事件を起こし、精神病院への入退院を繰り返す、不世出の天才ミュージシャンであった。この映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』は、音楽を創り絵を描くことを愛して止まなかった少年が、輝くようなその才能に翻弄され、次第に心を病んで行き、数奇な運命を辿ってゆく様を追ったドキュメンタリーである。
子供時代の奔放な想像力はキリスト教原理主義者であった家族の生活態度にはそぐわず、そのファナティックな性質が逆に彼自身に罪悪感の種を生む。青年時代の失恋という大きな挫折体験がさらにそれに拍車を掛ける。そうした環境の中で否定された想像力や情動は、しかし彼を彼たらしめる本質でもあったのだ。そして彼は引き裂かれる。薬物への沈溺、精神病の発症。彼は壊れてゆく、しかし、彼は歌うことを決して止めなかった。映画ではビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンと比較され、オレなんかは初期ピンク・フロイドのリーダーだったシド・バレットを思い出した。

■翻弄される魂
自らの『創造者のデーモン』に運命を弄ばれ破滅へと至るミュージシャンは、映画でも登場するカート・コバーンをはじめ枚挙にいとまが無い。狂気に駆られ自滅する芸術家の姿というのもゴッホの名を出すまでも無く古今多数存在した。『創造』が何故人を破壊へと導くのか?というとこれはどうもエンドルフィンなどの脳内麻薬物質にあるようだ。人は様々な行為により”快感”を得られるが、これら脳内麻薬物質が最も分泌されるのは物事を創造する行為の時なのだという。創造という他の動物では成し得ない行為によって人は心地よさを得る。つまり創造する、というのは最も人間的な行為であるのだ。しかし、あまりにも強烈な脳内物質の分泌は異様な躁状態を生み、またそれが枯渇した時に麻薬中毒患者が『ヤク切れ』を起こした時と同じ鬱症状をもたらすというのだ。天才と呼ばれる人々が時として心のバランスを崩すのはこういった部分にあるのらしい。
ただ、からくもダニエル・ジョンストンがそういった破滅から逃れられたのは、彼が良くも悪くも『オトナコドモ』だったからなのだろう。コミック雑誌キャプテン・アメリカとお化けのキャスパーを愛し、ヒーローはビートルズで、一般的な意味での社会生活もせず、(マクドナルドに勤めたけれど、あんまり使えないんでテーブル拭き以上の仕事しかさせられなかったのだそうだ。)マウンテンデューの歌を作る、そんな彼は40代を過ぎ、過食ででっぷりと太った体をさせながらも、生活態度は子供の範疇を出ていない。多分精神年齢も子供のままなんだろう。彼の行動原理は”人から注目を浴びたい”ということにあり、そんな「オトナコドモ」の彼は社会との軋轢に悩むことは無い。彼は”無垢”であり、その”無垢”は彼に成長させることを拒否させてしまった。しかしこの社会で”無垢”であり続けるというのは、実はおそろしくイビツなことなのだ。

■永遠の無垢
ダニエル・ジョンストンの演奏や発声はよく聴くと音楽的にはハチャメチャだ。にも拘らず、一回聞くとそのメロディの美しさやポップさには引き込まれるものがある。技術も何も無いインスピレーションだけで作られた音楽がここまで胸に迫るのは、もはや持って生まれたものとしか思えないような部分がある。彼は音楽を作るべくして生まれたような男だったが、精神的には脆く、また、社会生活には不適応な男だった。彼はいわばイビツな人間なのだろうが、しかしイビツな人間である彼の歌声を、人々は熱狂し涙を流して受け入れる。こんな風に、人の魂の底まで降りるような表現とは、実はイビツなものを内包しているのだと思う。ただ、こうして表現者として圧倒的に評価された彼が、幸福なのかどうかは、また別の話になってしまう。

彼は青年のころに恋破れた女性に20年以上経った今でもラブソングを書き続けているのだという。その数は100曲をくだらないという。映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』HP。このサイトに行くと流れてくる彼の歌声に是非耳を傾けてみて欲しい。「君の写真は まだ壁に貼ってあるよ その中の君は 何時までも変わらない 世の中には 決して変わらないものがあるんだね 僕はまだ 変わらずに 君のことを想っているよ」と歌われるこの曲は、煌く様な美しさと痛みに満ちていると想う。
だが歌うことによって彼は救われるのか。痛みは消えるのだろうか。成長を止めた永遠に”無垢”なものにとって、救いは原初のままであり続けることだ。しかし彼の周りで飛び過ぎてゆく時間は、決してそれを許すことは無いだろう。そして彼は永遠に”喪失”について歌い続けるしかないのだろう。それが音楽の美神に魅入られたものの宿命なのだとしても、ひどくやるせないものを感じてしまうのは、オレだけではないはずだ。
ダニエル・ジョンストンは現在40代半ば、精神病の治療を受けながらも現役で音楽活動を続けています。2003年には来日公演を果たし、熱狂を持って受け入れられたそうです。物事を想像し創造する事を愛する方、音楽を愛しそして何故音楽は人の心を震わすのかということについて考えたことのある方に、特に薦めてみたい映画です。
■『悪魔とダニエル・ジョンストン』トレイラー
■”HI,HOW ARE YOU?” OFFICIAL DANIEL JOHNSTON SITE

1990

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