桜島に行ってきました


年末年始の休みに鹿児島へ行ってきました。霧島・妙見・指宿といった温泉を巡ったのですが、それぞれに特徴のある素晴らしいお湯ばかりでした。毎年この時期に九州の温泉を巡ることに決めてから早8年、いろいろな温泉地を訪れましたが、どこも素朴さを残しながらも快適な施設を持っており、食事も牛肉・馬刺し・黒豚・地鶏に加えて、魚も野菜も美味しくて、鹿児島だったら薩摩揚げもあるし、ついつい毎回食べ過ぎます。どこも古い歴史を持つせいか、小粋なお土産もたくさんあって、本当に大好きなアイランドです。


今回ご紹介したいのは鹿児島のシンボル桜島で見つけた「桜岳陶芸」の桜島焼きです。幸い天気に恵まれ桜島山の雄姿をくっきりと見ることができました。また、火山灰が降ってこない季節だったので助かりました。桜島焼は降ってきた灰と付近に湧き出る鉄分の多い温泉を使っているそうで、実に渋いいい味を出しているのです。焼具合によって少しずつ違う外側の色具合と無骨な模様が、がっしりとした溶岩を思わせます。

「サツマイモの形をしたお湯割用酒器(いもぢょかという範疇に入るのかもしれません)、隣はロック用」

黒ぢょか(千代香)と呼ばれる黒薩摩焼きが有名ですが、これはもともと島津の御庭焼師が桜島をイメージして作ったものだそうです。店のおかみさんらしき「薩摩おごじょ」の話によると桜島ではこのぢょか(写真)はちょっと変わり者が訪ねてきたときに出すものなのだそうです。直火もOKというのが有難い。いつもこれで飲んでると変わり者になっちゃうかも。

これがあればダレヤメ(*)もバッチリだ。
*仕事でだれた(疲れた)心身を癒す晩酌のこと

活火山の桜島には当然のように温泉があり「桜島マグマ温泉」といいます。ナトリウム・塩化物泉なのですが鉄分が多いらしく色は茶褐色で、肌に少し刺激を感じましたが良く温まるいい湯でありました。このお風呂から見る眺めが絶景で、冬の午後の柔らかな光に照らされた穏やかな錦江湾をフェリーボートがゆっくりと滑って行く姿を眺めることができます。湾の向こう側に見える鹿児島市とはフェリーが日中は10分から15分間隔で運行しているそうです。

時はいきなり幕末の頃までさかのぼりますが、この穏やかな錦江湾生麦事件薩摩藩士がイギリス人を切りつけた)の賠償を求めイギリスの軍艦がやってきたのが1863年、交渉が不調に終わり所謂「薩英戦争」となり、英国艦隊と陸上砲台との間に激しい砲戦が展開されました。結局は薩摩が賠償金を支払ったのですが、それからが薩摩の豪いところで、英国の力を認めこれに学ぶべく、2年後の1865年には英国へ留学生を15名送っています。尊王攘夷にこだわらずグローバルな目を養おうとしたともいえるのではないでしょうか。それにしても、英国も良く受け入れてくれたもんですね。もともと当時の薩摩藩琉球を管轄していたことから、通商を求めて那覇辺りにやってくるイギリス・フランスの圧力は浦賀や長崎に米国などがやってくるかなり前から感じていたはずです。当時、留学は国禁を犯す行為であったため偽名を使用するなど大変な苦労をしていたようです。長州と共に他州に先駆けて海外へ視点を持った先見性は、明治維新の遂行に大いに役立つことになりました。

マグマ温泉の茶褐色のお湯に浸かりながら、150年ほど前、西欧列強により否応無しに近代世界に直面させられた当時の日本人が、果敢に新しい世界に挑戦していった姿に思いを馳せたSでした。

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