莫言て誰?

昼休みに駐車場で昼寝しようとしたら、あんまり暑くて眠れなかったよ。ところが夕方になると嘘のように気温が下がる。ふと思ったのだけど、昼夜の温度差のことを考える人なんているのだろうか。昼には「いったいいつまで暑いんだ?!」と憤り、陽が落ちると「やっぱり秋だね」と喜び、寝る前には「一枚かけるものが欲しくなったな」と思い、明け方寒くて目を覚ます。僕自身も含めて大方みんなそんなところじゃないかな。
▼これは腹がすけば泣き、便を漏らしてはぐずり、乳を吸えば眠る、その場その場の快不快だけで生きている赤ん坊の態度と同じだ。だがそれでは人間とはいえないだろう。今思えば、刹那的で表面的な思想がもてはやされたあの時代以来、我々は人間であることをやめてしまったのかもしれない。快楽が、人間が追及すべき価値なのかどうかよく考えないまま、我々は欲望の奴隷になってしまった。
ノーベル文学賞を逃した村上春樹氏の作品の特徴を二つだけあげるとすれば、僕はパラレルワールドと戦争(暴力)だと思う。地下鉄サリン事件を境に、氏の作品は明らかに変わった。「ノルウェーの森」以前の村上ファンは、「ねじまき鳥クロニクル」以降の作品についていっているのかどうか。ハルキ節ともいうべき独特の言い回しを羊のように反芻しながら、現実感の希薄な作品世界の雰囲気にひたっているだけなのかもしれない。
▼それは村上春樹の小説の従順なる享受者の態度ではあっても、氏が小説を書くことで暗示する世界の住人とはいえないだろう。パラレルワールドとは、一見全く別々に見える世界が実は相互に関連しているということであり、氏が一貫して主張しているのは、我々が普段は忘却しているが、過去確かに実際に起こり、今なお地球上からけしてなくなることのない殺戮行為に、我々ひとりひとりが忘却することによって加担しているということだ。それはよく言われる自虐史観というようなものではないと思う。
▼仏文科(卒ではない)のハシクレとして、2008年の受賞者ル・クレジオまではかろうじて知っていた僕も、さすがに莫言は知らなかった。その昔井上靖先生が毎年(国内で)候補にあがりながら受賞を逃していたある年の新聞に「今年もまたクロード・シモンとかいう聞いたこともない作家だった」と書いていたことを思い出す。先生、その人ヌーボーロマンの大家ですよ。フランスのグランゼコールの日本文学の教科書に先生が載ってなくても、日本の大学の仏文演習には100パー出てくる人です。と、莫言について語るどこかの国の人がいるのかな。
▼まあ、やさしさってのは他者への想像力のことだから、莫言の作品も読んでみるかな。まず読まないな。そういう気持ちが大切だってことで。

月曜はミネストローネとパプリカサラダをベースに僕と長男が秋鮭のソテー、肉尊魚卑の次男が牛肉のソテー。わがままなバカ三人のために妻もたいへんだ。

火曜はつけうどんに野菜スティック。鴨南風のつけ汁は豚肉と玉ねぎのみじん切りが入って超うまかった。野菜スティックでゆっくり晩酌の後うどんに移ったが、同時にでてきたはずなのに不思議にアツアツだった。妻は「釜揚げよ」と言っていたが、きっと僕らの気持ちがいつまでも冷めないからに違いない。