追憶の1988年

台風が通り過ぎた後、一日おいてまた雨が降り、今日はようやく快晴の日和となった。しばらくは秋晴れの日が続きそうだ。
▼まだ路面が濡れている中を、会社の健康診断を受けに総合病院の検診センターに向かった。検診バスが会社に来る日は二日とも現場が立て込んでいて受診できなかったのだ。朝からゆっくり健康診断を受けることができるということは、仕事が落ち着いてきたということだ。従って、気持ちにも余裕がある。
▼カーラジオから朝のクラシックが流れてくる。リャードフ「バラード〜古い時代から」スクリャービンエチュードメシアン「世の終わりのための四重奏曲」武満徹「ノヴェンバー・ステップス」ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」。普通ならバッハかモーツァルト以外なら変えてしまうところだが、曲名に惹かれてそのまま聴き続ける。「将来村上春樹みたいに小説の中で使うことになるかもしれない」と夢想しながら。
▼しかし僕の無意識はどこかへ流されていき、すぐに音楽は聴こえなくなってしまう。次に意識がラジオに戻ったのは、二曲目の「エチュード」を紹介するナレーションの時。「演奏はホロヴィッツ…」に反応し、始まった曲に耳を傾ける。一音一音は際立っているが、楽曲としてはけして耳になじみのいいものではない。現代音楽自体、ある意味「習作」のようなものだ。
▼道中約一時間。スクリャービンがいつメシアンになり武満徹になったかわからないうちに病院に到着。印象的な琵琶や尺八の音色に気づかなかったから、あるいはまだ「世の終わり」だったかもしれない。それというのも僕は武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」のCDを持っていて聴いたことがあるからだ。最愛の彼女が、武満徹に会うことになっていたけどダメになったと残念がっていたことを思い出す。「いっぱい予習したのに…」と言ってたっけ。
▼でも僕が武満徹のことを知ったのはそれより以前のことだ。年上の女性が、早稲田通りの古本屋で氏の「音、沈黙と測りあえるほどに」を購入した時かもしれない。新宿の紀伊国屋書店で待ち合わせ、地下のジャズ喫茶から早稲田通りの古本屋を歩き、下宿近くの僕のいきつけの定食屋で終わった年上の女性との最初で最後のデートで、彼女は「文学部の学生って建築に興味あるんじゃない?」と言いながら、磯崎新の本を手にとった。
▼彼女は僕に、マスターの店で高橋源一郎を、紀伊国屋書店ホックニーを、新宿のジャズ喫茶でウイントン・ケリーを、早稲田通りの古本屋でイソシンと武満徹を教えてくれた。1988年の初夏のことだ。これらの人たちの作品と、そこから垣間見える思想が、僕の考え方に影響を与え、灰色の人生に淡い色をつけてくれたことは間違いない。代わりに僕は彼女たちに何を与えることができただろう。
▼デートは一度で終わったが、その後も僕は酔っぱらって何度か彼女に電話をかけた。「今日は大成建設の人と打合せだったの」一度だけ、彼女が自分のことを話したそうだったことがある。けれども僕は、当時建築現場でバイトばかりしていたくせに、スーパーゼネコンの名前も知らないほど世間知らずで彼女の話をうまくきいてあげることができなかった。諦めたように、彼女は僕に話題をふった。「今何読んでるの?」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「おもしろい?」「うん」その時は、親密な時間が流れていたような気がする。
▼検診センターは、受付も技師も綺麗な人が多かった。明るくて、とても感じがいい。レントゲン台に胸の位置がなかなか決まらず、女性の技師が後ろから僕の腰を持って左右に動かす。「右に出てるかな、左かな…」とつぶやく。思わず「両方出てるでしょ」とからかう。彼女はウフフと笑って、「たしかに小さい方ではないですね」と答える。
▼もし彼女とつきあうことになったら、と夢想する。彼女は僕が知らないことを僕に教えてくれるだろうか。例えばX線の持つ色彩のグラデーションの美しさについて。ある患者のレントゲン写真に写っていた驚くべきものの正体について。それはつきあってみなければわからないことだ。そして、既婚者の僕にそんな可能性はないわけだ。
▼年をとると、どんどん音楽が遠ざかる。音は背景に退き、瞼には古い時代の映像ばかり浮かんでは消える。音楽はその契機にすぎない。長く生きていればいろんなことを経験しているのだから、それは当たり前のことだ。だから音楽は若い人のためにある。年寄にとって、あらゆる音楽はBGM以上のものではない。

昨日は秋刀魚の塩焼きにミネストローネ。献立が秋らしくなってきた。

今日はヨガカレー。