お、この前紙面で読んだやつが、ネットにもアップされてたので、満を持して紹介しよう。
このシリーズ、少し前のまでが本にまとまったそうです。
いま決めなければ生き残れない!
- 作者: 本郷和人
- 出版社/メーカー: 産経新聞出版
- 発売日: 2015/05/29
- メディア: 新書
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信長、秀吉、家康、元就、光秀……。彼らはそのとき、何を考えていたのかやわらかな語り口で最新研究を紹介しながら、
通説にも疑問符!
歴史家による実情の読み解きで、 真実の日本史が見えてくる。《過去に生きる人の意識をつかまえるのはきわめて難しい。(中略)あるときはぼくたちの常識がじゃまになる。でもあるときは常識を活用して史料の読解に当たらねばならない。そうした矛盾を止揚しながら考えを進めていく。要はバランス。バランスが大事なのです。》
(「まえがき」より)東京大学史料編纂所の教授を務める著者が自らセレクト、解説を施した戦国武将たちの肖像画など、画像64枚を一挙収録。
【主な内容】
まえがき 史料とのつきあいはバランスが大事
第1章 あの兵力差で信長は本当に桶狭間を戦ったか
第2章 「天下統一」という新概念はどう生まれたか
第3章 部下・光秀が「本能寺」を決めた出来事
第4章 「戦国最強の武将」は誰か
第5章 武将たちが残した人生哲学
第6章 執権北条氏、粛清政治の手法――戦国前夜①
第7章 「大義名分」がない中世武士の感覚――戦国前夜②
第8章 利休は強欲だから秀吉に殺されたのか
第9章 「利休七哲」と徳川大奥
第10章 武将の名から人間関係が見える
第11章 家康と「信康切腹」と「長篠」
ん?こんなのも出たな。
- 作者: 本郷和人
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/04/15
- メディア: 新書
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冒頭のマクラ部分だけで、天下分け目の、おおいくさが始まる予感満載……
【本郷和人の日本史ナナメ読み】http://www.sankei.com/life/news/160414/lif1604140004-n1.html
いま学界の主流は「織田信長は、特別な戦国大名では『ない』」という評価です。それはおかしい、信長が特別じゃなければ「天下統一」はないでしょ? と反論すると、いや、彼にとっての「天下」とは近畿地方を意味するんだ、とくる。いやいや、天下が日本全体を指している用例は鎌倉時代から普通にあるじゃないか、と反論しても、戦国時代に限れば、天下=畿内ですよ、と返される。まあ、信長株はどう見ても下落しているわけですね。
学界のつまはじきであるぼくは、それはおかしいでしょう、と言い続けています。分裂していた日本が一つにまとまる、という大きな変化に、ともかくも注目しようよ。その動きの中心にいた信長が、「特別でない」はずはないでしょ? と。
ぼくはかくのごとく信長を高く評価しているわけです…(後略)
学会のつまはじき云々はまったくご謙遜であろうが、ちょっと今の天下?の情勢を説明させていただきたい。
いや、それは俺のtwitter上の…ですけどね。自分がフォローしている範囲での、twitter日本史(戦国時代)クラスタにおいては。
http://togetter.com/li/969018 の冒頭説明部分で端的にまとめたんだが。
togetterの俺的TL歴史クラスタでは
・信長は通俗イメージより保守的
・秀吉は通俗イメージよりマッドでブラック
・家康は通俗イメージより誠実で人望を得ていた
・・・と力説する一大勢力がある(ような気がします)
このテーマの議論は以前もいくつかまとめており、一連の「シリーズ」として見た方が面白いのですが…
上の私の直観的なまとめの「その1」、である「織田信長は通俗イメージより保守的」というのを言い換えたのが、、本郷氏の【いま学界の主流は「織田信長は、特別な戦国大名では『ない』」という評価】ですね。自分がtwitterで追っていたクラスタは特別に奇矯なことを言っていたのではなく、そんな学会潮流をかみ砕いて教えてくれていたのだ、ということがわかる。
しかし!!
要は「東大の虎」、本郷和人が、将軍からの密書でも受けたのであろうか、
「これ以上、『信長は特別な存在ではない』と言い募る、こわっぱどもの跳梁を見逃すわけにはいかんのう…」と旗を揚げ、上洛を目指すと宣言したのですよ!!!!
これはおそろしい。
(※もちろんどっちの論者も、ずっと言い続けていた話で、今始まったわけじゃないのだが、俺的に今始まったことにしておく)
togetterで、たとえばまとめ管理人さん、お菓子っ子さん、アリノリさん ut_kenさん らによって数多く紹介され、俺たちがそのツイートを拾ってはまとめ、拾ってはまとめてtwitterでは一大勢力に広げた、はずなのだが…
以下のこれらを「シリーズ」。太字が直接的に、信長論中心のもの。
信長は「天才・革命家・破壊者」ではなかった?では…何者だ? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/570826
『伝統尊重』?『世評や身分を気にする』?織田信長像の180度の転換 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/731133
信長など「天下人」は日本統治を、京都で『押し付け』られた?との仮説 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/771062
「織田信長がブラック企業の社長&身内びいきすぎて部下はもう限界かもしれない」〜まとめ管理人氏が語る - Togetterまとめ http://togetter.com/li/646228
戦国大名の「好き・嫌い」とか「常識人度」をめぐるあれこれの談議 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/913212
明智光秀は「常識的、良識的な保守派」というイメージの真偽について - Togetterまとめ http://togetter.com/li/523680
『敗戦処理』としての関が原 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/411625
秀忠の権威をスポイルするスキルは何処で身についたか、家康の持っていた最高のスキル『長寿』 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/323740 @
「大阪の陣」考〜「無垢な秀頼、元凶は淀君」イメージの真偽とは?〜まとめ管理人さんを中心に - Togetterまとめ
「大坂の陣」考察再び〜まとめ管理人さん、179@擁護派さんらの論考を中心に - Togetterまとめ http://togetter.com/li/952747
よく時代劇などで状況説明のために登場する「噂好きの旅の商人」風に。
「いやー、『信長は保守派』クラスタの勢いはまさに日の出で、わしもこのまま天下一統、かと思ったんじゃがな。 東京大学史料編纂所の虎、本郷和人が『信長はやっぱり革命児』の旗を掲げて本格的に挙兵したとなれば、いかにも相手が悪い。ちかぢか、こりゃあ天下分け目のおおいくさが始まるじゃろうな……」
このあと
「おぬし!!密偵だな」
ズバッ
となるのがお約束ですが……
しかし迎え撃つ側にも猛者がいる。
この前も「信長の革命的思想について講演して下さい」という依頼がきたのね。ところが、同じところの依頼で、一年前に「信長は実は保守的政治家」という講座をしてるのよ。それを説明したら、「今回はとりやめます」って来たんだけど、去年の僕のレジュメをみるくらいはしようよ(笑)
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年4月27日
おれは情勢を見ながら表裏比興にふるまう。
「父上、「信長は保守的」論を討伐せんと、本郷氏が立ちましたぞ、どうなさるのですか」
「まったくわからん! どうしてこうなった!!」(昌幸パパ風)
【月刊コミック乱六月号・本日発売】現在に転生してゲームに勤しむ織田信長のドラマ?『信長の理望〜ん』は、信長が家臣らのお宅を訪問! さらに、ほりのぶゆき先生が描いた真田信之がゲームで使用できるようにもなります!!(さ) pic.twitter.com/8jHrObslaS
— 月刊コミック乱 (@gekkancomicran) 2016年4月27日
【原作のお知らせ】発売中のヤングアニマル9号に『信長の忍び』第192話「二強大躍進」が掲載! ぜひご覧ください! 原作公式ページはこちら→https://t.co/On2cFHjyUy 試し読みあります。#信長の忍び (白泉社K) pic.twitter.com/uisgQsG0Th
— アニメ「信長の忍び」公式アカウント (@shinobinobunaga) 2016年4月25日
信康「切腹」をめぐる議論でも、新説「家康が主導」論を批判
【本郷和人の日本史ナナメ読み】(62)家康に信康切腹を望む理由なし http://www.sankei.com/life/news/150518/lif1505180012-n1.html
【本郷和人の日本史ナナメ読み】(63) 信康切腹、謎解きのカギは「長篠」 - 産経ニュース http://www.sankei.com/life/news/150622/lif1506220011-n1.html
【本郷和人の日本史ナナメ読み】(64)信康の遺児が結んだ2家の縁 - 産経ニュース http://www.sankei.com/life/news/150720/lif1507200023-n1.html
最近、実は信康の死を願ったのは信長ではなく、家康本人だった、という説が取り沙汰されています。父子のあいだがうまくいかなくなり、徳川の家臣団も浜松の家康派と岡崎の信康派に分かれて反目しあっていた。家中を一つにまとめるために、家康は信康の排除を望んでいた、というのです
ぼくはこの意見には、賛成しかねます。まず徳川家中の分裂という事態が、立証しきれてない。こうした事例が他家によく見られるならともかく、すぐに思いつくのは「稙宗(たねむね)−晴宗」の伊達家、「道三−義龍」の斎藤家くらいでしょうか。それから、先述したように、家康は忠次の酒井家をのちに冷遇している。これは信康をかばわなかったため、と考えると説明がつく。そしてもう一つ…(後略)