『三国志』の文帝紀によると、曹丕は漢魏革命を成功させた直後に、祖父曹嵩には「太皇帝」を追贈し、父曹操には「武皇帝」を追贈したとされている。
ところが『三国志』明帝紀によると、曹丕の後継者である曹叡は、即位から二年数か月後の太和三年四月に、曹嵩の養父である宦官の曹騰に「高皇帝」を追贈している。自らを四代皇帝から五代皇帝へと降格するという代償を払ってまで、顔も知らないし血も繋がっていない先祖を初代皇帝に祀り上げたのである。一体この動機は何なのであろうかと考えてみた。
これについては、「曹叡の真の父親は袁煕であって曹丕ではないという説が当時から出回っていた」と仮定すると、辻褄が合う。
「魏は曹騰が初代でその養子が二代目」という事にしてしまえば、自分が将来「曹叡は養子だから魏の正式な皇帝には数えない」という扱いを受ける可能性は低くなる。この利益に比べれば、四代皇帝から五代皇帝への降格はほとんど無視出来る程度の代償である。
余談ながら、即位からこの決定までに二年以上を要した理由も考えてみた。
これはおそらく『論語』の「三年無改於父之道 可謂孝矣」(父の死後、服喪期間である足掛け三年の間、父の方針を変更しないのは、孝行であると言える。)等に見られる儒教の教義が関係しているものと思われる。事を急ぐと、単に親不孝呼ばわりされて人望が低下するのみならず、「やっぱり文帝の子ではなかったのだ!」という流言まで招き寄せてしまうと考えたのであろう。
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