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「悪そのもののうちから、悪を癒すべき手段を探してみよう。」 (ルソー『ジュネーブ草稿』

2018-09-17

三島由紀夫の本当の目的はこれだった! ―歴史の真実は半世紀かかる。

三島由紀夫は、最終的に皇居突入により、昭和天皇の誅殺を計画していたというのが真実のようだ。

鈴木宏三の緻密な論証は、推理として仮説だと断っているが、ほぼ間違いないものと思える。

憲法改正でも、自衛隊員の決起を促すことでもなかった。

1969年10.21国際反戦デーに照準を合わせ、自衛隊治安出動を唯一の機会として待望し、楯の会設立した。

その治安出動がなかった挫折の結果が、むりやりのどうでもよい自衛隊突入であった。

殆どの後日評論は、周辺者も含めて、死への誘惑を語ったことが単純に自衛隊突入割腹自刃に結び付けているため、三島韜晦に騙され、ごく少数者に語った「仮の話」としての天皇殺害の願望は無視されている。
そりゃあ、文学者が語れば、しかもある時一二度であれば、誰も文学上の構想案ぐらいにしか思わないだろう。

しかし、鈴木宏三は見抜いている。
緻密に膨大な証言と、関係者の証言を狩猟して、間違いない天皇殺害計画であることを論証した。

信じるに足る論証だろう。

三島の願望を実現してやるには、10.21国際反戦デーをもっと組織的に、緻密に戦術をたてて、皇居突入を実現させることだった。
新宿の騒乱状態で鎮火された無残さは、慚愧に耐ええない。
当時も左翼共闘ができない、非政治的欠陥集団であった。

皇居突入によって、楯の会は隊員たちは三島の目的を知らぬまま極左の入城阻止だと思ったら、三島は極左とともに天皇誅殺に呼応を呼びかけただろう。
ここで東大全共闘との討論で、「天皇」に賭けるといってくれれば共闘できるとラブコールを送った夢は実現したはずだ。

三島の天皇は、ゾレンとしての天皇であって、ザインとしての天皇は唾棄すべき存在と考えていたことは言うを待たない。

同時に驚いたのは、鈴木宏三(山形大教授)はあの鈴木邦夫氏の実弟らしい。

半世紀を経て、また新たに歴史を識った。

2018-09-09

矢部宏冶氏の加憲論を支持、やっとわたしの同調者が現れた。

矢部宏冶氏が加憲論を主張している。
私が20年程前から主張していることと同じである。

米国憲法と同様に、修正条項の追加を書き加えていく方法である。

改憲派/護憲派の削除や書き換えでは、先人たちの思想や努力が見えなくなってしまう。
またどういう必然性で修正したか、社会と思想を条文から把握できなくなる。
もっともな考えである。

わたしは、公の場で加憲論を述べても、そういう考えもあるかなという程度で、ほとんど真剣に検討されない。イラついてきた経緯がある。
面倒な時は、改憲論ですと述べると、ほとんど無名なために右派だと批判めいた言葉が返ってくる。

だいたい、9条があっても、自衛隊はできて、ますます沖縄の基地は拡充された。それは米軍基地だ。朝鮮ベトナム兵站どころか爆撃機と兵隊を日本から送り付けた役割は、外国軍隊には9条適用外とされててきたわけで、その間せっせと儲けたわけである。

わたしはそういう日本のセコさが実は保守派と同根だとみるし、それで平和であったと9条の効果を金科玉条として称える日本人を唾棄する。
それなら、日本人も血を流せという方がまだ好みだけで言うなら好きだ。
中身は長くなるので、ここでは立ち入らないが、また別途しっかり論じたい。

矢部宏冶氏の改憲修正条項の例示は思い付きでしかないが、それでも加憲を憲法と安保ベストセラー本ではっきり主張したことは喜ばしい。

安倍の改憲はもってのほかと思いつつ、やみくもに理念掲示だけでも価値があるなどとはいう護憲派にも寝言いってんじゃないよと思うのである。

民主主義の根幹は、結局統治=軍のコントロールを国民がどれだけしっかりできるか、その合意の強度につきる。
憲法はその軍の力以上の言葉としてしんじるから明示すねのであって、現実に不可能に陥っている事態を観ないことにして、理念だけは掲げ続けようというのはロマン主義にすぎない。
また憲法をいじるのは危険だから、その下に法律を接続するばよいという安易な野党にも賛成しない。
法律レベルは、政権が交代すれば安易に変更される。軽いのだ。国民に信を問う手続きもない。

もっと党利や政治勢力の攻防線から離れて、次世代のためにどうするか、ただでさえ欺瞞を生きてきたわたしたちの責任として、真面目に考えたいとわたしは思っている。

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