3月19日(土)「東北地方の大津波被害に思う」


盛岡市郊外にて(東北ツーリング2002年5月)
  米国民が2006年に起きた同時多発テロ(9.11テロ)で生涯に残る衝撃を受けたように、私たち日本国民の多くは、2011年3月11日に起きた「東日本巨大地震」(3.11地震)で生涯で最大(かつ初めて)の深い衝撃を受けたかと思う。国民の「多くは」と言ったのは、「関東大震災の時はこんなもんじゃなかった」とか、「空襲のほうがひどかった」とか言っている古老もいるらしいから(我が家の近く)。上には上がいるものである。おそらく私たちは、今後長く、今回の地震のことを、「あのとき自分はどこにいた」とか「こんなひどい目に遭った」とか語り継ぐだろう。 
  TV画面等で見る東北各地の津波被害の惨状は胸を締め付けられるものがあるが、特に東北各地をオートバイツーリングで駆け回ったことのあるライダーたちは、現在、自分のふる里を無くしたような深い喪失感にとらわれているのではないか。私も過去、2002年5月に岩手県盛岡(石川啄木記念館、市内観光など)、八幡平アスピーテライン、田沢湖秋田県角館など、同年8月に北海道ツーの途中で青森県八戸港、2005年5月に山形県鶴岡、鳥海山ブルーライン、酒田など、2008年5月には仙台、岩手県平泉、奥州、遠野などのツーリングを行った。バイク道楽日誌のツーレポのひと言コメントでは「どこまでも新緑・・・神々の山を駆ける」(2002年)、「神々の山を凍えながら駆ける」(2005年)などと書いている。とにかく、東北の緑の美しさを神々しいとさえ思って高ぶった気持で帰ってきた様子が窺えてなつかしい。
 残念だったのは、東北各県へのアプローチはもっぱら東北自動車道を利用していたため、太平洋側は、海岸線沿いの道を走っていないこと。いわゆるリアス式海岸の複雑に入り組んだ素晴らしい景観が続く三陸海岸沿いの道から太平洋を望むようなことをしていない。石巻気仙沼、大船渡、釜石、宮古陸前高田等々を経巡ってみたかった。ところがそれらの地域のほぼ全てが今回の津波被災の最も激しかったところで、壊滅状態となってしまい、沢山の方々が犠牲となられた。
  TVの映像では瓦礫と土砂が広大な範囲で堆積し、この復興は数年では適わないような感じだ。もともと津波被害が多かった地域であるので、また以前と同じような町の形に再建されるのかどうかも分からないし、町を出る人もいるかもしれない。しかし、今回のような巨大津波被害はその痕跡や古文書などから見ると千年周期くらいのものとも聞くし、なんとか、それぞれに元のよう美しい港町として復興を目指してもらいたいと祈らずにはおれない。まだ厳しい避難所生活の方々がおられるときにこんなことを口にするのは不適切かもしれないが、この地域が復興し、オートバイツーリングの聖地となる日がまた来ることを心から期待したい。
  それにしても、3.11を期に、オートバイを楽しめなくなってしまった。クラブの月例ツーは中止になったし、実は明日の日曜日は某ライディングスクール主催の「徹底Uターン!」の講習を申し込んでいたのだが、これも中止になってしまった。中止の主な理由はガソリンの補給難とのこと。私も地震3日後に車にガソリンを入れるために30分も並んだが、その後、状況はさらにひどくなっている。うっかりオートバイで走ってガソリン切れを起こしたときに、スタンドが営業していなかったり、営業していても重たい車体をじわじわと進めながら長時間行列に並ぶことを考えると、当面オートバイには乗らなくてよいと思ってしまうが、他のライダーはどうなんだろう・・・