5月14日(月)「親鸞聖人の旧跡を訪ねて・・①箱根」

 我が家の先祖から続く宗派は浄土真宗。昨年、この宗派の開祖、親鸞聖人の750年御遠忌が催されたのを期に、仏教や親鸞聖人の教えを少し勉強したいと思っていたところ、ある本に、「親鸞聖人の教えを深く理解するためには、聖人ゆかりの土地を訪ねて実際にそこに身を置き、歴史を越えて聖人のお気持ちにできるだけ寄り添ってみるとよい」とあった。
 親鸞聖人は、1207年、35歳の時に時の政権の念仏運動弾圧により京都から越後の国に流され、4年後に赦免された後は常陸の国に居を移された。60歳くらいまで約20年間そこに滞在して教化を続けられ、その後、京都に戻られて、その当時としては驚異の長寿、90歳で亡くなられた。つまり、ゆかりの土地としては、京都を除けば、新潟や茨城等になるが、早速買ってきた「親鸞聖人関東ご旧跡ガイド」という本によると、茨城以外にも、関東一円にゆかりの旧跡があちこち散らばっている。東京など、都会にも少しはあるが、聖人が住まわれた草庵の跡がお寺になっているところなど、大半は草深い田舎に所在している。さて、これらをどのようにして少しずつ廻ろうかと考えていて、一番機動性があって手軽にいけそうなのが、”チビよん”と一緒にではないかと考えた次第。単なるツーリングではなく、目的を持ったツーリングを楽しめることとなった。
 前記のガイドブックでその存在を知り、早速行ってみようと思ったのが、箱根にある旧跡。親鸞聖人と箱根の組み合わせは意外の感もあったが、関東から帰洛の途中、箱根越えをされたり、親鸞の師、法然の門下の兄弟子が箱根権現にいたなどの縁があるようだ。箱根はオートバイ道楽を始めてからは一番身近なツーリング先として何十回も行っているところ。ガイドブックに載っている極々簡略な案内図でも容易に見当がつく。
 西湘バイパス、箱根新道経由、まずは箱根関所近くの萬福寺を訪れた。西暦1600年に創建された古刹。明治維新後、神仏分離政策により箱根権現が箱根神社となった際に、安置されていた阿弥陀如来像や親鸞聖人自刻の御真影などがこのお寺に移されて、廃仏毀釈の難を逃れたという。お寺に事前の連絡をしていなかったために、残念ながら阿弥陀如来像の拝観などはできなかったが、新緑がしたたるとてもきれいで閑寂な佇まいを堪能することが出来た。

 次いで、芦の湖畔沿いの国道1号線を少しだけ走って、箱根神社へ。神社境内にも駐車場があることを知らずに大分手前のレストランが並ぶ前の無料駐車場に”チビよん”を停めて、少々歩く。ここでのお目当ては境内にあるという親鸞聖人像だが、本殿の周辺を探しても見つからない。お守りなどを並べた売店の、巫女さんの衣装をした女性に聞いたら、外に出て本殿の裏側に回ったところにありますとのこと。タクシーが駐車している先の杉木立の中に、聖人のかなり大きな銅像があった。像の下の台座には、殉教、報国、弱小国の解放等の文字があり、どうやら、学徒出陣した真宗門徒の若者を悼み、建立されたもののようだ。昭和30年代という。それにしても、この像の聖人は体躯隆々、エネルギッシュでいかついお顔をなさっている。合掌して去る。

 3番目の目標は、旧街道の畑宿方面に向かう途中にあるという、「笈の平 別れ石」の石碑。平日のため、芦の湖畔や箱根神社周辺は中国からの観光客とおぼしきグループが目立つくらいで人は少なかったが、旧街道、甘酒茶屋周辺は中高年のハイキング姿の人たちが結構歩いている。徒歩で登ってくる人たちは大変だなと思いつつ、坂道をゆっくりと”チビよん”で下っていると、大きな石碑を発見。慌てて停めると、やはりガイドブックに出ていたとおりのものであった。石碑の字が薄くてよく読めないが、「笈平 親鸞聖人御舊蹟 性信御房訣別之處」と書いてある。大正10年建立のようだ。聖人が関東から帰洛する途中、ここまで付き添ってきた性信房に愛用の笈などを譲り、関東布教を託して別れた場所だという。性信房という方は、京都や越後遠流の時代も含め、ずっと聖人に随伴していた方のようである。箱根の山は昔も今も天下の険である。ここまで一緒に歩いてきて、ここでお二人がどんなに辛い思いをして惜別されたかを考えると、真に胸に迫るものがあった。

総走行距離 約110km