京から以前 紀伊守《きいのかみ》であった息子 その他の人が迎えに来ていて 源氏の石山詣《もう》でを告げた。 途中が混雑するであろうから、 こちらは早く逢坂山を越えておこうとして、 常陸介は夜明けに近江《おうみ》の宿を立って 道を急いだのであるが、 女車が多くてはかがゆかない。 打出《うちで》の浜を来るころに、 源氏はもう粟田山《あわたやま》を越えたということで、 前駆を勤めている者が無数に東へ向かって来た。 道を譲るくらいでは済まない人数なのであったから、 関山で常陸の一行は皆下馬してしまって、 あちらこちらの杉の下に車などを舁《かつ》ぎおろして、 木の間にかしこまりながら源氏の通過を目送しよ…