パコと魔法の絵本

今日は敬老の日で休みなんだけど、あまり天候がパッとしないので家族で「パコと魔法の絵本」を見に行くことにした。

実を言うと、前作「嫌われ松子の一生(2006年)」の例もあることから、心配性の俺としては中島哲也作品を娘と一緒に見に行くことに関し、若干の懸念が無いでもなかった。まあ、妻も娘も「下妻物語(2004年)」は面白がって見ていたので大丈夫だろうとは思いながら、やや不安な気持を抱きつつ映画館へ。

ところが、そんな俺の心配をよそに、館内に入ってみると、もう回りは小さいお子様連れの家族客でいっぱい! このポケモンアンパンマンかという予想外の展開に“お前ら、中島哲也を舐めていると後で痛い目に遭うぞ”って内心思いながら鑑賞を始めた訳であるが・・・

まあ、今のお子様たちはオカマネタくらいでは驚かないだろうし、懸念された下ネタとか、ロリっ気とかも一切排除されていたため、残念ながら(?)最後まで館内のお母様方が顔面蒼白になるような事態に立ち至ることもなく上映は無事終了。例によって俺の心配は杞憂に終わった訳であるが、うーん、その分、大人が見るのにはちょっと物足りなかったかなあ。

当然、パコの愛読している童話を劇化し、それを医師や患者たちが演じる劇中劇が本作のクライマックスになる訳で、CGなんかも取り入れたそのシーンはなかなか見応えのあるものに仕上げられていたと思うが、そこにたどり着くまでが長すぎることもあって、正直、見ていて途中で飽きてしまう。

このあたり、現実パートとファンタジー・パートとの描き方にもっとメリハリを付けるとか、前半の方にもちゃんとした見せ場を配置するとかいった工夫が必要だったんじゃないんだろうか。元々は舞台劇だったということであるが、本作を見ながら、“これ、舞台で見た方が絶対面白いだろうなあ”っていう考えがどうしても頭から離れなかった。

ということで、映像は凝っていて奇麗だし、主演の女の子も可愛かったので、まあ、悪い映画ではないと思うが、結局は毒のない単純な感動モノになってしまっているあたりは、あくまで“個人的には”であるがいささか期待ハズレ。うーん、中島監督ってこれから何処へ行こうとしているんでしょうか。

 気儘時代

1938年作品
監督 マーク・サンドリッチ 出演 フレッド・アステアジンジャー・ロジャース
(あらすじ)
歌手のアマンダ(ジンジャー・ロジャース)と婚約中である弁護士のスティーヴは、彼女の気まぐれによってなかなか結婚話がうまく進まず、この頃ちょっとノイローゼ気味。止む無く、親友で精神科医のトニー(フレッド・アステア)に相談し、彼女の精神分析をしてもらうことになったが….


アステア&ロジャース・コンビによる主演第7作目。

この頃のハリウッド作品には精神分析をネタにしたコメディが少なくないが、本作もそんな中の一本。珍しく精神科医に扮したアステアにより、ロジャース扮するアマンダが笑気ガスを嗅がされたり、催眠術をかけられたりと散々な目に合されるっていうあたりが、本作の笑いどころになっている。

DVDに収められていた作品データによると、この笑気ガスを嗅がされたアマンダが街中で大暴れするシーンはロジャース自身の要望により追加されたシーンらしいが、後に出てくる催眠術のエピソードと内容的にカブってしまい、作品全体の構成からいうとちょっと蛇足の感が無きにしもあらず。ただし、前者のシーンのほうが面白いのも事実であり、「少佐と少女(1942年)」や「モンキー・ビジネス(1952年)」における彼女の演技の原型を見ることができる。

お二人のダンス・シーンは相変わらず見事なものであるが、特に、アマンダの夢の中で二人が踊るシーンは、スローモーションで撮られているのにもかかわらず、細かなミスとかがまったく見当たらないという程の凄まじさ。まあ、こういったシーンを採用すること自体、彼等の自信の現れでもあるのだろう。

一方、弁護士のスティーヴに扮するラルフ・ベラミーであるが、これがどう見ても弁護士には見えないタダの木偶の坊。まあ、アステアの精神科医も“らしくない”という点では五分五分なんだけど、ベラミーの方は踊る訳でも歌う訳でもないのに、なんでこんなパッとしない俳優をもってきたのか理解に苦しむ。

ということで、本作を見て、「コンチネンタル(1934年)」や「トップ・ハット(1935年)」に出演していた例のコメディ・トリオの素晴らしさを改めて思い知らされた次第。次は、そのうちエドワード・エヴァレット・ホートンとエリック・ブローアの二人が共演している「踊らん哉(1937年)」を見てみようと思います。