苗場山
今日は、休みを取って日本百名山の一つである苗場山を歩いてきた。
最近は休日出勤の予定が多くてストレスも溜まり気味。もう紅葉は終わっているだろうが、晩秋の湿原を歩くのも一興かということで、長らく“歩いてみたい山リスト”の上位に名を連ねていた苗場山に白羽の矢を立てる。本当はもっとトレーニングに役立つような山を選ばなくては駄目なのだが、まあ、今回はストレス解消を第一の目的にして午前5時半頃に祓川コース登山口がある第2リフト町営駐車場に到着する。
シーズンオフの平日にもかかわらず駐車場には10台くらいの車が止まっており、この山の人気の高さを再認識。身支度を調えてから5時44分に駐車場を出発し、トイレ右手の登山口から祓川コースに入るが、途中で舗装道路に出るまでは狭くてぬかるんだ泥道であり、これならちょっと遠回りしてでも最初から舗装道路を歩いた方が良かったなあ。
その後、しばらく舗装道路を歩いて行くと左手に和田小屋らしき建物が見えてきて、その前方に“苗場山頂4時間”の表示がある苗場山登山口(6時2分)があった。最初はスキー場のゲレンデを歩いて行くが、間もなくルートは樹林帯の中に入っていき、大きな石のゴロゴロした斜面を黙々と上っていく。
傾斜はそれ程でもないし、必要に応じて飛び石伝いに歩けるのであまり苦労はしないのだが、日陰ということで石が濡れて滑りやすくなっているのが玉に瑕。右手に見えている中尾根上にルートを作ってくれればもっと気持ち良く歩けるのになあと考えながら、6時41分に下ノ芝。ここまでの時間が実際以上にとても長く感じられた。
7時ちょうどにリフト最上部を通過すると、森林限界が近付いてきたせいか樹木は次第に疎らとなっていき、視界が広がってとても良い気分。中ノ芝(7時6分)〜上ノ芝(7時15分)〜小松原分岐(7時20分)と進むに従って傾斜も緩まり、快適なハイキングを楽しむことが出来るのだが、股スリ岩(7時23分)の前後から視界がガスに遮られるようになり、神楽ヶ峰(7時31分)に着いた頃には周囲は真っ白で何も見えない。
その先からルートは下りに転じるが、富士見坂(7時39分)の手前付近まで下りて行くとようやく目指す苗場山がその姿を現し、山頂付近を覆っている雲はそのうち風が吹き飛ばしてくれそうな予感。雷清水(7時41分)〜お花畑(7時44分)を過ぎると再びルートは上りになるが、ここを上ってしまえば山頂はすぐそこであり、雲尾坂(8時00分)を喘ぎながら上って8時11分に湿原に出る。
上空にはまだ雲が多いもののガスはすっかり消え失せており、広大な湿原の景色を目の前にして思わず足が止まる。写真を撮りながらゆっくり木道を進み、最初の分岐を右に入ったところが苗場山(2145.2m)の山頂であり、木道を外れたちょっと見つけづらい場所に立派な標柱(8時17分)が立っていた。
さて、山頂があるのは広い湿原の北の端であり、ここで終わりにしてしまってはもったいないということで、事前学習で学んだ記憶のある祠のところまで歩いてみることにする。山頂ヒュッテ(8時19分)の先にある案内図は縮尺が合わずに役に立たなかったが、一本道の木道では道迷いの心配は無用。小赤沢方面へしばらく進んだ先の分岐(=いつしか表示は新潟県から長野県に変わっていた。)を左に入った木立の中に苗場神社(8時34分)が建っていた。
湿原の風は冷たくて、途中からユニクロのペラペラダウンを着用して歩いていたのだが、神社の先の一段低くなった場所では木立が風除けになってくれるので休憩にはうってつけ。ザックを下ろし、カップラーメンとスティックコーヒーで体を温めながらゆっくり休憩を取った。
この先にも湿原は続いているのだが、あまり下ってしまうと山頂への上り返しが大変ということで、再出発(8時52分)後は往路を引き返し、ヒュッテの前から山頂を経由しない方の木道を辿って湿原を後にする。この頃になると上空にはきれいな青空が広がっており、往路ではいまひとつパッとしなかった周囲の風景を眺めながら楽しく下山。本日の総歩行距離は16.0kmだった。
再出発(8時52分)〜ヒュッテ前(9時12分)〜お花畑(9時42分)〜神楽ヶ峰(9時59分)〜顕彰之碑(10時9分)〜上ノ芝(10時13分)〜中ノ芝(10時24分)〜下ノ芝(10時42分)〜登山口(11時15分)〜駐車場(11時28分)
ということで、予想どおりトレーニングにはあまり役に立たなかったが、(中ノ芝から上は)とても快適なハイキングコースであり、花か草紅葉の時期にでもまた歩いてみようと思う。ちなみに、山頂の湿原ではスマホは繋がらないので、自宅へのメールは上ノ芝付近で済ませておく必要があります。
グッバイ、レーニン!
2003年作品
監督 ヴォルフガング・ベッカー 出演 ダニエル・ブリュール、カトリーン・ザース
(あらすじ)
1989年の東ベルリン。熱烈な社会主義者であるクリスティアーネ(カトリーン・ザース)は息子アレックス(ダニエル・ブリュール)が反体制デモに参加して警察に逮捕される現場を目撃し、ショックのあまり心臓発作を起こして昏睡状態へ。それから8ヶ月、彼女が奇跡的に意識を取り戻したときにはベルリンの壁の崩壊など社会は大きく変わっていたが、再発を恐れるアレックスはその事実を母親に伝えることが出来ない….
ベルリン国際映画祭でヨーロピアンフィルム賞に輝いたコメディ映画。
1989年というのは東西ドイツにとってまさに激動の年であり、10月18日のホーネッカー書記長の失脚や11月10日のベルリンの壁の崩壊等、極めて短期間の内に東ドイツの社会主義体制の実質的な解体が進み、その勢いはそのまま翌年10月3日の東西ドイツの統一へと繋がっていった。
このような(社会主義者にとっての)悲劇的事実を知ることに母親の弱った心臓が耐えられるはずは無いと考えたアレックスは、彼女を自宅に引き取り、外部からの情報を遮断することによって旧来の社会主義体制がそのまま維持されているように装うことを決意。しかし、身近に押し寄せる資本主義の大波のパワーは強烈であり、それを押し返そうと努力する彼の涙ぐましい奮闘ぶりが観客の笑いを誘う。
まあ、最初の15分くらいは主人公アレックスの決して幸せだったとは言えない幼年時代の描写に始まり、母親の発病、看護と結構シビアなシーンの連続なのだが、そんな重苦しい雰囲気を一掃してくれるのが、母親から真実を隠すためにアレックスがでっち上げたインチキなニュース映像の数々。
窓の外に掲げられたコカコーラの宣伝幕について“コカコーラは実は東ドイツの発明品だった”と説明し、また、街中で見掛けるようになった大勢の西ドイツ人のことを“社会主義の理想に共感した西側からの亡命者”と呼ぶなど、インチキとはいえそのユニークな発想には思わず感心してしまう。
ということで、そんなインチキニュースの最後を飾るのは、“開かれた社会主義”の当然の帰結として説明される東西ドイツの(もう一つの)統一。本作は本国ドイツでも記録的な大ヒットになったらしいのだが、その要因は東ドイツへの単なる“郷愁”だけでは無かったような気がします。