衛生兵衛生兵
助けてください、花粉やばいです
鼻づまりを改善するスプレー型の点鼻薬(個人的に「鼻シュッシュ」と呼称)を愛用していたんだけれど、最近効き目が薄れてきた。
初めてあれ(鼻シュッシュ)を使ったときの衝撃といったらなかった。
天地がひっくり返っても治らないと思われた鼻づまりが、数秒でアラ不思議、祝・青函トンネル開通★
でしたが……
そもそもね、化学的な薬品というものに、根本的な不信感がある。
小さい頃からアトピーもちのダニアレルギーもちで、十年一昔という風情の耳鼻科と、偏屈な眼科と、ヤブじゃないかといまでも思い出す皮膚科に通い続けていた。
甘ったるい子ども用の薬に用はないと言って、苦くてのどに引っかかる粉薬を、週に何包も、何年も飲まされて、僕の中ではすっかり、「薬というのは効かないもの、せめて悪化を防ぐためのもの」という認識が構築されていた。
子どもの頃のうちの玄関には、どこでもらってきたのか背丈ほどもあるアロエの鉢がどんと置いてあって、風呂あがりには母親が、その肉厚の葉を切って表面をはがしては、僕がかきむしった傷跡にぴとぴとと葉肉を塗りつけていった。
ステロイドは悪いからという理由だったけれど、冷たくて時々トゲがチクリとするアロエは、子どもだった僕にひとつのメッセージを与えてくれた。
――薬には、自然のものと、そうでないものの二種類がある。効き目はどちらも、大したことない。
大人になって、錠剤や栄養ドリンクに盲目的な信頼を寄せる人たちに囲まれ(塾通いの小学生向け栄養ドリンクにはびっくりした)、またそれなりに名医とされる医者にかかることもあって、薬に対する不信はすこし和らいだけれど、決して信頼しきるということは今後もないだろう。が。
それでも、鼻シュッシュの威力はすごかった。
鼻の穴を強引にこじ開けているのだろうか。粘膜を麻痺させているのか。鼻水を化学的にどうにかしてしまうのか。
僕は感動してしまって、暇さえあれば人目もはばからずシュッシュ、シュッシュとやり始めていた。
そして、鼻シュッシュは、期待通りに鼻の通りをスッキリさせ続けた。
それが、効かなくなってきた。
効くことは効くのだけれど、もうあの感動は遠い過去のものだ。耐性という奴か、こいつとは仲良くしたいような、今は距離を保っておきたいような……
そこに昨日アドバイスされたのが、「水通し」だった。
何のことはない、飲み水を両手ですくう要領で、その水をそのまま「鼻で飲む」だけのことだ。
花粉症関連では何年かぶりで、本気で感動した。
これ、効く。
教えてくれた人は「高校時代からやっていた」ということだが、そんなライフハックは僕の周りにはどこにもなかった。まあ花粉症を発症したのは20歳の時だったけれど。
シャー
ジュワワ、んぐっ ←息を止めて鼻に水を入れる音
めっちゃ、ツーン
それだけだ。
ああ、それだけだ。それだけだ。
うひゃっはー、快適。
今年はこれで乗り切れますように。
R.I.P.I.E.6.
IE6の葬儀、しめやかに - コロラド州デンバー / CNNサイエンス
http://www.cnn.co.jp/science/CNN201003050026.html
招待状にはIE6の「死因」などについて、「インターネット上で8年以上にわたる住民だったインターネット・エクスプローラー6は2010年3月1日の朝、カリフォルニア州マウンテンビューにあるグーグル本社内で、業務上の負傷により亡くなった」と説明された。
いわゆるプニル厨というやつで、もう8年ぐらいはこの日本発のタブブラウザ(Sleipnirのことです)に世話になっている。
ということはIEコンポーネントには並々ならぬ世話になっているわけで(直接は起動しないんだけれど)、もはや滅んでいくしかないようなIEの近況にはすこしばかり胸が痛い。なんて。
OperaもFireFoxもChromeも、ちょうどflickrやtwitterと同じように僕の胸には響かなくて、僕はますます意固地になって、sleipnirに固執しつつphotologueやtumblrに手を出してはウーム、なんて唸っている。
このあたり、意地でもドコモの携帯に手を出さないのと同じで、なんというかジャイアンツアレルギー(昭和的な意味で)にちがいない。
こういうことを書き留めておくのは楽しい。今も、「Sleipnir 1.43が発表に!」「作者の家に空き巣、Sleipnir開発停止」なんて書いてた昔の日記(2003年とか04年の話)を読み返して、いろいろとニヤニヤしてた。俺変態。