■ロシア人とその他の民族との格差■
自分たち民族内部の経済的・身分的格差よりも、ロシア人たちとの格差の方が広かった。ゆえに、スルタンガリエフは、まず先にこの格差を解消する、そうすれば、共産主義は進む、と主張したのです。ツァリーズムに圧迫された民族内部の「階級対立」は、かれらが植民地主義者や大ロシア排外主義者たるロシア人ブルジョアまたは末端の入植民に対抗して、「プロレタリア民族」として一緒に行動するのを妨げるほど鋭くなかったからである。 (193頁)
スルタンガリエフの主張は、ウクライナ人やユダヤ人やムスリム諸民族の琴線に触れます。彼らもまた、自分たち民族内部の経済的・身分的格差よりも、ロシア人たちとの格差の方が広かったからです。
■マイノリティとしてのタタール、及びスルタンガリエフが共産主義を取り入れた意味■
十八世紀末までに、現在のタタール自治共和国にあたる領域一円に大きな人口構成の変動が生じた結果、ロシア人が住民人口の大多数を占めるようになった。(中略)この比率は総人口の増加にもかかわらず、スルタンガリエフが生まれた頃も基本的に変わらないまま革命にいたっている。 (62頁)
ロシアによる植民などの経緯もあり、例えば現タタールスタン自治共和国の一帯においては、多数派はロシア人であり、タタール人は、それに順ずる構成でした(ロシア50、タタール40位の割合)。しかも、タタール人たちはロシア各所に散らばり、一定の箇所で凝集して存在しているわけではありませんでした。内地ロシアから中央アジアにかけて「ディアスポラ」の状態にあったタタール人は、ユダヤ人と同じく「一定の領土をもたない民族」だと考えられており、ヴォルガ中流域でかりに自治領土がつくられたとしても、多数派を占めるのはロシア人になるはずだったからである。そして、一九二一年に実際にそうなった。 (145頁)
この比率ゆえに、スルタンガリエフは、イスラームとタタール・ナショナリズムにプラスして、共産主義も唱える必要性があったのでしょう。もし、彼らが多数派なら、イスラームとタタール・ナショナリズムだけでも、十分に反抗できたはずです。それをしなかった(できなかった)のは、ロシア人たちの経済的及び数的な優位によるものだったはずです。
多数派であるロシアに対して、イスラームとタタール・ナショナリズムによって自分たちの集団的アイデンティティを保持して対抗しつつ、その数的不利を挽回すべく「平等」・「普遍」理念としての共産主義をも摂取した、と考えられるのではないでしょうか。同化を防ぎ、しかし数的不利にも対応するやり方。あくまで仮説ですが、スルタンガリエフが共産主義を取り入れることの必然性は、(本人がどう考えたかはともかくとして)以上のようなかたちで説明できるかと思います。
■ロシア支配の中の「文明」的タタール人■
タタール人、なかでもヴォルガ・タタール人は、広く中央アジア一帯に生活する民族であり、ユダヤ人と同じように、地域的なまとまりはできにくい存在でした。そんな彼らがアイデンティティを保てたのは、?イスラーム、?チュルク=タタール語、に加えて、?ロシア人の征服者への憎しみ、という三つの要因があったのです。ディアスポラ(離散)の状態にありながら、タタール人が民族的に凝集したアイデンティティを持ちつづけることができたのは、イスラム信仰と、文明語として熟していたチュルク=タタール語への執着のためであった。それにタタール人の民族意識をたえず覚醒させた別の要素も忘れてはいけない。ロシア人征服者に対する憎悪と怨恨という心理的な要素も。 (61頁)
チュルク=タタール語が「文明語」とされるのは、エカチェリーナ2世らがこれまでのイスラーム弾圧政策を改め、「「文明」化したムスリムであるタタール人のイスラム信仰を保護し、いまだ「野蛮」な中央アジアやカフカスのムスリムの教化にあたらせようとする政策に転じた」(「Wikipedia:タタール人」)という事情によるものです。
「ロシア帝国政府は、タタール人を警戒しつつも、中央アジアを「文明化」するために彼らを利用した」というわけです(松里公孝『エスノ・ボナパルティズムから集権的カシキスモへ』第4章)。彼らタタール人は、単に「抑圧される側」というふうには括れない存在なのです。タタール人は、対ロシアでは抑圧される側でしたが、バシキール人など少数民族に対しては抑圧する側へと変容しうる存在でした(注1)。
(続く)
(注1) タタール人は、「膨張的であり、周囲の住民を不断に同化してゆく」だけの勢力を持った民族でした(上掲松里論文、第4章)。つまり、「タタール人」とは、血族的・遺伝的に先天的に存在するのではなく、言語的・文化的な類似性や、集団的アイデンティティの共有などによって、後天的に存在するものなのです。まさに、「タタール人として生まれるのではなく、タタール人になるのである。」