ギリシャ時代は生を軽んじていた?

同じ「〈個〉からはじめる生命論」の中でギリシャ時代の話も出ていて、それによるとギリシャ時代というのは世俗的な労働とか食とか生きていく為のことは疎んぜられ生は維持するための厄介ごとだと思われていた? 彼らにとって尊い事は純粋な議論、論理を展開する思考、推論。一日中それだけやっていたい、肉体を離れ思考だけの存在でありたいと願ったのか。あ、でも肉体美を賞賛するオリンピックなどもあったがあれはスパルタの話なのか。犬儒派なんて人がいたのだからそう思う人もいただろう。じゃあギリシャ時代にインターネットがあったらギリシャの哲学者たちは狂喜乱舞しただろうに。まさにヒッキーでニートでネットジャンキーな存在が彼らの姿じゃないか。現代ならソクラテスプラトンも食べる間も惜しんでハンバーガー片手にブログで議論しているに違いない。瞬時に誰とでも議論できる環境は彼らの夢でもあったろう。全くこれだけの環境が揃いながらまともな議論ができない実態を嘆き悲しんでいるに違いない。