ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

難病「後腹膜平滑筋肉腫」と戦う吉野ゆりえさん

 朝日夕刊ニッポン人脈記「がん その先へ」シリーズの第三回を読みました。そこに登場している主要な人物は吉野ゆりえさんです。
 新聞や彼女のブログサイトを見ますと、大分県出身で筑波大学在学中にミス日本となり、また競技ダンスのプロともなりました。卒業後本格的な活動をすべく、英国に留学しています。ロンドンでの大会でチャンピオンの経験があり、全日本選手権でも最終候補者として残っています。競技のパートナーと結婚し、20代の終わり位までは、幸福の絶頂にいた事でしょう。
 しかし残念ながらそれは長く続きませんでした。33歳で離婚し、プロ引退も余儀なくされたと新聞にあります。その落差は彼女に大きなストレスを与えた事でしょう。彼女の身体に極めて悪い影響を与えたと思われます。しかしダンスの道は諦め切れず、その教師として新たな出発をしました。
 そうした中、2005年1月に腹痛を訴え、都内の病院に入院しました。最初の診断では「良性の腫瘍」と言われて手術を受けたのですが、結果は「平滑筋肉腫」、悪性のものでした。彼女のブログを参照しますと、10万人に1人の割合で発症する極めて稀有な病気で、「後腹膜という場所の、平滑筋といわれる筋肉の肉腫が原発巣である『後腹膜平滑筋肉腫』が私の病気です」とあります。当時その研究は少なく、有効な治療法もなかったようです。手術は事実上の「失敗」に近いと思われ、骨盤内への大規模な「播種」が生じてしまったそうです。
 当然再発が起こり、再度の手術となりました。60個の腫瘍を摘出、寛解して退院したようですが、都内のマンションで自分の病気が一体どんなものなのか、サイト検索をしていて、やっと真実を見つけました。5年生存率が7パーセント、一桁でした。年末年始と3日間彼女はベッドで泣き続けたようです。
 それは聖書のユダ王ヒゼキヤのようでした。彼は自分の民を結束させ、攻めて来たアッシリヤに大勝利しました。その栄光は主である神に帰するべきものでしたが、どうも後のほうの記事を見ますと、彼は「慢心」しやすい、ぶれる信仰者だったようで、それが主のみこころを損ねたような感じです。たぶんそれで主は彼に試練を課されました。悪性の腫瘍を与えられたのです。死にかかっていた彼への残酷な宣告は「あなたは死ぬ。直らない」(列王第二20:1)でした。
 この突然の宣告に直面した彼は、人目もはばからず「大声で泣いた」(同20:3)とある通りです。
 吉野さんは思い切り泣いた後ふと思い直しました。「泣いて治るわけではない。笑って生きたい。再発したら取ればいい。無理なら、その時考えよう」と。
 それから彼女は盲学校で「ブラインドダンス」なるものを教えるようになりました。それが彼女のライフワークです。その後彼女は7度も再発転移の手術を受けました。しかし5年生存率7パーセントを克服し、現在5年半を経過したそうです。
 2008年には『5年後、私は生きていますか?』というドキュメンタリーが放映され、同時に『いのちのダンス〜舞姫の選択〜』という本も出版しています。さらに「日本に『サルコーマ(肉腫)センターを設立する会』」も立ち上げました。そして朝日の最後部には「納得して治療を受け、納得のいく人生を洗って送りたい。何か生きた証を残し、誰かを救えたらいいな」という彼女の願望が記されています。
 勿論彼女の生き様が難病の肉腫にかかった人の励ましとなるのは間違いないでしょう。笑って前向きに納得出きる人生を送るという決心も同様です。
 しかし私には一抹の不安があります。伝道者ソロモン(たぶん)はこう聖書で記しています。
 「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く」(伝道者の書7:2−4)。
 ここで知恵ある者は「主を恐れる」(箴言9:10)者、つまり信仰者です。その方に背いてただやみくもに「笑いは悲しみにまさる」でよいのでしょうか。遠からず誰にも到来する死、これと救い主イエス・キリストを見据えた上で、笑う前向きな証の人生を送る事こそ、他人の心を救い主に向けさせ、救いに至らせるのではないでしょうか。吉野さんには笑いの人生+そのために十字架で死んで下さった悲しみの救い主への信仰が得られれば最高だと信じます。