ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原子力空母ロナルド・レーガン号の問題

 「さあ、立ち去れ。ここはいこいの場所ではない。ここは汚れているために滅びる。それはひどい滅びだ」(ミカ2:10)
画像はウイキより。
 既に9月23日のさようなら原発さようなら戦争集会に参加した時、横須賀に原子力空母ロナルド・レーガン号が寄港する事に反対している呉東正彦弁護士の訴えを聞き、同日のブログで記しました。
 マスコミはこの空母が横須賀に常駐した場合、この空母搭載の原子炉が爆発したら、風下半径8キロに住む人々は全員死亡、60キロ圏でも急性障害を起こす(東京新聞)といった脅威に重点を置いて報道しています。しかし毎日新聞サイトで「11年3月の東日本大震災では、米軍の災害救助支援『トモダチ作戦』の主力艦を務めた。一方、震災当時の乗組員が福島第1原発事故で飛散した放射性物質で被ばくして健康被害を受けたとして、東京電力などを相手取り米連邦地裁に集団提訴している」という点に触れてはいるものの、他紙も含めその実態をあまり突っ込んで報じてはいません。
 呉東弁護士は米国にまで行って真相を確かめたようです。9月23日までの時点で死者3人と言っていましたが、ネットではそれまでに2人となっているので、もしかしたら聞き逃したかも知れません。以下の文章も英文・邦文資料で若干の日付の違いがありますが、だいたい真相は合っていると考えています。
 レーガン号は3月11日福島原発事故が起きた後直ぐ、他の艦船と共に、いわゆる「トモダチ作戦」に参加しました。搭載のヘリコプターが活躍し、支援の為の物資を運んだりしていたようです。
 ところが3月13日フクイチ1号機の爆発による放射能プルームの直撃を、原発から3.2キロ離れた三陸沖で受けました。このプルームですが、ネットの多くのサイトを参照してみると、水兵たちは甲板の上に突然強い放射性物質を含む生暖かい雲が降り注いだと証言しています。英文ではそれに「金属の味」(アルミのホイルを焼いたような)がしたと記されています。金属の焼けたような臭いは、飯館村でもしたとの証言があります。*原爆投下時、スリーマイルアイランドの事故、第五福竜丸被ばくの時も同様。
 その時被ばくしたレーガン号には約5,500名の水兵たちらが居ました。そして作戦から戻って来たヘリコプター(時点はいつだか不明)の放射能測定値は何と毎時4シーベルトだったそうです。ちなみに4シーベルトでは50パーセントの人が死亡するといわれています、東海村の事故で篠原さんは6〜10シーベルト浴びて亡くなりました。
 それでレーガン号は危険を察知して福島の現場を離れるのですが、160キロ離れた洋上でも高い線量を観測しました。これは放射能プルームが3月15日東京に届いた距離でもあります。

 この為3月23日放射能汚染を除去する為、水兵たちが大挙して甲板をごしごし洗ったのですが、その時に少なくも2,000人以上が被ばくしました。防御服もヨウ素剤も配布されないままだったので当然の事です。それで呉東弁護士の話では、呼吸器系・消化器系・妊娠異常・甲状腺癌などの身体の異常が多発しており、既に2名の若い兵士が「骨膜肉腫」と「急性白血病」で死亡したそうです。一方放射能プルームは風向きが変わり、原発から飯館方面に流れましたが、同じように相当な線量を浴びた避難の人々、これからが心配です。
 貧困で放射能の知識もあまりなかった被ばく水兵たちは、海軍を訴えようとしましたが、何事もなかったという誓約書を書かされたので諦めました。しかしこうした深刻な病気に対して米国では治療費が払えないので、2012年12月に矛先を東電に向け、損害賠償を求めてサンディエゴの地裁に提訴しました。東電の対応は裁判の却下と引き伸ばし作戦だったようです。その原告団は昨年250名近くに達し、現在も増えそうな気配です。
 これだけの被ばくをしたレーガン号と水兵たち、米国に帰るまでの間、日本は勿論、韓国やギャム島でも寄港を断られ、2ヶ月後やっとサンディエゴに寄港したそうです。しかし除染や改修が不可能なほどで、廃艦にして深海に沈める案も出されていました。
 けれども「もったいない」ので、今回汚染状況が不明のまま、横須賀に寄港する事になった次第です。乗組員は全員交代したようですが、福島の20キロ圏内の汚染と同じで、「永久寄港困難空母」の筈です。加えて原子力ですから、その爆発の危険性もあります。これは米国と安倍首相の「トモダチ作戦」と言えないでしょうか?
 横須賀での寄港反対の戦いは、これからもっと先鋭になる筈です。