ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『原発プロパガンダ』(本間龍著)

 わたしはあなたの名を代々にわたって覚えさせよう。それゆえ、国々の民は世々限りなく、あなたをほめたたえよう」(詩45:17)。
 プロパガンダ(=宣伝)は、ヒットラー政権でのみ使われていたと思っていました。
 しかしなんと現代日本でも、こと原子力発電所に関しては、国から電力会社、原子力専門家、一部の医療機関などに至るまで、徹底したプロパガンダを行なって来て、原子力は絶対安全、事故など起こるはずがないといった観念を、国民の隅々に至るまで植え付けて来たのです。それは主として電通博報堂という二大広告代理店を通して実施され、膨大な広告宣伝費が投入されて来ました。それを告発したのが、上記岩波新書の著者本間龍氏でした。本間氏は博報堂に長く勤めていたので、手に取るようにその事実を私たちに知らせてくれました(*博報堂原発事故後の2013年に原発推進団体加入)
 とりわけ東電はたちが悪く、反原発を貫く学者らの発言をテレビや新聞が大々的に報じると、「提供が決まっていた広告費を一方的に引き上げる」などの措置を講じて、そうしたマスメディアを萎縮させ、窮地に追い込んでいました。その結果現在は「自主規制」という形が採られています。なるほどと思いました。福島では民報・民友の2大地方紙が事故前は東電の意向に沿った報道をしていました。2016年に福島に引っ越して来て初めて民報を購読してみました。上記2紙は現在福島復興、風評払拭など、政府の趣意の記事を多く掲載しています。
 朝日新聞は本間氏の考え方の通りに進展しています。今年3・11当日、数段にわたる1面の見出し記事はありませんでした。1頁2頁にもわたる心地よい広告が目立ち、まるで広告費の収入が減る事を懸念し、自粛したような印象でした。NHKのラジオやテレビは、政府の思惑を忖度しているような感じで無味乾燥です。
 では最近の東電はどうでしょうか?震災のダメージが大き過ぎて、原発推進戦略はもう終わったかと言いますと、そうではありません。2017年12月原子力規制委員会新潟県柏崎刈羽原発6,7号機の再稼動を認めましたが、それは東電を大いに勢いづけたと思います。そして福島第一原発の近くにある第二原発についても、県知事や県民の大多数が廃炉を求めているのに、絶対首を縦に振りません。再稼動させるつもりであるのは明らかです。さらに今年3月末廃炉になると経営が破綻する可能性のある東海第二原発の資金援助を決めています。元はと言えば総括原価方式とやらで、私たちが東電に支払う電気料金からも捻出出来るからです。あの大事故にも関わらず、資金は豊富にあるのです。
 今東電は直接表に出て来なくても、復興庁その他が乗り出して「再稼動」の大合唱をしてくれるので助かっています。この本の半ばに日本原子力文化振興財団原子力PA方策委員会というのが出て来ます。政府の意向を受け、既にナチスの手法を完全に模倣した指針を出しています。1991年の事ですが、一部掲げると以下の通り。
 「繰り返し繰り返し広報が必要である…繰り返し書くことによって、刷り込み効果が出る。いいこと、大事なことほど繰り返す必要がある」。
 「短くともよいから頻度を多くして、繰り返し連続した広報を行う。政府が原子力を支持しているという姿勢を国民に見せることは大事だ」。
 この手法で「安全」という言葉は使わなくなっても、「原発は日本のベースロード財源(安定供給)」などといった、庶民の分からないカタカナ語を用いた、所謂東大話法で、あの手この手の広告を考え出しています。安全神話」から「安心神話」への転換です。今も放射能汚染で苦しんでいる福島の人々に、安心を刷り込ませようとしています。本間氏は「格段に性質が悪くなった」と言っています。
 私たちは今後原発推進のあらゆる広告に注意し、抵抗する必要があります。「風に揺れる葦」(マタイ11:7)ではなく、「考える葦」(パスカル)にならなければなりません。この本の最後の言葉に注目して下さい。
 「テレビやPCの前でただ座っていたのでは、正しい情報は得られない。原発プロパガンダがそうであったように、資金を持っている政府や大企業は凄まじい量のPRで国民の意識を麻痺させようとする。それに抗う第一歩は、ありきたりではあるが個人の意識をしっかり持つことにかかっている…」。
 如何ですか?私たち一人一人が広告に真摯に向き合い、その奥に隠された意図を忖度しなければならない時代になっています。