“純福島製”ガイガーカウンターに注文殺到 2〜3か月待ち

ニコニコニュース

原発事故による放射能汚染に苦しむ福島県の人が開発した“純福島製”のガイガーカウンター「ガイガーFUKUSHIMA」に注文が殺到している。11月23日に出荷を開始したところ、すでに3000台以上の予約がはいり、納品まで2〜3か月待ちという反響だ。

 開発から製造、販売に至るまで携わっているのは福島の企業やNPO。唯一、国内での製造が難しかったガイガー・ミュラー管だけは当面、ロシア製を使うが、県内での開発のめどが立ち、12月下旬以降は“完全福島製”のモデルが発売される見通しだ。

「現状をわかっている現地の自分たちが線量計を作らなければと思った」

 開発を担当した、板金加工などを手掛ける三和製作所の社長・斎藤雄一郎さんは、経緯についてそう語る。

福島第一原発の事故以降、役所から借りた線量計は、針が振り切れて測ることができず、役に立たなかった。私にも幼稚園と中学生の子供がいますが、福島の子供たちはどんどん県外に転校していく。このままでは、子供たちのコミュニティーがなくなってしまう。何とかしなければとの思いもありました」(斎藤さん)

 原発事故以降、福島では風評被害などにより、酪農、観光、サービス業といった産業は大打撃を受けている。この上、製造業もつぶれてしまっては復興への道は閉ざされる。産業を維持する、というのも開発を決めた理由のひとつだと、斎藤さんはいう。

チェルノブイリ原発事故で、ベラルーシでは、企業が放射能による被害を逆手に取って線量計やホールボディカウンターを開発するなど、それを産業にしようという動きがあった。福島にもこうした産業があってもいいと思うんです。原発事故を機に、福島を出て海外に行った会社も多いですから、そういったことも防げるんじゃないかと」

「ガイガーFUKUSHIMA」は1万8800円で、iPhoneに接続して放射線量を測定するタイプは9800円。注文は、NPO「営業支援隊」が窓口となってインターネットで受けつけているが、三和製作所には「インターネットは使えない」と買い求めにくる高齢者など、直接訪れる人も少なくないという。中には「一刻も早く欲しい」と毎日通う人もおり、「現状を訴えながら泣いてしまう人も多いです。自分たちの周りの放射能の状況を早く把握したいというかたばかりです」と斎藤さんは語る。

 ガイガーカウンター本体には「FUKUSHIMA」の文字と地図がデザインされ、液晶モニターのスタート画面には福島県の形が浮かび上がる。“フクシマ”の誇りと技術の結晶で、復興と県民に少しでも安心を――そんな開発者たちの思いが込められている。

 野田首相の「捨石発言」に国難を見る

天木直人ブログ

私はきのう(12月3日)のメルマガ第484号で、野田政権は
先が短いと書いた。
それは防衛大臣の問責決議案成立必至の情勢であるからだ。
それよりも何よりも民主党内部で野田首相を支える者がいない
からだ。
これでは野田政権はもたない。
そう思ったいたら、一夜明けたきょう(12月4日)の朝刊を見て
驚いた。
野田首相は3日夕、都内のホテルで開かれた中小企業経営者の
会合に出席し、消費税増税やTPP交渉参加について「不退転
の覚悟でやりたい。捨石になってけりをつける」と強調したというのだ。
捨石という言葉を使った。
この言葉によって野田首相はみずから先が短い事を認識している
のだろうか。
私の書いたとおりの政局になるのだろうか。
とんでもない。
むしろ逆である。
彼は何があっても消費税増税とTPP交渉参加をやると言っているのだ。
消費税増税とTPP交渉参加を決めてからでないと決して辞めない、
辞めさされることはない、と言っているのだ。
どんなに反対があっても、消費税増税とTPP交渉参加は決めた以上
それに従って走りだす。
走りだせば誰も自分を辞めさせるわけには行かない。
たとえ辞めざるをえなくなっても、その後に誰が自分の後を継ごう
とも、自分が引いたレールを簡単には覆せない。
そんなエネルギーのある政治家はいない。
自分の決断が歴史に残る決断になるのだ。
野田首相はそう言っているのである。
これが野田首相の「捨石発言」の真意である。
おそるべし。野田首相
その背景には、野田首相をそこまで強気にさせているものがあるに
違いない。
こんままでは、どうやら日本国民は野田首相の手で完全に価値観の
異なる二つのグループに分断されてしまう。
これは大袈裟に言えば国難である・・・

この続きはきょうの「天木直人メールマガジン」で書いています。

その他にも多くのテーマで日本をとりまく状況を解説しています。

申し込みはこちらから ⇒ http://bit.ly/arIQo1

迫り来るファシズムと対峙するために 1

反戦な家づくり

長いことブログの更新ができていない。
あまりにも忙しく、これ以上寝る時間を削ったら倒れるという事情もあった。

が、それ以上に、「非道い話」ばかりを書くのがつらくなった。
どんなに端緒でも、「ではどうするか」を書きたい、と思っているうちに、どうして良いのか分からず時間が過ぎていった。

一難去らずにまた一難。日にち薬で良くなるどころか、事態は悪化しつつ、次々と新たな厄災がおしよせる。
自国民を、納税マシーンとしか思っていない政権のもとで、被災者はうち捨てられ、被爆者は存在していないことにされ、穴の開いたままの原子炉が「順調に収束しつつある」ということになっている。

何か一つの問題に取り組むのは、元気も出るしファイトもわく。しかし、これほどに何もかも、ありとあらゆる攻撃にさらされると、弾を避けるのも突撃するのもままならない。ごまめの歯ぎしりをギリギリと続けるしかないのである。

こんな時は、いや、こんな時だからこそ、どう生きるのか ということを考えたい。

何をまだるっこしいことを言っているんだ とお叱りを受けるだろう。
反戦な家づくりの明月が、この非常時に新興宗教みたいに「どう生きるか」なんて説教始めてどうする。
反対するべきもの、解明するべきことが、てんこ盛りにあるのに。

それは、本当にそう思う。
そう思うことが多すぎて、これまで批判的な論評を続けてきた人々も、対応しきれなくなっているのが実情ではないだろうか。
朝から晩まで、資料にかじりついて、パソコンを叩きまくらなくては、今表面化している大問題だけに限っても、その情報に対応しきれない。

敵はオール官僚をその手足と頭脳にして、警察や自衛隊という表の暴力装置を従え、ジャパンハンドラーズという最高顧問を擁して、国家総掛かりで体系的に悪政を進めている。
それは、逆からの革命といっても良いかもしれない。

現段階では、手足であるべき官僚組織が、むしろ手枷足枷になって、その逆革命は進み切れていない部分はある。高級官僚は完全に尖兵になっているが、末端にまでいたる官僚組織自体は、そう簡単に旧弊を逃れることはできない。
良くも悪しくも、その組織的な鈍重さが、日本を一気に北朝鮮並みの独裁国家にしてしまうことのできない原因になっている。

もし、大多数の公務員が、今と同じ程度の自己保身能力と、今と桁違いの実行力を持っていたならば、日本は全く別の国になる。強烈な国家による統制のもと、国民は税金を生み出すバクテリアのような存在となり果てるだろう。

今のところ、日本の庶民がまがいなりにも、楽しく暮らしているのは、ほとんどがこの敵失によるものだと、私は思っている。

そこで登場するのが、ファシズムだ。
愚鈍な官僚組織に任していられない。もっと一気に、「改革」を推し進めるのだ! と叫んで登場するあれだ。
もちろん、「改革」とは、税金を強制的に取り立てることであり、それを社会的な弱者には極力配分しないことだ。一切の虚飾をはぎ取れば、そういうこと。

言うまでもなく、橋下徹大阪維新の会は、まごうかたなきファシズムである。
それ以外に、定義の仕方が存在しない、典型的なファシズムだ。
古典的すぎて笑っちゃうほど、陳腐なファシズムなのである。

ファシズムが怖いのは、これほど古典的で陳腐で内実がなくても、それでも時節をとらえると、爆発的な支持を得るということ。
その意味でも、やはり橋下徹は日本が生んだ、初めての本物のファシストだ。

2.26事件の青年将校なんかよりも遙かに有能な、実際に国家権力を手中に収める可能性の非常に大きい、真性ファシストとして、私は橋下徹を「高く」評価している。
決して、侮るべからず。

繰り返しになるが、ファシズムの本性は、単なる独裁ではない。
国民の自由を抑圧し、強固な国家統制によって、国の運営をすることなのは間違いない。
ただ、それは官僚組織の肥大化と強権化によっても、なし得る。

そのかわり、官僚組織による強権国家は、小回りがきかず、腐敗が横行し、トップもころころ交代する。
要するに、すこぶる効率が悪い。

そんなやり方じゃ生ぬるい といって、官僚組織をも押さえつけて、暴力装置をも動員しつつ、大衆の圧倒的な支持を背景にして、一気に強権国家を作り上げるのが、ファシズムだ。

だから、橋下徹がシロアリと呼ぶことと、一部の本当にシロアリのような官僚とは、実は向かう方向は同じなのである。ただ、その方法やスピード感が違うだけ。

ちなみに、「国民の生活が第一」に込められた脱官僚依存は、強権国家で国民を搾り取るという方向とは真逆であり、本質的に橋下徹の官僚タタキとは別物だ。

それはともかく、橋下という真性ファシストが、いよいよ勢力を拡大し、国政への参戦を明言したいま、もう敵失による猶予期間も長くないと知るべきだ。
官僚が主導している限り、悪政はつづくが、(悪い方向への)革命も起きない。そんな状況も、あと数年のことと、私は考えている。

橋下が国政に出てくれば、自民党民主党のいい加減な連中は、どっと足下にすり寄るのは間違いない。みんなの党は最初から似たもの同士。過半数までは行かずとも、選挙前から最大勢力になる可能性が大きい。
そのうえで、総選挙で大躍進すれば、過半数は堅い。

ファシズムの仕掛けは、国民の憎悪のエネルギーを自らの支持にするということ。
橋下の場合は、ユダヤ人迫害のかわりに何をやり始めるのか。
今はまだ分からないが、そういうカテゴリーを作りだし、国民上げてのイジメの対象にすることは、まず間違いない。
官僚タタキだけでは、国民の憎悪のエネルギーはもたないし、あまり本気で官僚を叩いては自分の国家運営ができないと言うことを、橋下はよく分かっているからだ。

ユダヤ人迫害のように、国民の不満を故なき憎悪に振りかえ、その憎悪のエネルギーを熱狂的な支持にする。
実は、憎悪にかき立てられ熱狂的にファシストを支持している大衆自身が、搾取され迫害されているのだけれども、気がつかない。万が一気がついても、もう決して口にできない。
そんな日本の姿が、数年後に迫っている。

では どうするか

いま大事なことは、自分の立ち位置をしっかりと体に覚えさせることだろうと思う。

ピッチャーが投球フォームを体に叩き込んで、どんなに疲れても、緊張しても、自分のフォームを崩さないようにしているような、そんな生き方の訓練が必要なのではないか。
今でさえ、そうとう生きにくい世の中が、いちいち頭で判断していては間に合わないくらいの激動の波に飲み込まれる。

個別の判断だけでは、道を間違うことも多くなるだろう。
ファシズムは、個別課題では良い成果を残すこともあるからだ。
たとえば、橋下がもし首相になれば、放射能対策は今よりもずっと進むだろうと思う。
それは良いことではあるが、だからといって橋下ファシズム政権を待望するのは愚かなことだ。

自分がどういう生き方をするのか。
それに照らして、こいつはどうなのか。
それを、反射的に本能的に判断できるような訓練をしておくべきだ。

私の提唱している「郊外楽園」という暮らし方も、菜園とか地産地消とか言うだけでは、ファシズムに取り込まれる余地はいくらでもある。
もともと、農本主義ファシズムは仲が良いのだ。

では、核心は何なのだろう。
ファシズムが振りまく憎悪の快感から、ふと我に返るきっかけになるものは何なのか。

漠然とは感じるものがあるのだが、まだそれを言葉で表現できない。
もうしばらく考えてみる。
(だから今回の記事は 1  と言い訳)

いずれにしても、自分の標準点、基準点を体が覚えておくこと。
そのための訓練は、やはり今現在おきている問題を向き合う中でこそ、できる。
むしろ、自分に降りかかった問題、たとえば震災であり、増税であり、保育や子育てであり、いろんな問題に取り組むときに、ちょと鳥の目になって見てみようということだ。

自分の生き方を、鳥になった自分の目に焼き付けておこう。
それはきっと、おしよせるファシズムと対峙するとき、自分を支えてくれる。

【チェルノ原発事故の悲劇描く映画プリピャチ】 12年後のフクシマの姿がここにある

田中龍作ジャーナル

プリピャチはチェルノブイリ原発そばの村の名前である。原発から4キロという近さだ。原子炉から吐き出された冷却水を運ぶ川の名前でもある。

 チェルノブイリ原発事故後、30キロ圏内は立ち入り禁止区域となり、プリピャチ住民5万人が避難した。避難後に戻ってくるなどして、事故から12年後の映画撮影時(1998年)には700人が立ち入り禁止区域で生活していた。同区域の悲劇を描く映画『プリピャチ』が3日、東京神田のアテネフランセで本邦初上映された。

 映画は夫がチェルノブイリ原発の作業員だった老夫婦の語りで始まる。「私たちはゾーン(警戒区域)なんて言葉は使わない。検査した連中が名付けただけだ。放射能がある。30キロ圏内を指す。30キロ離れろと言ってもその先はどうなるんだ。鉄線で放射能は止まらない」。

 村への出入りをチェックする検問所の警備兵が大きな溜息をつきながら話す。「かつてゾーンには美しい景色があり、イチゴやキノコが採れる山と川があった。そこに事故が起こり全ては汚染された。30キロ圏内の線量は許容値をはるかに超える」。

 プリピャチは原発から撒き散らされた放射性物質によって、その面影も留めぬ、人が住んではならない場所になってしまったのだ。

 オーストリア人のニコラウス・ゲイハルター監督らスタッフは、3か月に渡って線量の高いプリピャチで撮影を敢行した。ウクライナグリーンピースに監督の知人がいて政府と交渉してくれたおかげで、警戒区域に入りカメラを回すことができた。

 「こんな状況でも人が生きてゆける。未来が見通せない中で人が生きてゆける。ゾーンの中が危険だと知っていながら、生活を立て直している」―上映後のトークショーで語ったゲイハルター監督の言葉だ。村人に尊敬の念を抱き、のめり込んでいった様子がモノクロームのフィルムに焼き付けられている。監督の思いは村人に伝わり、彼らも本音を明かす。

 村人の診察を続ける女医の言葉が印象的だ。戦慄さえ覚える。「人がここに住んではいけない。でもウクライナ(政府)の事情があって人々は移住できない。ゾーンの内に安全な場所はない。とにかく情報がない。私たち医師もわからない。危険だとは分かる」――情報を隠して避難を遅らせ、その後は帰還を急がせる日本政府の姿と重なるではないか。

続き