古本びと、ここにあり

岡崎武志『古本生活読本』(ちくま文庫

古本生活読本 (ちくま文庫)
2005.1.10第一刷。『古本めぐりはやめられない』(東京書籍,1998)を再編集し、大幅に増補したものです。解説は、このあいだ直木賞を受賞されたばかりの角田光代さん。

いきなりへんな話からはじめますが、「ちくま文庫」には様々の「顔」があります。まずは、「ちくまアウトロー文庫」*1という顔。これはどういうものかというと……、

アウトロー文庫といえば、普通、「幻冬舎アウトロー文庫」のことを指すのだが、実は、「ちくま文庫」にもアウトロー文庫とも命名すべき一つの流れが出来つつある。猪野健治の『やくざと日本人』『やくざ戦後史』『三代目山口組』、青山光二の『ヤクザの世界』、そして竹中労の『ルポライター事始』『断影 大杉栄』といったラインナップ。「幻冬舎アウトロー文庫」と比べ、派手さはないけれど、その分、ずっしりと腹にひびく。
坪内祐三『文庫本福袋』文藝春秋,p.136)

といったもの。あるいはここに、笠原和夫梁石日の作品群もくわえることができるかもしれません。
それから、「ちくまダンディズム文庫」という顔。やや乱暴な分類のしかたになってしまうのですが(つまり一概にそう割切ることはできませんが)、ここには、吉行淳之介野坂昭如小沢昭一殿山泰司田中小実昌色川武大阿佐田哲也)などの作品群が入ります。
そして最後に、「ちくまふるほん文庫」*2という顔。これはたとえば、青木正美『古本屋五十年』、梶山季之せどり男爵数奇譚』、北原尚彦『新刊! 古本文庫』、出久根達郎『古本夜話』、中山信如『古本屋おやじ』、横田順彌『古書狩り』といった類。
先月、この「ちくまふるほん文庫」に、岡崎武志さんの『古本生活読本』が加わりました。『古本でお散歩』、『古本極楽ガイド』につづいて三冊目です。
今回の『古本生活読本』もじつに岡崎氏らしい、たのしい本です。古本のたのしさを伝えるのがほんとうに上手い人だなあ、と感心することしきりです。
古本は、ちょっとした「作法」さえわきまえれば(たとえば本書のp.14-16あたりをご覧ください)、たしかに誰にでも愉しめる。しかし、その愉しみかたを伝えることができる人は限られているとおもいます。その数少ない書き手のひとりが、岡崎氏です。
それから、そもそも「古本」というもの(にかぎられた話ではないのですが)は、人を選びます。

たとえば、

鳩がスクープ原稿や写真をバタバタと飛んで運んでいた時代があった。それもそんな昔のことでもない、というのが、私としてはなんだかうれしい。当時、新聞記者は新聞社の窓から空を見上げ、まだかまだかとスクープをくくりつけた鳩が現われるのを待ったという。古いやつだとお思いでしょうが、なんか、そういう光景はいいなあ、と思うのだ。(『古本生活読本』,p.129)

とか、

そんな時代もあったねと、中島みゆきはそう歌ったが、前代の愚を、後世の尺度で批判しても始まらない。(同,p.144)

とかいった感性をもった人こそが、素敵な古本に邂逅することができるのではないか、つまり「古本人」たる資格を有するのではないか、と私はおもうのです。

最後に、岡崎氏が、徳川夢声『いろは交友録』(もともと1953年、鱒書房より刊行されたもの。2003年、ネット武蔵野より再刊)の解説「徳川夢声再発見!」に書かれたものから引いておきます。末尾の部分です。

今『いろは交遊(ママ)録』を読むことは、なんでも簡単に過去を消し去って平気でいる鈍感な現代日本人の感性を激しく揺さぶることになるだろう。本書が出た昭和二十八年に生きていた人なら、ああ懐かしいと声をあげるだろうし、またこれらの人物名がこの五十年、ほとんど話題として触れられることなく過ぎてきたことを知るだろう。
夢声による各人の肖像スケッチは、エピソードを交えながら立体的に、彼らの人となりを浮かび上がらせる。熱く血のかよった人物評論でもある。われわれは、こんなにも素敵な愛すべき日本人たちが生きた時代を知る義務がある。そこに本書を再刊する意味がある。(p.303)

けだし名文というべし。

*1:引用からもお分りのように、坪内祐三さんが命名したものです。後に挙げるものは、みなこれに倣ってつけた名前です。ほかにも、たとえば「ちくま落語文庫」とか、「ちくま怪奇探偵小説文庫」とかいったものを考えてみましたが、その他数え切れないくらいの「顔」がありそうなので、やめにしておきました。

*2:ネーミングセンスの悪さは、どうかご寛恕ください。ちなみに今月は、北尾トロさんの『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』が加わりました。きのう買いました。機会があれば、ここでも取上げようとおもいます。