HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ガンダム、戦争、女

パートナーに顰蹙を買いながらも見てしまった。

女と戦争の関わりというのがテーマではないかと思ったのだが、あまりに話しがややこしくてついていけなかった。

なんつうか現在は戦争が否定されつつある時代だと思う。

食い合うしかなかった生物と生物が、あるいは融合し、あるいは同じ生態系ネットワークに組み込まれることにより関係が安定化したように、国家と国家もネットワークにつながれ、距離を喪失することによって、戦うことが意味を失う時代がそこまで来ているのだ。

距離、時間、そして統治と戦争: HPO:個人的な意見 ココログ版

そもそも戦争というは、利害の対立が情報の過不足という事態に陥って民意が過激化され生じるのだと信じる。やはり命を懸けて戦場に赴くわけで、自分自身が納得できない大儀のためには命は落とせない。どのような独裁者であっても望まれたものでなければ、近代以降の国民戦争というのは戦えないはずだ。

翻ってガンダムの世界であるが、女性が戦争の前面にでるであろう近未来は予感される。しかし、その時女性は本当に女性の力を発揮しているといえるのであろうか。

しつこいようだが、倉田百三のこの言葉に私は共鳴する。

何といっても男性は荒々しい。その天性は婦人に比べれば粗野だ。それは自然からそう造られているのである。それは戦ったり、創造したりする役目のためなのだ。しかしよくしたもので、男性は女性を圧迫するように見えても、だんだんと女性を尊敬するようになり、そのいうことをきくようになり、結局は女性に内側から征服されていく。社会の進歩というものは、ある意味で、この男性が女性の霊の力に征服されてきた歴史なのだ。

倉田百三 女性の諸問題

人がどこまでいっても競争はつきまとう。最近のは安定した社会の中での競争はあるいは女性が加速しているようにも思える。もっといえば、子孫を残していこうとしない、時間のスパンが自分の世代だけでしかない人々には、倉田百三の世界とは違う価値観なのかもしれない。

それでも、女性のやさしさ、男性のたましいをも溶かしてしまうようなやさしさに私は期待したように思う。

んで、問題はガンダムZのIIIに出てくる女性からは、いまいちタマシイを溶かしてしまうものが感じられなかった。その意味ではIIの方がましかな?

機動戦士ZガンダムII -恋人たち- [DVD]

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ま、男は女に支えられないと生きていけないし、女は子をなすことにより自己完結できても、男にはできない。そのくせ騒ぎを起こすのはいつも男なんだよね。

そんなもんだ。

男と女の絆

メモ

「私たちのしたことには、それなりに神聖なものがありました。
私たちはそういう気がしていました。
お互いにそういったではないですか。お忘れになったのでしょうか。」
この言葉が小説の中で発せられるまで、
ヨーロッパ史は千数百年を要した。

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緋文字 (1957年) (新潮文庫)

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携帯電話でどこまで行けるか分からないが、やってみたい。要は思い付くネタをどれだけ吐き出せるか、吐き出し続けられるかなのだろう。

翻って、緋文字だ。その社会的位置付けが理解できていなかった。ましてや古代の残存物として独身男性による修道院集団が成立したとは!それは例のプラトンとかアリストテレスに至る神秘主義だろうか。

ありがとうございます。

告解という制度は、わが国の歴史には存在しなかったから、理解しにくい点もあるかと思うが、ヨーロッパの歴史の中では極めて重要な転機となる制度であった。なぜなら、個人の私的領域に司祭が介入してくることによって、個人は自分の行為を少なくとも第三者の前で客観的な基準に合わせるべく努力する姿勢を示さなければならなかったからである。つまり、個人の私的領域における行為について、絶対的な権威の前で責任をとる姿勢を示さなければならなかったのである。

■西洋中世の愛と人格 1 断片67: it1127の日記

it1127さんのぬきがきを読んでいるうちに、いま日本が少子高齢化非モテ化で絶滅しつつあるというのは、社会を人の絆の集合体として見る見方でなく、ルールと個人の集積としてみることに耐えられないからではないかと思えてきた。私達にとって空間や時間は決して均質なものではなく、あるときは濃密であり、あるときは流れるように早く、あるときはじっと停滞し、あるときはエロスに満ち溢れている。決してユニバーサルなものではありえなかった。この古来の意識、精神のあり方が一気に携帯やら、ネットやら、フラット化、そしてルール社会化により、くずれさっていっていることが根源的な病なのではないだろうか?そして、それに変わる価値を私たちは見出せないでいるわけだ。