「利休鼠の雨」とはどんな雨?

(第26号、通巻46号)
   
   ある言葉が若い世代には常識でも、年配者は聞いたことすらない、というケースは珍しくない。常識の“すれ違い”は言葉に限らない。歌でもよくある。

   先日、ある人の「偲ぶ会」で、篠笛を修行中の知人が追悼の思いを笛の音に託して「千の風になって」など何曲か吹いた。その中の1曲「あざみの歌」の演奏に先立って、奏者が「この歌、知らない人いる?」と参加者に尋ねたところ、知らない、と手を挙げたご婦人がいたので驚いた。しかしそれはいつの時代にも見られる世代間のズレ。もちろん、個人差があるにしても、ある年齢以上には常識でも、若い世代には必ずしもそうでない、という逆の例だ。

   その伝で言えば、今回のブログの標題を見て、ある歌を思い浮かべた人は「ある年齢以上の世代」ということになるかもしれない。「この道」「からたちの花」など数々の名曲の作詞でも知られる詩人・北原白秋が最初に作詞したという『城ヶ島の雨』である。

         雨はふるふる 城ケ島の磯に
         利久鼠(ねずみ)の 雨がふる
         雨は真珠か 夜明けの霧か
         それとも私の 忍び泣き

         舟はゆくゆく 通り矢のはなを
         濡れて帆あげた ぬしの舟
    
         ええ 舟は櫓(ろ)でやる
         櫓は唄でやる
         唄は船頭さんの 心意気

         雨はふるふる 日はうす曇る
         舟はゆくゆく 帆がかすむ
   
     標題は2行目の「利久鼠の 雨がふる」から取ったものだが、白秋自身が生前「『利久鼠の雨が降る』といふのをどんな鼠が降って来ますか訊(き)かれて苦笑したこともあった」と書いている《注1》。確かに、さて「利休鼠」とは?と、面と向かって聞かれると首をひねる向きも多いのではあるまいか。

    茶道をたしなむ人には「常識」だろうが、「利休色(いろ)」という言葉がある。千利休と縁の深い抹茶の黒ずんだ緑色から出た言葉で、辞書を引いてみると、「緑色を帯びた灰色」とある。そこから、「利休鼠」(染料業界では、「りきゅうねず」というらしい)は、利休色の鼠色がかった色を指す《注2》。

    つまり「利久鼠の雨」とは、暗い緑に灰色をまぶしたような雨のことだ。作詞当時、社会的にも経済的にもどん底ににあった白秋の心境を反映した「陰鬱な雨」という感じかもしれない。季語になっているのか、季語とすればいつなのか、二、三調べてみたが、分からなかった。家人は「秋のイメージ」と言うが、なぜか私はこの歌を聴くと梅雨を連想する。

    
《お断り》 今回のブログは、gooブログ時代の06/09/20号で取り上げた「利休鼠の雨の色」に新しい知見を加え、大幅に書き直したものです。しかし、長過ぎる、という声がありましたので、配信してから8時間後の4日午後10時前に、原文の後半の「通り矢のはな」についての記述は削りました。その部分は、改めて書き換えた上、次回更新予定日の来週水曜(11日)に配信し直します。ご了承ください。

《注1》 『白秋全集36 小篇2』(岩波書店

《注2》 『日本国語大辞典 第2版』(小学館)。全13巻、別冊の索引も入れると14巻からなる我が国最大の国語辞典。語彙が多いのは当然だが、用例が豊富で語源にも詳しい。
《参考文献》 『日本大百科全書』(小学館)、『日本伝統色色名事典』(日本流行色協会)

《参考サイト》 日本の色の由来(www.warlon.co.jp/products/jpcolor.html)、北原白秋記念館(www.hakushu.or.jp/note/main2.html)