天草における初期キリスト教布教史6

とくに天草のコレジオとキリシタン版(天草本と呼ばれる)が果たした役割と意義については、以下の2点を挙げることができよう。

まず第1に、天草コレジオは、日本ではじめて西洋科学(自然哲学)が本格的に教授された場であった、ということである。戦難を避けるため、創設後も移転を繰り返したコレジオでは、安定した教育環境とカリキュラムの整備が難航した。とりわけ宣教師らは、キリスト教信仰の基礎となる西洋の学術知識を、日本という布教地に適合する形にまとめた教科書を作成することが重要と考えたが、その編纂も遅々として進まなかった。しかし比較的平穏だった天草に移転してからは、そこで得られた閑暇と時間的余裕によって作業が進展し、文禄2年(1593)には日本のコレジオのために独自に編まれた教科書『講義要綱』が完成し、すぐに講義に用いられたのである。

この日本初の西洋式教科書と言うべき『講義要綱』の執筆にあたったのは、当時の日本準管区長ペドロ・ゴメス(Pedro Gomez, 1533/35-1600)で、その現存唯一のラテン語本がヴァチカン図書館に、またその邦訳本がオクスフォード大学モードリンカレッジにそれぞれ残されている。ゴメスは来日イエズス会士随一の学者で、かつてはポルトガルコインブラ大学で哲学や神学の教授にあたった経歴の持ち主である。『講義要綱』は3部構成で、(1)西洋宇宙論天文学・気象論・物質論)の教科書である『天球論De sphaera』、(2)アリストテレス哲学に基づく『霊魂論De anima』、そして(3)神学に関する『神学要綱Compendium catholicae veritatis』からなる*1。当時受講者の1人であった伊東マンショ(1569頃-1612 天正遣欧使節の一人)は、ローマのイエズス会総会長宛ての書簡で、以下のように記している。

少なからず助力であったのは、天草のこのコレジオで、ある様式で『神学要綱』の課程を行っていることです。それは当地方において必要なものとしてよく適応しております。それは、本年準管区長のパードレ[=ゴメス]が自ら明快で理解しやすい文体で作成して始めたもので、ラテン語でも日本語でも私たちに十分に説明できる1人のパードレ[=ペドロ・モレホンのこと]を教師として私たちに宛てくれました*2

『講義要綱』は、西洋の科学や哲学などの学術知識を、はじめてまとまった形で日本に紹介した書物と言うことができ、後の蘭学や、さらには明治政府による西洋式学問の全面的な導入にはるかに先立つ先駆的な事例として、日欧文化交流史上に特筆すべき位置を占めている。

*1:M.Antoni J. 〓〓erler, “Jesuit Humanist Education in Sixteenth-century Japan: The Latin and Japanese MSS of Pedro G〓mez’s ‘Compendia’ on Astronomy, Philosophy, and Theology (1593-95)”、上智大学キリシタン文庫監修・編集『Compendium catholicae veritatis III:解説』(大空社、1997年)、11-60頁; 平岡隆二『南蛮系宇宙論の原典的研究』(花書院、2013年3月刊行予定)、59-84頁参照。

*2:Archivum Romanum Societatis Iesu, Jap. Sin. 12 I, ff. 178r-v[五野井隆史『キリシタンの文化』(吉川弘文館、2012年)、126-127頁].