夏の美術鑑賞第2弾

 夏の美術鑑賞第2弾として、今回は滋賀と京都方面へ行ってきましたので感想を書いていきたいと思います。しかし、猛暑の今年、滋賀も京都も暑かったです。特に京都の暑さは尋常では無いですね・・・。あの厳しい暑さの中、自転車に二人乗りして街を走っていた高校生がいましたが、若さなんですかねー。

「ロトチェンコ+ステパーノワ─ロシア構成主義のまなざし」展

 滋賀県立近代美術館まで「ロトチェンコ+ステパーノワ─ロシア構成主義のまなざし」を見に行ってきました。昔々、高校のときに学校の用事で滋賀の膳所高校というところまで行ってきた記憶があるんですが、その膳所高校のある駅から2駅目の駅で下車してバスに乗って美術館まで行ってきました。滋賀県は暑いのは暑かったんですが、琵琶湖があるためかさわやかな夏の風が吹いていまして以外に暑さは和らいだ感じがしました。
 で、肝心の展覧会ですが、ソヴィエト誕生の際にロトチェンコとステパーノワの2人の芸術家が「芸術の面から革命を側面支援しよう」というところから出てきた芸術とのことでした。コンパスと物差しのみで描かれた抽象画に近い作品からフィルム写真、建築のデザイン、洋服のデザインというようにかなり幅広い芸術創造であったことが見てわかりました。
 驚くのが、それぞれのジャンル、例えば写真であれば写真、ポスターのデザインであればデザインというように、現代の私の眼から見ても十分通用する、むしろ、先進的な部分もあると感じるほどインパクトのある作品が多数展示されていました。なかには、「このデザインの大本は、このロトチェンコとステパーノワからきているんだな(つまり、かなりの影響を受けている)」というものがいくつも見受けられ驚かされました。
 私個人的に興味深かったのは、『「労働の後の祝宴」を行うための場所のデザイン画』と『希望を持って将来のソヴィエトのモダンな建物として建てられるものとしてデザインされた建築デザイン画』があったのですが、前者はまさに「バーカウンターの店」であり、ソヴィエトでデザインされたものとは知らなければ、現代のどこかのバーの設計デザイン化と思ってしまうほど先進的なものでした。後者は、これまたモダンで先進的な現代建築に通じるインパクトのある建築デザインでした。しかし、現実にこれらの絵が描かれた後に、描かれた当時のような希望が、結果的に最後にはソヴィエトの解体によって終焉してしまったというのは皮肉な感じがしました。特に、建築デザインについては、その後の「スターリン建築」と呼ばれるニューヨークの摩天楼を模した高層ビル群とデザインを比べると私個人はかけ離れているように感じましたので、その意味では、初期の革命の熱気がまだあった時代の作品と見るのが正しいのかもしれません。
 とはいえ、全体を見てみて結論から言えば、現代のデザインは大いに直接間接にこの「ロトチェンコとステパーノワ」影響を受けており、未だにその領域から脱出できていない部分が多いとも感じると同時に、消滅したはずのソヴィエトで生まれたデザイン思想が資本主義社会で堂々と生きているのにも皮肉というか不思議を感じました。

「ボストン美術館」展

 さて、滋賀を後にし、京都へ移動。そして、本年度最大の注目の展覧会である「ボストン美術館」展を見てきました。結論を最初に言いますと、「期待が大きすぎた」という感想になります。
 お客さんの入り具合ですが、昨年のルーブル美術館展と比べると若干少ないと感じましたが、それでもかなりの人の入り具合でした。しかし、なんというんでしょうか?私の中にグッと来るような作品が少なかったような気がしました。
 それでも、レンブラント肖像画ゴッホの風景画、コローの人物画(←特にこのコローの作品ですが。2年前に神戸で見た作品と2年ぶりに再会したと同時に、やはり作品のレベルの高さを改めて再確認できました)など、こちら側に強い力で迫ってくる作品もいくつかあり、見て損は無いと思います。
 

「京の閨秀・女流・女性画家‐担ったもの/担わされたもの」

 さて、同じく京都市美術館で開催中の常設展も今回見てきたのですが、こちらもなかなか良い展覧会でした。上村松園を筆頭に京都に縁のある女性画家を集めた展覧会で構成されており、力強く、たくましく、芯のある女性が女性の画家の目を通して描かれていました。人間はそのおかれた環境でどんなことがあってもたくましく「生きる」、改めて再確認できた展覧会でした。

「生存のエシックス」展

 今回はさらに美術展が続きます(笑)。といっても、道を挟んで市立美術館の反対側に国立美術館があるので、せっかくなのでということで見てきましたというのが本当です(笑)。
 で、「生存のエシックス」展なんですが、なんのこっちゃ???と思うんですが、簡単に言いますと、科学とアートを融合した成果の展示というものだそうで、実際に、自ら体験しながらアートを見ていくという不思議な展覧会になっています。
 私自身は実際にはやらなかったんですが、脳波を自動でコンピュータが測定し、その測定結果を基にして室内の音楽や光源を変化させることによって、いかにすれば人間はリラックスできる状態にできるのか?を科学的にデータ収集を行うという、医学とアートのコラボというような作品なんかが展示されていました。
 私には、なんだか進歩的過ぎて「この研究の意味とはなにか???」わからない部分も正直あったんですが、21世紀の新しいアートの形の一つなのだろうというのは感じました。

京都国立近代美術館コレクション展

 昨年、ボルゲーゼ美術館展に来た際に、常設展をみてそのレベルの高さに驚いた京都国立近代美術館ですが、今回も常設展も見てきたのですが、今回も良かったです。河井寛次郎の作品には改めて圧倒されてしまいました。日常生活の道具である皿や急須、壷などにあれだけの「力のみなぎる」かつ「芸術的」な見事なデザインを作りえたのか?本当に感心してしまい、しばしの間、そこで眺めてしまいました。
 さて、ここで恥ずかしい失敗が・・・。ある日本画の前でもうちょっと近くで見ようと頭を近づけたらおもっきり「ゴン」とガラスに頭をぶつけてしまい学芸員の方から「大丈夫ですか?」と声を掛けられてしまいました。なんでも「たまにぶつけてしまう人がおられるので、何か注意書きを張ったほうがイイのかな?という検討もしてるんですよ」とのこと。自分だけじゃなかったのに妙にホッとしました(笑)。

その他の感想

 さて、これまで書いてきた以外のその他の感想ですが、まず、滋賀県へ行ったときに気が付いたのは電車の乗客が若者が多いこと。子連れの人が多く見受けられた点。滋賀県は工場の立地が進んでいるので、子育てをする人も多いのかな?と感じました。
 京都の暑さ。これにはたまげました。本当に風は熱風しか吹いていません。しかし、この極端なまでの四季の変化が京都という土地に芸術や文化を育てた遠因なんだろうなーとは感じることが出来ます。
 帰りに、今回、「特急はるか」を利用したのですが、平日ということもあるんでしょうが、自由席でも半分が空席でほとんど空気を運んでいるような状態でした。しかし、やはり特急は楽チンです。行きはともかく、帰りにズーと立って帰るのと座って帰るのは雲泥の差がありました。今度から、お金はかかりますが、特急を使って帰るパターンが増えそうな気がします(笑)。