法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

具体的な個人を批判したところ、個人に対する言及を軸にした主張は党派性に囚われがちという反応と、学術会議への批判者全体をレイシストでトランプ支持者と主張していると解釈する反応が、別々にあった

学術会議が思想・信条・内心の自由を護るという話に対して、女性差別や誹謗中傷をする自由を誰が護ったのかと意味不明な質問をする林智裕氏 - 法華狼の日記

 すでに「シン・しわ枯れパパ@chanchan_papa」氏が指摘しているように、一般的に自由は他者の権利を侵害しない範囲で認められるものだろう。
 林氏自身も数日前に朝日川柳が通報すべき内容であるかのように主張していたばかりだ。

 それとも林氏は判決文を読んで雁琳氏の発言を確認してなお、思想・信条・内心の自由として守るべきだというのだろうか。

 上記エントリに対してはてなブックマークid:norinorisan42氏が下記のようにコメントして、はてなスターを集めて注目コメントに入っていた。
[B! 差別] 学術会議が思想・信条・内心の自由を護るという話に対して、女性差別や誹謗中傷をする自由を誰が護ったのかと意味不明な質問をする林智裕氏 - 法華狼の日記

norinorisan42 この人はじめ〇〇というご自身の意見を発信するより「〇〇といった☓☓さん」に関する言及が主張の軸になるタイプはそもそも「党派性」に囚われると見て警戒(割とスルーメイン)するようにしてます

 上記コメントに納得するかどうかはともかく、同じエントリへの言及がTogetterで下記のようなタイトルでまとめられていた。
cinefuk氏と法華狼氏が学術会議を批判するものはレイシストでトランプ支持者と主張か - posfie
 驚かされるのは、私が全体ではなくひとりを批判しただけでなく、エントリのどこにも存在しない「トランプ支持者」という話が登場していること。
 Togetterのタイトルにあるもうひとりのid:cinefuk氏は、Togetter内でリンクされているように、私のエントリへのはてなブックマークで下記のようにトランプ王国への移住をうながしている。

cinefuk ヘイトスピーカーが「言論の自由」を盾にとって憎悪犯罪を肯定するのは世界的な極右の潮流。お前らはトランプ王国に移住しろ。外国人というだけで逮捕されエルサルバドルかアルカトラズに収容されるリスクあるけどな

 もちろんこれも林氏という個人を対象に、言論の自由憎悪犯罪を肯定する潮流として同列視しているのであって、「学術会議を批判するもの」全体の話ではないし、トランプ支持者と主張したと解するべきではないだろう。
 そしてTogetterのコメント欄に目をやると、「なめたけ@numeeru_ruuju」氏が下記のように最初にコメントして、6つのいいねを獲得していた。

左翼じゃあるまいしそんな全部入りパックで思想統一とかしてないだろ 他人様を自分達と一緒にするなよ 失礼だぞ

 思想統一しているかのような主張は、少なくともこのTogetterにおいては、まとめている「reiwasnsengumi1147@reiwasnsen84458」氏がつけたタイトルのなかにしか存在しない。
 こうしたTogetterの反応を見れば、何かを主張する時に具体的な個人を指して限定する必要性があることをnorinorisan42氏やはてなスターをつけた人々は理解してくれるだろうか。

『ノーカントリー』

 1980年代の米国西部の荒野に、複数の死体が転がっていた。何らかのトラブルがあって犯罪者たちが殺しあったらしい。そこに転がっていたカバンのなかから大金を見つけた男は、それを持っていこうとする。そして銃撃をかいくぐり、現れた追跡者たちをふりきったかと思ったが……


 コーエン兄弟による2007年の米国映画。2008年のアカデミー賞で作品賞など複数部門に輝いた。

 内容としてはブラックコメディじみたクライムアクション。さすがに米国西部も1980年には警察権力が定着したはずだが、ひとりのサイコキラーじみた追跡者をほうりこむことで西部劇的な追跡劇と銃撃戦を展開していく。
 麻薬取引の衝突で全滅したところに出会って、たまたま大金を手にして逃げ始める男。出会う人々にコイントスをしかけたり、ためらわず邪魔者を殺していくし一度決めた対象は利益がなくても殺していく男。祖父の代からの保安官で二人の男を追いながらナレーションを担当する男。展開の密度と人間関係に良い意味で2010年代の韓国映画っぽさがある。
 特に追跡者の殺人鬼だけは、この映画の登場人物で特異的に現実感がないことで、逆に何らかの寓意を背負っているようにも感じられる。未解決事件サスペンスのサイコな連続殺人犯のようであり、アメコミのヴィランのようでもあり、運命にしたがって見逃すこともあるところは契約を重視する悪魔や死告天使のようでもある。
 ほんの少し前の時代を舞台にしているところも、軍事独裁政権時代をよく舞台にする韓国映画らしい。ビンテージカーや当時のファッションをそろえ、メキシコとつながる税関はプレハブ作りのオープンセット。流血の陰惨さと断面を大写しにはしない上品さのバランス、カーチェイスこそないが次々にアクションで廃車になっていくビンテージカー。
 しかし最後の妻と殺人鬼の会話などのアクセントもふくめて、濃厚でいて見やすい娯楽活劇としてよくできすぎていて、どこが評価されてアカデミー賞作品賞に輝いたのかが逆によくわからない。

『タワーリング・インフェルノ』

 ヘリコプターが向かうサンフランシスコのビル群のなかに、ひときわそびえたつ138階のビルがある。グラスタワーだ。
 世界最高のビルとして完成したタワーだが、予算削減のためさまざまな手抜きがおこなわれていることを設計者がオーナーに抗議していた。
 そして紳士淑女を集めた落成式がはじまるなか、漏電による火災が階下で発生。事態を甘く見たオーナーは落成式を続行しようとするが……


 ジョン・ギラーミン監督による1974年の米国映画。よく似た高層ビル災害小説*1を映画化しようとしていたワーナーと20世紀FOXが予算節約のため合作し、ひとつの大作映画として完成させた。

 まさか2時間半超えで休憩なしとは。ただ異変の発生が当時の大作映画としてはけっこう早く、開始15分くらいで最初の火災が発生する。その火災はほとんど気づかれないまま延焼していき、それと並行してタワー完成記念のパーティーをつかって群像劇を展開していくわけだが、そこから火災発生が発覚してもいったんパーティーをつづけるところが逆にすごい。同じ建物で火災が発生しているとわかっているのに緊張感に欠けた行動をとることで逆説的な緊張感が生まれている。
 火災が延焼していく中盤の展開は単調で、開始1時間半くらいたつと映画が終わってもいいのではないかとすら感じる。しかし後半から工夫された救出劇がはじまるので緊張感がもちなおす。おおきくわけてふたつのアイデアで火災に対峙するわけだが、このアイデアはふたつの原作からそれぞれ引いたものらしい。ただ近くにも高層ビルがあることは序盤から何度も映し出されているが、タワー最上部に水のタンクがあることは終盤でようやく説明がある。水をいったん最上部にくみあげてから使用しているという会話を序盤に入れたり、火災後にも水道がつかえることに疑問をもった登場人物への説明で最上部のタンクの水がなくなるまでは使えるといった会話があれば、クライマックスの伏線になったと思うのだが。


 合成やミニチュアはけっこう見事。超巨大なビルのミニチュアを作っただけはあり、炎も水もスケール感を損なわず、合成などで見ててさめるような粗はない。ただビルのミニチュアの全景はほとんど使わず、爆発などはけっこうカメラを寄せて撮影しているので、逆にそうした場面用にもっと縮尺の大きい部分ミニチュアを使って全景ミニチュアは2mくらいですませば予算が節約できたのでは、と思ったりもした。
 シネマスコープで映しだされるモダンな撮影もあまり古さを感じさせない。パーティー服は現代と変わりがないし、タワーの監視システムは電子装置だったりする。時代を感じるのは監視カメラのモニターがブラウン管なところと、消防車のデザインだけ古いところくらい。

『イキヅライブ』のキャラクター山田真緑への懸念や嘲笑を見ながら、そもそもシリーズ最初のTVアニメが学園の方針に学生が連帯して抵抗する学生運動ではあったことを思い出している

ラブライブ!Official Web Site | 第1期ストーリー

音ノ木坂学院は統廃合の危機に瀕していた。
学校の危機に、2年生の高坂穂乃果を中心とした9人の女子生徒が立ち上がる。
私たちの大好きな学校を守るために、私たちができること……。それは、アイドルになること!
アイドルになって学校を世に広く宣伝し、入学者を増やそう!

 史実として、現代では失敗として総括されている全共闘運動の目的のひとつが日本大学運営への抗議で、いったんは一定の成果をあげたことも思い出している。
日大闘争(にちだいとうそう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

登録医,インターン制など医学部教育体制の改革要求に端を発した東大闘争,20億円の使途不明金問題をきっかけとした日大闘争がその頂点だったが,この未曾有の全国大学闘争は,69年1月18日学生の立てこもる安田講堂が2日間の機動隊との攻防で〈落城〉した東大をはじめとして,警察力によってしだいに沈静化させられた。

 同時に、最初のTVアニメが全体の傾向としては学生運動として受容されなかったことから、山田真緑も作品では真摯にキャラクターを描いてもそれを消費者には無視されかねない、という懸念も持つわけだが。


 まだ『イキヅライブ』の全貌はわからないが、キャラクターを演じるSNSアカウント等は公開されている。たぶん器用なキャラクターではないが、そうでなければ現代の日本でこうは動けないという感じも出ている。

www.youtube.com

 現在公開されている情報ではきわめて穏健的な環境保護活動をしているが、地球環境を守るためという建前でテロリズムに走るキャラクターになぞらえる反応も散見される。そこで過激な手段に出たキャラクターに一定の理を認めるのではなく、穏健な手段を選んだキャラクターに理がない根拠にすることがよくわからない*1
 現実でさまざまな抗議活動を展開しているグレタ・トゥーンベリ氏と比較する意見も少なくない。山田を嘲笑する根拠にするにせよ切断処理するにせよ、しばしばトゥーンベリ氏を嘲笑の対象として前提視している。
 しかし山田に通信制高校に通うのではなく大学へ行って研究するべきという意見も多数の賛同を集めていたが、トゥーンベリ氏が学者の声を聞くよう訴えていることを知らないのだろうか。
グレタ・トゥーンベリ氏は、ちゃんと国連でも「科学の声を聞け」という意味の演説をしているよね? - 法華狼の日記
 政府や企業や資本主義に都合が悪ければ、社会の側が受けとめようと動かないと、研究は軽視され否定されていくものだ。研究を軽視や否定しないよう社会の側が支えることにも意義がある。
トランプ政権、主要な気候評価まとめる科学者らを全員解任 米国の気候変動リスク評価に暗雲 - CNN.co.jp

*1:たとえば環境保護から郷土主義そして排外主義に流れるような回路もたしかにあるが、そもそも現代社会で排外主義に流れないことには相応の……それこそ山田真緑のような覚悟が要求されたりもする。

『GANTZ』アニメ版の雑多な感想

 奥浩哉のSFデスゲーム漫画を、GONZO制作で板野一郎監督が2004年にTVアニメ化。原作はまばらに読んだだけだが、デスゲーム部分を抽出した実写映画*1や3DCG映画*2は映像作品としては楽しめた。

GANTZ

GANTZ

  • 浪川 大輔
Amazon

 連載初期のTVアニメ化で、ほぼ実写映画1作目と同じ範囲を映像化しつつ、終盤だけデスゲームのジャンルを変えたオリジナルストーリーで結末をむかえた。
プロデューサーインタビューによると、もともと松竹からもちかけられた企画だという。当初はCS放送の全6話くらいのOVAを想定していたが、最終的に2クールのTVアニメとなり、前半だけ地上波で規制し短縮したうえで放送された。
 実写映画版と同じくガンツの正体についての謎解きはなく、生と死のあわいのなかで主人公が成長する観念的なドラマとして進んでいく。幻覚的な描写が初期から複数あるのと、発端の舞台にすべてが集約して終わるので、まともな結末や真相開示が少ないデスゲーム作品としては比較的に悪くない最終回のような気はした。


 板野一郎監督だがキャッチコピー的な板野サーカス描写はない。むしろ銃火器はSF的な設定でありながら弾道はいっさい描写されず、ストロボのように発光して少し遅れて破壊される描写を徹底している。どちらかといえば板野監督のOVA時代のエログロ描写を思い出させるつくり。
 駅舎や市街地や寺を3DCGで組んで*3、空間を立体的に把握しつつカメラワークをつけているが、板野監督の意図はレイアウトが描けるスタッフが少ないがゆえのフォローが主目的らしい。
 しかし当時はまだ珍しい全編ビスタサイズなのに時代を考慮しても描線が太くて、あまり良好な作画とはいいがたい。メインスタッフに明らかな偽名が散見されるので、あまり制作状況が良くなさそうな気配もある。
 そのなかでは、うのまこと作画監督回は原作の絵柄を思わせる立体的なキャラクター作画が見られたのと、石川健介作画監督の原作から最も絵柄がはなれた第18話が流麗なアニメらしいキャラクター作画が楽しめたところは良かった。
 アクション作画では鈴木信吾がコンテを担当した第24話が白眉。そもそも終盤はDVD向けに修正がいきとどいているのか、第25話も第26話も悪くなかった。

*1:『GANTZ PERFECT ANSWER』 - 法華狼の日記

*2:『GANTZ:O』 - 法華狼の日記

*3:3DCGスタッフのインタビューによると、原作者からモデルを提供してもらい、アニメの背景スタッフがテクスチャを描いて組みあわせたという。