2009年、私のベスト10暫定版・第3回 その3(執筆者・川出正樹)
この調子で書いていると、とめどなく長くなりそうなので、ここから先は駆け足で。
第六位の『法人類学者デイヴィッド・ハンター』は、今回あげた十作中、最も読まれていないだろうと想われる一作だ。いかにもなタイトルはこの際おいとくとして、先入観無しで読んでみて欲しい。これは、骨が語る真実の声を聞き取ることができる名探偵を主人公にした、伝統的な英国スタイルに最先端の米国産の手法を取り入れた、謎解きミステリの秀作なのだ。
第七位の『水時計』は、正統派の謎解きミステリとしては本年度最高の収穫。イングランド東部の沼沢地帯(フェンズ)にある大聖堂で有名な小さな街・イーリーを舞台に、水路に落ちた車のトランクから死体が発見される冒頭から、洪水の迫る中での犯人との対決まで、全編を水に彩られた丁寧な作りの本格ミステリである。
第八位の『迷惑なんだけど?』は、いつもながら奇人変人ばかりが集う、喧々囂々たるガーテンパーティさながらの、いかれているけれども、筋の通った爽快なる犯罪小説。ちなみに毎回、動物の使い方が絶妙な作者ですが、今回のカニには……嗚呼、恐ろしい。
残り二作ですが、9位の『川は静かに流れ』については、第一回の北上次郎氏の熱いコメントにつけ加えるべきことがないので省略。読み応えのある力作であるのは十分承知の上でこの順位なのは、アクの強い作品好みという私の志向によるもので、広く万人に勧めたい傑作であることは間違いない。
問題は第10位の『夢で殺した少女』だ。こういう作品を個人的なものとは言え、ベスト10に入れてしまうのもどうかと思わないではなかったのだけれども、好きなんだからしょうがない。
これは、『川は静かに流れ』の対局にあるようなミステリだ。北上氏は、同書を「36名中18名(半分だ!)に批判され、深く傷ついて帰宅した」と書かれているが、本書の場合、恐らく10名中9名が批判するだろう。中には、本を投げ捨てる人もいるかも知れない。でも、私は傷つかない。なぜなら、これは、バカミスだから。それもドゥエイン・スウィアジンスキーの『メアリー-ケイト』(ハヤカワ・ミステリ文庫)並の、トンデモ一発ネタのB級怪作だから。
アマゾンの奥地で入手した”謎の粉末”を誤って飲んだ瞬間に主人公が観た、謎の少女と死別した父。幻覚というにはあまりにリアルな映像におののきながらも、続きが知りたくて、再度粉末を口にした主人公は……。
なにがなんだか解らないものの、ぐいぐいと引き込まれ読み進んでいたら、中程でびっくり仰天。こ・う・く・る・の・か。よく考えるとおかしな処もあるけれども、そんな瑕疵を軽く吹っ飛ばす本年度一番の珍作。「デニス・ホッパー絶賛、出演映画原作!」という帯のキャッチコピーに、驚くと同時に――これを映画化するのか!?――不思議とすんなり納得してしまった。
さて、以上10作あげてみたけれども、まだこれは暫定版。10月だけでも、マット・ラフ『バッド・モンキーズ』(横山啓明訳/文藝春秋)、ジェフリー・ディーヴァー『ソウル・コレクター』(池田真紀子訳/文藝春秋)、マルセル・F・ラントーム『騙し絵』(創元推理文庫)といった期待度大の新作が控えている。最終的に11月末の時点でどんな順位になっているのか、楽しみでもあり悩ましくもある。
川出正樹
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2009年、私のベスト10暫定版・第3回 その2(執筆者・川出正樹)
ところが八月になって、この熱き想いをも凌駕するとんでもない傑作が現れた。ドン・ウィンズロウの『犬の力』だ。
これにはまいった。完全にノック・アウトされた。舞台はアメリカ――メキシコ国境地帯を中心とした中南米諸国。麻薬に憑かれた三人の主人公――DEA(麻薬取締局)捜査官、麻薬王の甥っ子兄弟、アイルランド系の殺し屋――が繰り広げる、三十年にも及ぶ血と暴力と信仰に彩られた三つ巴の愛憎劇のなんと凄まじいことか。その有様は、まるで互いに主導権を取ろうとして噛みつき合う地獄の番犬(ケルベロス)のようだ。文庫上下で1100ページを超える大部ながら、一度読み始めたら巻措く能わざる傑作である。
あまりに一位と二位が突出しすぎた――なにしろこの二作は、オールタイム・ベスト級だ――おかげで、三位以下の作品が大人しく見えてしまうかも知れないが、なあに、今年が翻訳ミステリの当たり年なのであって、例年ならばいずれももっと上位にくるはずの作品ばかりである。
第三位の『毒蛇の園』は、『百番目の男』『デス・コレクターズ』に続く、アメリカ深南部アラバマ州を舞台にした〈カーソン・ライダー・シリーズ〉の第三弾。法月綸太郎氏の解説に、「トリッキーな謎解き志向を先鋭化して、両横綱(引用者註:ジェフリー・ディーヴァーとマイクル・コナリーのこと。力強い褒め言葉だ)の地位を脅かしつつある幕内の出世頭」とあるように、現代のアメリカ・ミステリ界で、律儀に古典本格ミステリの文法に則った作品を発表し続けている稀有な存在だ。
もっとも、同時に『サイコ』の血脈も受け継いでいるので、お行儀の良い本格ミステリとなっていないところがミソ。今回も、名門一族の戸棚の中からゴロゴロ転がり出てくる”頭蓋骨”に幻惑されていると、とんでもないところに伏線や手がかりが配置されていて、解決に至って驚愕させられる。シリーズものだけど、本書から読んでも、まったく問題ありません。むしろ一作ごとに小説が巧くなっているから、体験版としては最適かもしれない。
続く第四位の『ボックス21』は、一昨年、デビュー作『制裁』で、本邦初お目見えしたコンビ作家の第二弾。『制裁』は「小児レイプ犯は矯正可能か」という深刻なテーマを中心に据えた、暗く、重く、安易な救いのない物語だったが、今回もそのテイストには揺るぎなし。『ミレニアム2 火と戯れる女』と同じく、スウェーデンの人身売買と強制売春というネタを扱っているものの、その味わいは180度異なり、読後、鬱になること必死のイヤーな味わいの犯罪小説だ(どれくらいイヤかと言うと、若松孝二の「日本暴行暗黒史」に匹敵するイヤさ、といえばお好きな方にはお分かりいただけるかと)。
お次の第五位『サイコブレイカー』は、『治療島』で一部好事家を狂喜乱舞させた、ドイツ発の超新星が放つ、ニューロティック・スリラーの傑作。閉鎖空間——吹雪の山荘だぜ——となった精神病院が舞台の、ダリオ・アルジェントの映画を彷彿させるノンストップ・サスペンス。被害者の精神だけを破壊する〈サイコブレイカー〉の真の狙いが判明する瞬間の驚きといったら! 全編に伏線を張り巡らした、企みに満ちた超絶技巧の逸です。
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今年のベスト1は、スティーグ・ラーソンの〈ミレニアム〉三部作で決まりだ、とずっと思ってきた。昨年度末に、第一作『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥの女』を読了した時に抱いたその予感は、四月刊行の第二作『ミレニアム2 火と戯れる女』で確信に変わり、七月に第三作『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』でシリーズの幕が下りた時には、しばし余韻に浸りながら、私にとっての2009年はこの〈サガ〉を読んだ年として記憶に刻まれるだろうな、と実感したものだ。
どれほど感銘を受けたか、そしてこの三部作がどんなに面白いかを知って貰うために、完結記念に「ミステリマガジン」に寄せた「〈リスベット・サランデル・サガ〉――闘う女たちの物語」というレビューの一節を、ちょっと長いけれども引かせてもらう。
「社会不適応社のレッテルを貼られた凄腕調査員のリスベット。後見人制度という”拘束衣”を着せられながらも独立不羈の存在として、ネットとリアルの二つの世界を股にかけて文字どおり命掛けで闘う彼女と、その勇姿に魅了されて彼女をサポートする〈騎士〉たちの活躍を描いた〈サガ〉は、実際、身震いするほどおもしろい。
なぜか? それは作者のスティーグ・ラーソンが、ミステリというものの、もっと言えばエンターテインメントというもののツボを心得ていたためだ。即ち、不可思議な謎とサスペンスフルな展開、そして意外な結末という、ミステリ誕生以来、連綿と受け継がれてきた成功のための三要素を完璧に満たしているからである。基本に忠実なのだ。その上で作者は、一作ごとにタイプを変えて、さまざまなジャンルの魅力を味あわせてくれる。なんとサービス精神旺盛なことか」
「〈ミレニアム三部作〉は、世界全体が沈滞し閉塞感漂うこんな時代にこそ読んで欲しい、いや、読まれるべき傑作である」
いやはや、われながら大絶賛である。無論、この評価は今も変わらない。作者が第四作を完成する前に故人となったことは、本当に残念でならない。